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第二話「はじめてのメール」第3節 


 (あい)がマイブリットに追いついたのは、エレベーターエリアの手前だった。


 (あい)たちの他にも十人ほどがエレベーターを待っている。報道関係を示す腕章を身につけ、仰々しいカメラ数台とマイクを構えているグループもあった。


「どこかお目当てのお店でもあるんですか?」


 (あい)がマイブリットに尋ねる。マイブリットは、真剣な様子でパンフレットに目を通していた。


「いや、とりあえず上からひととおり回ってみようと思う」

「そうですね。かなり広いみたいなので、まずはざっと見て回りましょうか」


 (あい)たちは最後にエレベーターに乗りこんだ。ドアの向かい側は大きな張り出し窓のような造りで、近くの森林公園を一望できる。そちらに(あい)が気を取られている間に、マイブリットは行き先のフロアのボタンを押してくれた。


 (あい)とマイブリットの他はエレベーターの停まった各フロアで次々と下りていく。先ほど聞こえてきた小声の会話によれば、このプレオープンでは特別セールも実施されているらしい。入場待ちの長い行列ができていたのも納得だった。


「何か良いのがあったらあたしも買おうかな」


 財布の中のお小遣いの額と、今月予定の出費を頭の中で計算する(あい)。残念ながら、あまり余裕はなく、肩を落とすしかなかった。ふと目をやると、マイブリットは小さなタブレット型端末を手早く操作していた。マイブリットがタブレット端末をトートバッグへしまう頃には、エレベーターの中にいるのは(あい)とマイブリットの二人だけとなっていた。


 エレベーターは11階で停止した。一般客が入ることのできる最上階だ。だが、広いエレベーターエリアの先は、背の低いポールとトラ柄模様のロープで遮られている。


「これは……進入禁止ってことですよね?」

「そのようだな」


 勢いをそがれる(あい)とマイブリット。近くにいた警備員の申し訳なさそうな説明によれば、本来はイベント用のフロアだが、本日は催し物がないためにこのような措置をとっているらしい。


 礼を言い、(あい)とマイブリットはエレベーターで下の階へ移動した。


 10階はレストランエリアで、都内の有名店も出店していた。(あい)たちはひとまわりしたものの、時間が早すぎるためか、どの店も準備中だ。


「絶対にあとで来ましょうね」


 スイーツ系に強そうな店を見つけ、力強く主張する(あい)。マイブリットは何かに気を取られているらしく、曖昧な相槌を返しただけだった。


 次のフロアへ移動してエレベーターのドアが開いた瞬間、騒々しいほどの音の洪水が押し寄せ、(あい)は顔を顰めた。アミューズメントフロアで、ゲーム系の機器がたくさん並んでいる。奥にはボーリングやカラオケの店舗もあった。


「うわ……ここはちょっと」


 人も多く、(あい)には馴染みない賑やかさに圧倒されてしまっていた。このフロアでは、あまり見るものもないだろう。(あい)はこの場から離れるつもりだったが、マイブリットはフロアの奥へと向かっていった。仕方なく(あい)もついていく。


 ビデオゲームやプライズ系の筐体の間を、マイブリットは立ち止まることなく進んでいく。ゲームやぬいぐるみに興味があるというわけではなさそうだ。何度かタブレット端末で写真を撮っているようだったが、(あい)の目では、その先に写真映えしそうなものは見つからない。


「何か探してるみたいだけど……」


 (あい)は疑問を抱き、目立つものがないかとあたりを見回した。フロアの端のほうに、プリクラの機械がいくつも置いてある。小学校の卒業後、みんなで遊びにいった時に佳波(かなみ)や他の友達と一緒に撮ったきりで、懐かしくなってしまった。


「マイブリットさんはプリクラなんて知ってるのかな」


 海外にもあるのだろうか。もし知らないようだったら、一緒に撮ってみるのもいいかもしれない。(あい)が期待しながら目をやると、タブレット端末を操作するマイブリットの表情は真剣そのもので、(あい)は話しかけることを躊躇ってしまった。


「ああ、ごめん」(あい)の視線に気づいたマイブリットが、苦笑まじりで取り繕う。「急ぎの連絡があって返信してただけだから。もう大丈夫。下へ移動しよう」


 (あい)はマイブリットに気を遣わせないように、明るく返事をした。


 すぐにはエレベーターが上がってきそうになかったため、少し離れた位置のエスカレーターを使うことにした。


「こ、これはすごいですね」


 (あい)は感嘆の声をもらした。


 下のフロアはファッション系だった。お洒落に関しては得意ではない(あい)ですら知っているブランドを冠した高級店がずらりと並んでいる。フロア全体の装飾も、華やかでありながら落ち着いた雰囲気をまとっており、長居したくなる空間だった。


