第51話:火焔魔王と勇者の邂逅03
「ふにゃおー」
風呂上がり。寮部屋でのこと。アリスは温風で髪を乾かしていた。
「はいはい。師匠。髪渇かしてあげるだよ」
「これはどうも」
ピアがタオルでガシガシと彼の髪を拭き取っていく。
「剣の方は大丈夫?」
「それなりには」
実際はそれなりどころではなかったが。もともと魔術を切り裂くためだけの性能というのがおかしいのだ。どうエンチャントすればそんな能力を付与できるかは古典魔術ではとても想像も難しい領域。ここら辺の普遍性は現代魔術の勝利とも言える。
「凄いですよね」
「凄くはある」
うん、とピアも頷く。
「あーうー」
そしてクラリスの呻き声。
「はい。聖暦の中期にあった最も有名な戦争を――」
カオスの指導。
風呂上がりのかしまし娘は講義の復習をしていた。カオスはサボっていながら勉強範囲の把握は完全に済ませている。ここら辺はぬかりないというかちゃっかりしている。
「あー」
アリスも人類史には少し疎いので髪を乾かした後は勉強に励んだ。
「王国の第二代国王陛下は――」
徒然と。
で、
「プシュー」
「ふにゃー」
アリスとクラリスが机に突っ伏した。
「あーはーはー」
「ケタタタ」
ミルクチョコレートを飲みつつ現実逃避気味にスリップ。そんな感じで夜は過ぎていく。
月が天頂に昇ると、アリスは夜を体感するためにベランダに出た。
「綺麗な星々」
「ですね」
そしてカオスが居た。
「大丈夫なの。外に出て」
「危険レス」
「いや。クラリス嬢の結界の中に居ないと」
「都市全体に張れれば良いんですけどね」
スピリットの関係上難しいらしい。一応試行錯誤はされているようだが。
「現代魔術……ですか」
「人の器用なことこの上無しですね。吾輩の時は生物を殺すくらいにしか使われてなかったんですけど」
「元々の呪文構成がソレですしね」
まこと以てその通り。
「で、おかげではた迷惑と化していると」
アリスはカップを傾けてチョコレートを飲む。薬用のものだ。かなり苦いが彼には心地よい。カオスはミルク入りを飲んでいた。
「後は政治的な問題もありますよね」
「そっちに関しては吾輩も他人事じゃござらんな」
「そうなので?」
――ストレリチア陛下にランジェリー姿で迫られた。
とはとても言い難い。あの事実は墓まで持って行くしかない。
「ふう」
夜風が吹く。星のシンチレーションも蠱惑的で、ついでにシンと静まりかえる暗闇は彼らの心を削った。ベランダは庭がみえ、今は街並みも夜景として見える。獣湯の明かりが少しこっちの視覚にも届いていた。
「夜の街に行ってみます?」
「今度ね」
「ですね」
アリスが条件付きで遠慮し、カチャと立て掛けられていたカオスの剣が鳴いた。
「危ないね」
「どうにも血を吸いたいらしく」
困ったモノだ。そう彼女は言ってのける。
「しかしさてどうしたものか」
「勘違いならそれが一番いいんですけどね。厄介レス」
左手で鞘ごと握り、剣の柄に右手を添える。同列に並ぶアリスは呪文を唱える。
「妖精・光明」
五つの光球が現われて、ほのかに寮から見える庭園を照らし、それぞれが独立して飛び回った。それこそ光る妖精のように。
「――――――――」
息づかいが聞こえてきた。光明が影を捉える。
「いた」
剣を鞘から払ってカオスがベランダから飛び降りる。かなりの高さだが、ここで心配するのは必要レスだろう。アリスの方はベランダから静謐に影を追っていた。ピア狙いの暗殺者……が多分妥当なところ。およそコレまでも数回襲われた。
――懲りろよ。
とも思うのだが、向こうも仕事なのだろう。別段ピアを殺すのは手間であっても、今更撤回も出来ないようだ。既に王家からも金は受け取っているらしく、その辺をストレリチア陛下が嘆いていた。
こと殺人は失業知らずだ。かなり金にもなる。アリスは立場的に対極にいるが、魔族は人と比べてもまだ穏便だ。被害の意味でならたしかにはた迷惑だが、自然効率としてそうなるだけで、利益を換算して人を襲う魔族はいない。
「ここら辺が人の分からないところで」
