第75話:お布施のない信仰12
「怨憎得苦!」
斬撃が奔った。聖剣が空間を両断する。辛うじてアリスは躱した。そこから冷や汗が伝うまではタイムラグがある。
「渇途!」
静かな剣撃が振るわれた。
「影装・火焔」
炎の装甲を身に纏って、
「っ」
「ッ」
聖剣を受け止める。澄み切った音が高らかと鳴り響いた。影装が聖剣を防ぎ、緩やかに受け流す。
「あのね」
「なにか」
「吾輩に恨みでも?」
「在るような無いような」
「そんなあやふやさ加減で吾輩を襲ったの?」
「だって魔王だし」
否定は能わず。
「とにかくお姉様の大義のために死んで貰います」
「あー……」
南無八幡大菩薩。
「何だ?」「ケンカ?」「殺し合い?」
多分最後者。ブオンと剣風がなる。まるで奔った剣閃が全てを裂くように、そこには手加減という物が存在しない。斬撃の連打。なんとかアリスは魔術で受け止めていた。切り上げから袈裟切り。水平に奔ったかと思えば、軌道を変えて斜めに。
「さすが」
アリスから賛辞が漏れる。
「受け止められる斬撃ではないんですが」
一般人なら既に斬殺されている。それも確かだった。
アリスは後退した。学院都市での戦いはまぁ慣れたモノだが、此処では人目に付きすぎる。教会も近かった。
「何をしていらっしゃるので?」
「じゃれ合い」
「殺し合い」
アリスが穏便に。ガブリッチが率直に。それぞれ状況を指し示す。問うたのは教会の教徒だった。いきなり往来で剣を振り始めたのだ。それは愛と信仰の教徒には見過ごせないだろう。別段金銭にもならないことだが、教徒の愛は元より安売りだ。
「止めてください。こんなところで。正気ですか?」
「魔族程度には」
「人間程度には」
とかく対象の救い難し。
「ともあれ此処では――」
「――来る」
アリスが呟く。魔の気配。それがどうやって知覚されるかはあまり認識もしておらず。
「――――――――」
人から乖離した雄叫び。背筋を凍らせる瘴気。
魔人が現われた。
「こんな時に?」
などと言いつつ警戒は怠らない。魔人にとって魔術を使うのは四肢を動かすような物だ。それこそ自然にやってのける。人間のように術式の理解すらしているか怪しい。とはいえ彼には何程もないのだが。
「斬撃・火焔」
延長線上に被害が出ないことを確認して、アリスは斬撃の魔術を撃った。火焔が局所的に猛って地面に傷跡を残す。
「――――――――」
だが魔人の水属性の魔術がソレを相殺した。同時に足下が凍る。氷結魔術だ。
「火焔」
魔を執行して熱を発生させる。同時に距離を取った。
「弑!」
交代するようにガブリッチが突貫した。ほとんどその速度は弾速だ。鉄砲玉にも似た突進で魔人に間合いを踏みつけてのける。
「――――――――」
魔人との間に氷の壁が生まれた。これも水の亜属性だ。
「破ぁ!」
聖剣の一撃が氷を粉微塵に粉砕する。どれ程の膂力が掛かったのかは想像するだに恐ろしい。
「待っ――」
待った。と言おうとしたのだろう。教徒がガブリッチと魔人の間に割って入る。だが既に慣性の法則は無視し得ないレベルだった。そこから行動をキャンセルする方がまだしも熱力学を無視している。
「がッ!」
斬撃が奔った。
ガブリッチの聖剣は容易く教徒を両断した。肩から腰に掛けて袈裟切りが、まるで空気を裂くように抵抗もなく一閃する。
「枢機卿!」「まさか!」「いやぁ!」
その非人道に悲鳴が上がった。血が飛び散り、肉が崩れ落ちる。震える血臭も、人々の絶望も、あるいはガブリッチには関係がなかった。
「狙撃・火焔」
アリスの魔術が魔人を襲う。それを水属性で相克したところに、
「渇途」
少女の斬撃が振り抜かれた。教徒の死体すら置き去りだ。それを踏みつけての一撃。
「詰!」
下段に構えた剣が上昇する。その登竜にも似た剣撃は魔術すら裂いて、魔人を両断せしめる。
「あー」
本来なら別の手段を必要とするのだが、ここではソレで決着がついた。
「問題は」
教徒の骸だ。
「……枢機卿」
そう呼ばれていた。
「また面倒事が」
それは嘆きもする。霊長教会の最高顧問だ。その命は平民の百人よりも重い。あくまで教義の視線で語れば。
「……………………」
ガブリッチは聖剣をピッと振る。ついた血痕が血飛沫に変わって地面を濡らした。
「うーん。どうしたものか」
「さて。やりますか。邪魔もなくなったことですしね」
「君ね。自分がやったこと分かってる?」
「?」
分かっていないらしい。然もありなん。
「教義的にどうなんだろう?」
「お姉様の大義さえ在れば他に規準は要りません由」
「あー」
その理屈は何となく分かるが、それにしても状況の悪さよ。それこそ霊長教会そのものを敵に回したんじゃないかと思えてしまう。アリスにとってもこの状況の誤謬性はとても笑って済ませられるレベルではなかった。




