1章2話
6回ほど、コール音が鳴る。やっぱり忙しくて出られないんだろうなと希望を失いかけたその時。
『もしもし、唯衣か。どうした?』
繋がった。唯衣のスマホから電話かけてるからか、どうやら電話の相手が俺だとは気付いてないようだ。
「あ、えっと…唯衣さんと同じ学校の石井暁と申しますが…」
『……』
少し沈黙が続いた。そりゃ、突然娘から電話がかかってきたと思ったら男の声が聞こえてきたんだから。当然と言えば当然の反応。
名乗り方がまずかったのかなと反省して、沈黙を破る。
「あ…えっと、そちらの病院でお世話になっている石井恵の息子ですが…」
『…あぁ!石井さん家の息子さん!えっと確か…暁くん、だっけか。いつも唯衣が世話になってるねぇ』
「い、いえこちらこそ」
なんだかんだで、この人と話すのは初めてだ。怖そうな雰囲気を想像してたけど、思っていたよりも話し方がフレンドリーだった。なのに緊張してるのか、ぎこちない返しになってしまった。
ちなみにどこかで聞いた話だが、話し始めるときに「あっ」って言う人はコミュ障の特徴らしい。
『それで、どうかしたのかい?』
「僕の母の様子について尋ねたくて電話しました」
母さんは入院してからもほぼ毎日連絡をくれた。でも1週間くらい前から、ぴたりと連絡が来なくなった。
初めは少し体調が悪いとか、検査が忙しくて疲れてるだけかと思っていたが、1週間も続くと流石に心配になる。しかも唯衣の父親は最近忙しいらしい。タイミングが合いすぎて怖い…。
『あぁ、それなら問題ないよ。入院し始めた当初から変わらず、元気だよ。まあ、体の状態はまだ万全じゃないけどね』
「そうですか…」
万全ではなくとも、とりあえず無事であることに安堵した。
(日曜日にでもお見舞い行こうかな…)
「分かりました。貴重な時間を頂いてありがとうございました」
『ああ、大丈夫だよ』
そうして電話を終え、待ちたくもない放課後を待った。
* * * * * * * * *
「暁おせーぞ!こっちだこっち!」
「お前はしゃぎすぎだろ…」
相変わらず暑すぎる夏の夕方。陽は落ち始めてはいるが、まだ一日の最高気温の時間帯に属している。
(カップアイスにしといて良かった…)
俺と奏弥の手にはそれぞれ、来る途中に立ち寄ったコンビニで、奏弥に奢ってもらったアイスがある。カップの中身のアイスはドロドロに溶けていて、もはやただの甘い液体と化していた。コーン型のソフトクリームを買おうかとも思ったが、溶けてベタつくのは御免だった。そう判断してカップアイスにしたが、どうやら正解だったようだ。
「ていうか放課後こんなことしてるけど、部活は行かなくて良いのか?新人戦でうちのバスケ部ベスト4まで進んだんじゃなかったっけ」
「平気平気、俺メンバー外だし。あと今日暑いし」
「必死に練習してるメンバーに謝れ」
だいぶ楽観的な考えをする奏弥であった。奏弥は中学生の頃からバスケをやっていたらしく、高校でもバスケ部に入部したものの、どうやら周りが上手すぎてついていけないんだとか。少しサボり気味になっている。
そうして奏弥に付いていってるうちに、目的地に着いた。
見た目は築40年くらい経ってそうな古そうな3階建てのビル。元々は白かったであろう外壁は所々剥がれており、グレー一色になっていた。
ガラスの扉を開けて中に入る。
扉を開けると、正面にエレベーター、すぐ右横に階段。左を向けば部屋へと続く木製のドアのようなものがある。もうすぐ使い物にならなそうな蛍光灯が天井で何度も点いては消えるを繰り返していた。
「なんか雰囲気あるな…」
まるでホラー映画の演出であるかのような光景を前に、奏弥がつぶやいた。
用を終わらせて早く帰りたい俺は、エレベーター横の案内板のようなものを確認する。1~3階までは何もなく、一番下の段に『B1 フクシュウ屋』というあからさますぎる店名で書かれていた。
(やっぱやばい所なんじゃねぇのか…?)
フクシュウ、ふくしゅう、───復讐。
急に不安が俺を襲いに来た。カタカナで記されていいても、その言葉を意識するだけでぞっとする。
あれから数年が経った今、1日に何度もこの単語を目にして、耳にするのは。言葉を見るだけで、聞くだけで、特定の、あの時の記憶が引き出される。その単語と、強く結び付いた記憶が──。
「っ……」
息が詰まる。途端に心拍数が上がる。
耳鳴りがする。キーンと、うるさいくらいに鼓膜を刺激する。ドアをガンガン叩くような音も聞こえる。それと同時に、あの日のフラッシュバックが見えた。視界をハッキングされたかのように、ぷつりと目の前の光景が暗転し、別のものが次から次へと流れ込む。あの時の映像、音、感情、全てが一瞬にして俺の脳を支配した。
「ぁ…うっ…」
一度脳裏をよぎってしまえば、治まるのは簡単ではない。
意味なんてないと分かっているけど、力いっぱい目を閉じ、耳を塞ぐ。うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい。
脚に力が入らず、そのまま膝から崩れ落ちた。気持ち悪い。
昼のことを思い出す。とにかく落ち着いて息を整えることだけに集中し、深呼吸。なんとか持ち直すことができた。
奏弥には申し訳ないが、俺はもうここに居たくない。余計なことを思い出しそうで、この場所は俺にとって毒だから。早々ではあったが、そう気づいた。
「…もう、帰ろうぜ」
静まり返る。返事の声は聞こえない。
「えっ、奏弥…?」
辺りを見回すも、誰もいなかった。さっきまでいたはずの奏弥は、忽然と姿を消した。
「は…?なんで…」
怪しい建物に連れてきて、その張本人が突如失踪する。ついでに蛍光灯の光が落ちた。フィクションによくありそうなシチュエーション展開だった。
奏弥のことだから、おそらく勝手に地下に乗り込んでる可能性が高い。勝手な推察でしかないが。
(なんでこうなんだよ…)
俺は制服のポケットに入れてあるスマホを取り出し、ライトを点灯させる。そして上の階へ足を進めた。
これは──逃げだ。本当は、地下の方が可能性は高い。
けど近付きたくなかった。“復讐”の意を有しているものと関わるのが嫌だった。近付きたくない、関わりたくない。さっきみたいになりたくない。だから一縷の望みにかけて、上の階の捜索をする。これで奏弥が見つかれば、そのままここを出て帰ることができる。
スマホのライトを視界の前方へ向け、階段を昇っていく。誰がいるか分からないから、できるだけ音をたてず、一段ずつ慎重に進んだ。
「──ねえ」
2階まで昇りきろうとしたそのときだった。誰かが階段の少し下の方から声をかけてきた。幼い女の子のような声だ。雰囲気が雰囲気だからか、その声に過剰に反応した俺の体は少しだけビクッとした。
ゆっくりと、スマホのライトを声のした方向に向ける。その先には、階段の折り返し地点の踊り場にぽつんと、中学生くらいの背丈の女の子が立っていた。
心情の表現難しすぎます。苦手です。