第78話:お布施のない信仰15
枢機卿の埋葬式が終わった後。
「――――」「――――」「――――」
まぁ周囲は熱狂していた。神明裁判の敢行が其処には在る。猛り狂う熱湯が釜で茹でられボコボコと沸騰していた。大釜とその満たされた湯。ついでに執行人である別の枢機卿とミカエリが、その地獄の一丁目を覗いている。
周囲の人間もミカエリが邪教の徒で、今回の枢機卿埋葬に一役買っているのは流布されていた。怨敵を見つめる目でミカエリを見ている。ヤジも飛ぶし、批難も轟々だ。一部悲鳴も聞こえるが、何時の時代も美少女は得だという証左だろう。
熱釜の周囲に神明裁判を見届けようという人だかりが出来、都市部の人口の二割くらいは集まっている。主に市民。傭兵や魔術師はむしろ興味ないみたいで、まぁ確かに信仰に厚い人間でも無ければ枢機卿の死など明日の朝食のメニューよりどうでもいいだろう。
「死刑!」「弑せ!」「邪教徒!」「不信心!」「天罰を!」
とまぁミカエリの評価は散々だ。
「あー」
それを人だかりの一部でアリスが覗いていた。
「ども。ども。ども」
大釜の口より少し高いところでミカエリはそんな悪趣味な観客に手を振っている。肝が据わっていると言うより、この場合は人尊に鈍感なのだろう。
「では無罪を証明したいのなら釜に入られよ。神の祝福あらば貴方には加護が降臨せん」
そんな都合のいいロードが居るなら、アリスはもうちょっと生き難いのだが。
「では参ります!」
ビシッと胸を張ってミカエリが言う。濡れ羽色の髪が揺れた。
「――――――――」
周囲の無責任が沸騰する。自らの手を汚さず人死にを見物する。その異常さに一体何人が反吐を吐いているのか。アリスと、もう少し程度だろう。自称正義の味方は仮想敵が不幸になることに悦楽を覚えるという。顔のない一般市民の正義は時に苛烈な血を欲する。
「行きますよカーディナル!」
そしてそんな仮想敵……ミカエリは手近に立っている司会進行の枢機卿の首に腕を回して引っ捕らえる。
「何を――?」
と声のするより先に、そのまま巻き込んで熱湯に飛び込んだ。釜審。信仰心厚ければ熱湯すらも神が無力化してしまう。ロードとはまた違うが魔術世界にも神は居る。ピーアニー=ガーデンなどがその一例だ。
「うーん。南無三」
「がああああっ!」
そしてミカエリと巻き込まれたカーディナルはそのまま大釜の熱湯に沈んでいった。細胞が熱で壊されて皮膚があまりな情報量に沸騰する。その苦痛を脳が理解し危険信号を送るのも此処では悪手だった。たんに逃れられない苦痛は拷問と同じく痛覚の持つリスクだ。もちろん痛覚がなければ身体能力の不利益に繋がるのだが、おかげで痛覚の財産が本体を壊死させるのも簡易なパラドックスの一つだろう。
「枢機卿!」「閣下!」「まさか!」
で、とっさのことに見物人も悲鳴を上げる。
「があああああああああっ!」
「……………………」
枢機卿の悲鳴とミカエリの無言。その対称性がとても皮肉だ。
「うわお」
とアリスも引いていた。
ボコボコと沸騰する熱湯。かき混ぜられる生命と尊厳。
「止めろ! 止めろ! はやく!」
周囲の裁判官が焦った。たしかにミカエリならともあれ枢機卿まで熱湯に浸かるのは予想外だろう。だが魔術も使えない市民や教会関係者ではすぐには止められない。傭兵なら武器で大釜を破壊することも出来たろうが、此処には数少ない。
悲鳴が上がった。
嗚咽が漏れた。
涙が流れた。
「「「「「枢機卿!」」」」」
信心深い無貌の正義が信仰の対象を呼ぶ。だが返事はなかった。あまりの熱湯はそれだけで人一人を殺す。そこに神の加護も信仰心も存在しない。咄嗟に火が消され、熱せられた大釜を一部の人間が押し倒す。バシャアッと熱湯が覆水し、それからゴロンとミカエリと枢機卿が転がった。
「…………」「…………」「…………」「…………」
唖然。
それはそうだろう。いきなり二人目の枢機卿死亡。で、その張本人は、
「あー、熱かった」
平然とそう言っていた。まるでギャグ描写の理不尽から一コマで復活する不条理ギャグシーンのようなノリで。
そして唖然を超えた重い沈黙。
「くあ……」
コキコキとミカエリは首を鳴らす。熱湯で濡れたカソックも万全だ。
「あー、これで神明裁判終わり?」
途中イレギュラーは起こったが、そもそも進行に於いてはやり直しなど出来ないだろう。
「殺せなかったから殺せるまでやろう」
では論じ方の正当性が保てない。
「えーと。カーディナル?」
そして全身二度の火傷の枢機卿をツンツンとつつく。意識が飛んでいた。というか死んでいた。おそらくショック死だろう。
「うーん。神の加護を得られませんでしたか」
そういう問題か?
アリスは思念でツッコんだが、これは彼のみ。転がった大釜がちょっと状況を表わしている。水溜まりになっている熱湯が説得力増し増し。それこそ一般人なら即死できる。
その上で生きているミカエリと死んだ枢機卿。
どっちに説得力があるかは考えるまでも無かった。
そもそも神明裁判の不条理性に皮肉を突き付けた形になるのだが、ソレが出来るのもミカエリの人業ではあろう。
「で、無罪でよろしいか?」
やはり衆人環視は放心している。
「あと破邪神聖霊長教会は信者募集中。非公認教会なので信義無い人は是非とも門を潜られたし。門を叩け。さらば開かれんとも申しまして」
まさかこう連日で二人の枢機卿が死ぬとは思わなかったのだろう。それも破邪神聖霊長教会によって。かたや魔人討伐。かたや神明裁判。
「奇蹟枢機卿?」
「カーディナル?」
「天の遣いし乙女?」
ざわざわと目の前の奇蹟が口の端に上る。熱湯に浸かっておきながら一切の火傷をしていない使徒。その意味を流動的な評価はこの際山を登る。
「ミカエリ教主様?」
「ミカエリ教主様」
「ミカエリ教主」
どよめいていく衆人環視。
「あー、コマーシャルね」
熱湯で死んだ枢機卿より、奇跡を起こした邪教の徒。どちらが説得力を持つ可なら、まぁ往々にして後者だろう。
「では奇蹟を起こして差し上げよう」
バサリと翼が脈打った。
「比翼・虚無」
半透明で虹色の輝く神秘の翼は見上げる信者に天使を想起させた。