 マイブリットの後ろについて、店を眺めていく。多くの人々で溢れかえっており、うまく間を縫って移動しているものの、歩みは遅かった。すれ違う人達の買い物袋が足にまとわりつくこともあり、その度に(あい)は小声で謝っていった。


 ブランド店の他にも、(あい)一人だけであれば近づくことも躊躇ってしまうような、敷居の高そうな店構えばかりだ。せっかくマイブリットと来ているのだから、どこかの店に挑戦するチャンスだという期待はある。だが、混雑しているために入店規制をおこなっている店も多く、長く待つ可能性を考えると(あい)は話を切りだせなかった。


 ひとしきりフロアを見て回った後、入店待ちの列が整理のため移動されるあおりを受けて、(あい)たちの足が止まる。


 (あい)と同年代の女の子たちが多いその列の先を目で追ってみると、(あい)には馴染みのない店だった。ドレスのようなデザインと暗色系の色合いをベースに、フリルやレースといったアクセントの白や明るい差し色が映えるデザインが目立つ。ゴシック系というのだろうか、芝居や音楽活動の衣装のようなコンセプトのブランドだ。


「あたしでは絶対に着れない服だ……」


 並んでいるのは、スタイルも良く顔立ちも整った綺麗な女の子たちばかりだ。自分との差が明確すぎて、(あい)は落ちこむどころか自虐的に笑うことしかできなかった。ふと、(あい)は視線を感じた。女の子たちの列のそこかしこで、こちらを窺いながら小声で仲間たちと話している。


 何か悪いことをしたのだろうか、と(あい)は訝しんだが、すぐに原因に気づいた。彼女たちが注目しているのは、(あい)の隣にいるマイブリットだ。ただでさえ、この明見町で外国人の姿は珍しいうえ、マイブリットの容姿は人目を引く。(あい)はすっかり慣れて忘れてしまっていたが、マイブリットは間違いなく美人の範疇に入る。おまけに細身で、立ち居姿もモデルのように様になっている。


 あらためてマイブリットに見惚れていると、目が合った。


「どうかしたのか?」

「あ、いえ。マイブリットさんなら、この服ステキに着こなしてくれそうだなって」


 (あい)の指差した先へ顔を向けるなり、マイブリットは露骨すぎるほど渋面になった。


「無理。こんな動きにくそうな服、わたし向きではない」

「マイブリットさん、可愛いから絶対に似合いますって。試着できるみたいですよ」

「無理だから。ほら、そんなことより先を急ぐぞ」


 食い下がってしまう(あい)から逃げるようにして、マイブリットは歩き出した。マイブリットが照れているようにも(あい)には思えたが、(あい)が隣に並んだ時にはいつもの落ち着いた表情に戻っていた。


 どの店に入ることもなかったがマイブリットは満足したのか、次のフロアへ行くこととなった。下へ向かうエスカレーターでの移動中に、(あい)は下の段に立つマイブリットへ尋ねた。


「気になってたんですけど、どうして今日も制服なんですか?」

「どうしてって……学校の規則でそう決まっているだろう。アイこそ、何故制服ではないんだ?」


 素朴な問いかけに、予想外の答えと質問が返ってくる。


 確かに生徒手帳の校則のページには、土日でも大勢の人が集まるところでは学校の制服を着用して節度ある行動を云々と記してあった気がする。昔は厳密に守られていたかもしれないが、今では課外活動の時だけは校外でも必ず制服で、他は私服で問題ないことになっている。(あい)がそう告げると、マイブリットは目を瞬かせた後、顎に手をそえて黙りこくってしまった。何かを深く考えこんでいるようだ。


「あたし、困らせるようなこと言っちゃいました?」

「いや。大丈夫、うん。教えてくれてありがとう」


 少し困ったようなマイブリットの様子が気になったが、次のフロアが近づくにつれて強くなる煌びやかさと化粧品の匂いに圧倒されて、それどころではなくなってしまった。


 このフロアは、アクセサリーやコスメを中心に取り扱う店が集まっていた。リングやピアスなど、埋めこまれている宝石も小さいものでありながら、(あい)の感覚からすれば桁を間違っているのではないかと疑いたくなる値札がつけられている。それでも、上のフロア同様に、大勢の人々で賑わっていた。