ピッと暗殺者を指差す。
「狙撃・光輝砲」
ヒュンと疑似光子が闇を裂いて撃たれる。
「ちぃっ!」
なんとかフィジカルでソレを避けた暗殺者に、
「伏!」
カオスが襲いかかる。加速は上々。剣速もまた。だが振り回すには庭園の植木が邪魔だ。結果刺突がメインとなった。
「疾! 覇!」
「強盾・冷氷」
魔術師。氷の壁が盾となって刺突を受け止める。キンと音がしてカオスの剣がその盾に穴を穿つ。
「おいおい」
魔術の防御を剣で破ろうというのだ。どれだけの事かはちょっと想像の範疇レス。
「斬撃・力場」
立て続けに暗殺者が呪文を唱える。土の亜属性。斬撃が無音無光で襲いかかる。向こうとしても公にしたくないのだろう。なかなか静かなやり取りだった。
「狙撃・光輝砲。ツヴァイ。ドライ」
ヒュンヒュンと光学収束砲が暗殺者を襲う。それも躱せば姿勢が崩れる微妙な采配で。
「チェック」
「とった」
アリスとカオスが勝利を確信した瞬間、あらぬ処から狙撃が起こる。
「新手」
「というよりフォローでしょうね」
カオスに対するアリスのような立場が居たわけだ。それもアリスとカオス双方に悟らせないレベルの猛者が。狙撃の精密射撃も大したモノだ。カオスで無ければそのまま撃たれていただろう。
「とまれ」
「ここまでですね」
射線から相手の位置は把握できる。向こうもソレを知っているのだろう。
「光明」
光球を生みだして飛ばしても、既に夜の闇しか其処には無かった。
「強盾・力場。ツヴァイ。ドライ」
襲ってきた暗殺者も三重に盾を張って撤退を選んだ。ミスリルの剣は魔術……というかスピリットを散らせるが、三重の盾を打ち払うより暗殺者が逃げる方が早いのも事実で。
「焼き滅ぼす……ってのは無しで?」
「無し」
アリスのジョークにカオスが断定した。鬼マジレス。
「にしてもピアは人気者だね」
「放っておけば未曾有の大災害になりますから」
「吾輩の場合は人のこと言えないんですけどね」
「自重はしてるじゃないですか」
「積極的に不和をつくることもなかろうし」
「だーねー」
カオスは剣を鞘に収めた。そのまま高階のベランダまで跳躍してくる。
「あの。その運動能力は?」
「アリスも出来るでしょう?」
「条件付きでなら」
「私は鍛えてますので」
「そんな問題で候……?」
カップのチョコレートをまた飲み出す。
「不条理って奴は……まぁ怨敵で」
「吾輩とか?」
「たしかに不条理なんですけど」
その瞳に月を宿す。
「もうちょっとこう。私としては過去の慚愧に思うところも在りまして。こうやって鍛えている次第で。もちろんピア様の件も無いとは言いませんけどね。それでも私の想いはピア嬢に向けてレス…………」
「では?」
「そういうところがアリス様は鈍感ですね」
「?」
アリスは首を傾げざるを得なかった。
「さて。では部屋に戻りましょう。結界内なら安全ですから」
「クラリス万歳」
実際に不都合をシャットアウトするクラリスの結界はかなり高位に位置する。それだけで魔術師としての真価を思い知らされるほどだ。少なくとも古典魔術では無理な内容で、呪文以外の媒介というモノを彼は知らない。魔導文明万歳。
「じゃあ一緒に寝ましょう」
カップを洗浄して渇かし、今日の終わりにベッドに潜ると、カオスも寄り添ってきた。
「問題にならない?」
「問題レス」
「どういう意味で?」
「乙女は恋の味方」
「鯉……」
「だから心丈夫」
「君がそうしたいならあえて止めることもしないんだけど。朝にピアがうるさそうだなぁ。殊更畏れてもいないわけだけど」
「あはは。アリス様は抱くと安心しますね」
「魔王印ですので」
「ですねー」
ジョークにも乗ってくる。
「いたしますか?」
「何を?」
「ええーと。愛の前の来るモノを」
「だから何を?」
「アリス様はドSです……」
「そこまで意地悪かな?」
「超弩級です」
「そんなに?」
乙女の純情が今のところ彼にはよく分かっていなかった。
「月が綺麗だね」
「そういうところですよ。アリス様」
照明を落としてた見えない闇の中で虹色の瞳がジト目を放つ。




