第122話:火焔魔王とソフィアの在処16
とっさのことで良く理解が難しかった。
風景は逆行したように戻っていた。静寂も。涼やかさも。
此処……倉庫街に来たときのまま。
既にアリスらの応戦によって戦の痕が刻まれた倉庫街だったのに、今は平和な物。
――どうなっているのか?
首を傾げてしまう。
「隔離結界だよ。なんてことのない……ね」
声が夜空から降ってきた。正確には高度から。
「……………………」
シルクハットを被り、チョークストライプのスーツを着た成人。なんとなく奇人を連想させるが彼の目はスピリットを見通す。
「魔族。それも認識を持つ」
「そうさ。久しぶりだね火焔魔王。こっちは錬金魔王と名乗っているよ。グラジエル……と言った方が通りは良いかな?」
「そこそこね。あまり交流は無かったはずだけど。なにか吾輩は君に恨みでも買ったかな?」
「遺恨としては何も。たんにこっちが迷惑しているだけさ」
「ソレこそ何故と聞いても?」
問うと、グラジエルはシルクハットを取ってヒュンと回してまた被る。
「ことスピリットの関係で君を超える逸材はそう居ない。その意味でコッチには歯痒くてね。折角の実験も君の裁量で台無しにされかねない」
「クラリスは保護しているだろうね」
「もちろんだとも。実験体だ。殺しては意味がない」
隔離結界。そこに閉じ込められたアリスだが、おそらくクラリスも此処に居る。その予感はあった。
――だが何故アリスだけを此処に招いたのか?
「だから殺すためだよ。此処で死ねば、勇者も君には手が出せない」
「本気で言ってるので?」
月と星を眺めつつ、その手前にいる高度のグラジエルにアリスは問う。
「無論、恒久的にそうしたいわけじゃない。時間さえ稼げれば十分さ」
「そのための隔離結界」
「なんならクラリスを人質にしようか? 殺されたくなければ手を出すな」
「自分の命が優先的かな……」
「その辺はドライなんだね」
おかしそうにグラジエルは笑った。
「で、クラリスを使って何をするんだい?」
「マスソフィアへの干渉実験さ」
「マスソフィア」
世界の持つ意思のことだ。そして世界の末端である魔族のソフィアの源流点でもある。
「マテリアルが専門では無かったのかい?」
「まぁそうなんだけどね。ちょっと君に触発されて」
「吾輩に?」
「マスソフィアに所属しながらマテリアルを有する魔族。人への転生。そんなことが可能なのかと驚いた物だよ」
「転生」
たしかにアリスのことだ。
「こっちもしてみたくてね。実験を繰り返していたところさ」
「あー。もしかしてクスリって」
「ハイスピードかい? あれはマテリアル干渉でスピリットを変質させる天秤だね」
そこで線が繋がった。
「人間に転生すると?」
「そのために神造心臓を創ったんだから」
「ああ。クラリスの疑似心臓」
「別にゴッドフリート卿じゃなくてもよかったんだけどね。どうせなら才能在る人間に転生したいじゃないか」
「グラジエルは死ぬのか?」
「正しくないね。そもそもソフィアとは何だろう?」
「意思。量子の認識。世界の把握」
「そうだとも。そして人間は物理的にソレが出来る」
「人類総意思……」
「端的に言ってマススピリットはマスソフィアの部分的な異常なんだ。バグと評してもいい。獣が得ることの出来る劣化したソフィアさ。其処に接続した獣をこちらは人間と呼んでいる」
「では本質的に吾輩らと貴君らは同じ物を見ていると?」
「そうだね。間違いじゃないさ」
コツコツと倉庫の屋根を足下に蹴ってグラジエルは苦笑する。
「元々ソフィアとは有形のマテリアルが複雑系を獲得することで得られる自然能力。だがその複雑さを生命くらいでは持ち得ないはずだった。それこそ星レベルの流動が無ければ不可能だったはずなんだ」
「それを人は可能にした」
「星がアレルギーを起こすのも当然だよ。こっちは星の意思として此処にある。けれども人間はそんなことを無視して魔を扱う」
「聖族は?」
「ガブリッチの件だろう。君が言いたいのは。アレも認識の最たるところだよ。マススピリットの具現だ。マテリアルとしては信仰の道がそれに当たる。こっちはその意思を固めて抽出しただけだ。あんな面白い物体が出来るとは予想外だったけどね」
「よくよく実験が好きだね」
「人間は興味深いよ。それだけで関わりもするさ。きっと星すらもついには食むだろう」
「そこら辺はアレだけど。まぁ気持ちは分かるよ。で、クラリス嬢に転生するの?」
「そのつもりだ。で、そのためには君が邪魔だ」
「スピリットをコピーペーストしても吾輩が台無しにする……か」
「よくよく厄介だよ。此処に居なければ。クラリスと仲良くしなければそれだけでこっちの思惑に不純は起きなかった」
「だから此処で殺すと?」
「退場して貰うのさ。なに。クラリスくんの今後については君が心配することじゃない」
「それはそうですけどね」
ボッと熱波が猛り狂った。
「問題は吾輩相手にソレが出来るかで」
「やるとも。マテリアルによるスピリットの変質。その成果を見るまでこっちは死ねないんだからね」
「結局ソフィアを持っても話し合いに落ち着かないのが皮肉だよね」
「そこを星は憂いてるのだろうさ」
ミシッと空間がひび割れた。殺気が立ちのぼり、辺りが緊迫する。
「大羅――」
「大羅――」
アリスとグラジエルが同時に位階を唱える。
「――斬撃・灼火焔」
「――斬撃・地層力」
同じ威力の斬撃が互いに貪り合った。
「ふむ。地力は一緒か」
「基礎構築もですね。厄介な」
「アリスくんは誰かに負けたことは無いのかい?」
「勇者に負けましたよ。だから此処に居る」
「いや。はは。皮肉のつもりではなかったのだが」
グッとグラジエルはシルクハットをかぶり直した。