 フロアをまわっている間に何度も、コスメ系の女性店員たちがマイブリットに声をかけてきた。無料でのお試しメイクのお誘いだ。マイブリットはぞんざいながらも律儀に断っていたが、最後の方はあきらかに辟易しているようだった。


 ひとまわり終えてようやくエスカレーターにたどりついた時、マイブリットは長く息をついた。


 (あい)は思わず苦笑する。


 タブレット端末を操作しようとしていたマイブリットが手を止めた。


「どうかした?」

「マイブリットさんでも困ることあるんだなって」

「ああいうのは苦手だ。わたしにはメイクなんて無理」

「えー、そんなことないですよ。モデルさんみたいに、ぜったい似合うと思うなあ。後で戻ってきて、お試しメイクやってもらいましょうよ。あたしもつきあいますから」


 期待をこめた(あい)の申し出に、マイブリットは恥ずかしそうに咳払いした後、「時間があればな」とだけ返した。(あい)は必ずこのフロアに戻って来ようと決心した。


 次に二人が訪れたのは雑貨や文房具、小物や書店を集めたフロアだった。上のファッション系のフロアに比べると、客の数は少なめだ。


「マイブリットさん、あのお店! あのお店に行きましょう!」


 マイブリットを差しおいて、(あい)は近くの店に突撃していった。都内を中心に全国にも展開している文具や雑貨系の店だ。


 (あい)は商品を眺めながら、「うわー、ステキ」「あ、これかわいい!」などと独り言を撒き散らす。革製の古書のような、小さな鍵のついた日記帳を見つけてしまい、購入を即決してとりあえず手に取った。


 ファンシー系文具コーナーもあり、隅には動物のぬいぐるみも並んでいた。


「あ、みてくださいこの子。うちで飼ってるみりんにそっくり」


 (あい)が明るい声で隣を見やるが、そこにマイブリットの姿はない。あせって周囲を見回すと、少し離れたところでマイブリットが(あい)へタブレット端末のカメラを向けていた。


 (あい)は冷静さを取り戻すと同時に、恥ずかしさで顔が熱くなった。


「ご、ごめんなさい。あたし一人で舞いあがっちゃって」

「いや、謝らなくても……ただ、ずいぶんと興奮しているな、と」

「いつもの商店街では絶対に置いてなさそうなものばかり並んでいたので、つい……あ、ちょっと買い物していいですか。すぐ終わりますから」


 マイブリットが同意してくれたので、(あい)は筆記具のコーナーへ急いだ。目当てのものはすぐに見つかった。


「インク?」

「ちょうど切らしちゃってて。おじいちゃんのおさがりの万年筆用なんです」

「意外と渋いんだな」とマイブリットが感心したような声をもらす。(あい)は誉められたような気がして軽い足取りでレジに向かい、万年筆用のインクカートリッジと日記帳を購入した。


 その後、これまでと同じようにフロアを見て回ったが、他にも魅力的な雑貨や文具ばかりで、(あい)は何度も後ろ髪を引かれる思いでマイブリットについていった。


 次のフロアはキッチンやインテリアなどの店が集まっていた。他のフロアと比べると店の数は少ないが、一店舗あたりのスペースが広く、動線も余裕をもって確保してある。照明器具や壁紙を扱っているところもあり、フロア全体が穏やかで落ち着いた色調に統一されていた。


 フロアの端まできたところで、「少し待ってて」とマイブリットがタブレット端末を操作し始めた。マイブリットの表情はまたもや真剣そのものだ。なにか立てこんでいる状況なのだろう。


 (あい)はマイブリットの邪魔にならないよう、少し離れることにした。朝から歩きどおしだったため、さすがに疲れも感じてしまう。(あい)は短く息をつき、すぐそばのインテリアショップの店頭に展示されている椅子に腰をおろした。


 その椅子はキッチンテーブル向けらしく、造りはシンプルな木製の四脚だが、クッションはやわらかい。少し通路のほうへ出すぎていたためお店側に寄せようとしたものの、重いためにわずかしか動かせず、(あい)はすぐに諦めた。


 フロアの端からは、隣の別棟への連絡通路が伸びていた。隣はオフィステナント専用らしいが、まだ正式なオープンではないため、通路の先は立ち入り禁止となって警備員が立っている。遠目に見える限りでは、ホテルのラウンジのような印象だった。


 (あい)はインテリアショップの店内を見やった。置いてあるものはいずれも品が良く、眺めているだけでもつい欲しくなってしまう。家族連れでにぎわっているのも納得だった。明見町自体は田舎だが、近隣では都心への行きやすさを売りにした住宅地の開発が進んでいる。このロカーラは、そういった層へ向けて十二分に魅力的な商業施設だろう。


「でも、さっきの佳波(かなみ)ちゃん、忙しそうだったな。無理してないといいけど」


 開発や運営には佳波(かなみ)の家が関わっている。いずれは佳波(かなみ)からも詳しく聞かせてもらえるだろう。


 (あい)が考えにふけっていると「お姉ちゃん、トイレ」と、すぐそばで女の子の声がした。店の出入り口に、幼稚園に通うくらいの小さな女の子が立っている。棚類のコーナーに両親といた小学校低学年くらいの少女が駆けより、妹の手を引いて急いで店から離れていく。


 二人が人混みの中に消えていくのを見届けると、(あい)は椅子から立ち上がり、大きく伸びをした。マイブリットもタブレット端末での用事が片づいたようだ。


「ひとまわりしましたけど、次はどうしましょうか? ちょっとお腹も空いてきません?」


 近くの時計で時間を確かめると、もうすぐお昼時だ。駅前からの時間も考えると、かれこれ三時間近くは歩きどおしとなる。ここから下のフロアは男性向けのようだったので、このあたりでいったん区切ったほうが良いだろう。集中的にまわるお店も決める必要がある。


 (あい)が尋ねると、マイブリットは少し躊躇ってから答えた。


「アイ……ここからは別々に行動したいんだが」


 (あい)がその言葉の意味を理解するまでに、少しの時間が必要だった。


「えっと……ごめんなさい。やっぱりあたしといても、あまり楽しくないですよね」


 (あい)は冗談めかして聞こえるように、できるだけ明るく伝える。動揺が表情に出ていないか気になった。中学生の頃、クラスの何人かで遊びに出かけて同じような提案をされたことを思い出す。すっかり忘れていたはずの苦い記憶は、甦る時にはまるで昨日のことのように鮮明なものだった。


「いや、そういうことではなくて、実はここに来たのは仕事なんだ。調査の段階だからアイと一緒でも支障はないと思っていたのだけど、どうやら本格的に取り組まないといけなくなってきた」


 (あい)の冗談めいた自虐の言葉に、マイブリットはまっすぐに(あい)を見すえて返してくれた。


「本当にすまない。今度必ず埋め合わせをするから、許してほしい」

「許すもなにも、仕事ならしかたないですよ。あたしのほうこそ、邪魔しちゃってごめんなさい」


 (あい)は頭を下げて謝った。招待状があるからといって強引に誘ったのは(あい)なのだ。(あい)は遊びとして軽い気持ちだったが、マイブリットはずっと仕事の一環として回っていたのだと考えると、申し訳なかった。


「あの……軽くお昼ゴハンする時間くらいはありますか?」


 せっかく学校の外で会えたのだから、少しは落ち着いてマイブリットとおしゃべりしたい。断られたら引き下がるつもりで、(あい)は控えめに尋ねた。


 マイブリットは一瞬だけタブレット端末に視線を落とし、「ああ。それくらいなら大丈夫だと思う」(あい)の気分を軽くするかのように嬉しそうな声で答えた。


「ありがとうございます! じゃあ、急いで行きましょう」


 (あい)はマイブリットの手を引き、エスカレーターへと向かった。このフロアからであれば1階のフードコートが近いが、賑やかすぎて落ち着いて話せないだろう。(あい)たちは、上りのエスカレーターで10階のレストランフロアへ向かうことにした。先ほど回った時に、都内でも人気の洋食店に目星をつけてある。


「そこのお店、季節のフルーツを使ったケーキがすごく美味しいんですよ。あ、マイブリットさんは、和菓子とかのほうが良いかもですね」


 確か、全国に展開している老舗の和菓子屋の甘味処も出店していたはずだ。お気に入りの店の一つだと、(あい)はマイブリットに紹介した。


「どちらでもいいけど……ランチにするんじゃないのか」とエスカレーターの下の段から、マイブリットが少し呆れ気味で見上げる。


「せっかくだからデザートも。別腹とはいっても、悩みますよねぇ」


 (あい)が腕組したまま真剣に唸っていると、突然エスカレーターが停止した。(あい)がバランスを崩したところを、「おっと」とマイブリットが支えてくれた。


「あ、ありがとうございます。でも、なんで急に----」


 (あい)の言葉は、けたたましく鳴り始めた非常ベルの音で遮られてしまった。


 

--つづく--

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