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第二話「はじめてのメール」第1節


 ----耳障りな、非常ベルの甲高い音が鳴り響いている。


「この警報、今度は何ですか?!」


 明るい色のブレザー姿の少女は電子ロックを解除してドアをくぐるなり、声を張りあげた。長い黒髪が似合う整った顔立ちは社会人と見るにはまだ幼く、緊張している様子が見てとれる。。


 その部屋は広く、数十台のモニターやPC端末が整然と配置されていた。この施設全体の設備を管理するコントロールセンターだ。


 照明は最小限におさえられ、モニター内の映像や数値の羅列が鮮明にうかびあがっている。端末の数に劣らず、スーツ姿や技術者風の作業着姿、警備の服装など様々な役割の人々が忙しなく動きまわり、大声で情報を交換しあっていた。その中の一人、上下を紺色のスーツでまとめた男性が少女の元に駆けよってきた。首にかけたIDカートからは、このコントロールセンターの管理責任者であることが読み取れる。


佳波(かなみ)お嬢さん! すみません、お迎えにあがれず」


「そんなことより、今度は何が起きたんですか?」


 佳波(かなみ)と呼ばれた少女は眉間に皺を寄せ、責任者の男性に尋ねた。男性は軽く頭を下げてから続けた。


「警報そのものは誤報です。突然、火災報知器が作動して……幸い、施設内のスプリンクラーはすぐにこちらで強制停止できましたので、テナントにも損害は出ていません」


 男性の説明が終わる頃、警報はあえぐように短く断続的になり、やがて沈黙した。室内の誰もが安堵の息をつき、緊張がやわらぐ。


 天井に埋めこまれたLED式の照明が不安定に明滅するが、数秒後には安定して淡い光を放ち始めた。見上げていた人々の表情に、戸惑いの色が浮かぶ。


「まだ安心しないで。すぐに原因を調査して報告してください。プレオープンは明日なんですよ」


 佳波(かなみ)は落ち着きながらも芯のある響きをもつ声で、コントロールセンターに詰めている全員へと告げる。集まっていた人々は、再び慌ただしく動き始めた。


 責任者の男性が、申し訳なさそうに口を開いた。


「それなのですが……プレオープンを延期できませんか? ここ数日でエレベーターが突然止まったり、管理システムがダウンしたりと、普通ではない現象が続きすぎです。深夜に人の気配を感じたという夜間警備からの報告もありますし……佳波(かなみ)お嬢さんからオーナーに進言いただけないかと」

「おっしゃりたいことはわかります。ですが、プレオープンはもう延期できません。なんとか、明日だけは乗り切ってください。アタシもできるかぎり手を打ちますから……お願いします」


 佳波(かなみ)は頭を下げた。責任者の男性へ深く一度、そして、室内にいる人々へ向けてもう一度さらに深く。そのまま、自分から頭を上げることはしなかった。


 根負けした責任者は諦めたように軽く息を吐き、人々に細かい指示を伝え始めた。冗談めかした不満の声と、鼓舞するような気合の声がそこかしこで応える。


「顔を上げてください。私たちも明日に向けて全力を尽くしてみますから」

「ありがとうございます」


 佳波(かなみ)は責任者へ礼を述べると、再度、全員へ向けて頭を深く下げた。


 佳波(かなみ)はコントロールセンターを後にし、施設内の通路を足早に進んでいた。途中、備品の箱を抱えた女性事務員とすれ違い、短く挨拶を交わしながらお互いに端へと寄った。この建物自体は大きいが、職員たちの移動用通路は決して広くはない。


 いくつも分岐のある通路を抜け、佳波(かなみ)は金属製のドアの前で立ち止まった。ドアには英語と数字の羅列、そして、関係者以外立ち入り禁止の文字が記されている。佳波(かなみ)は胸ポケットに留めてあったIDカードを使い、電子ロックを解除した。少しの間を置き、厚みのあるそのドアは鈍い軋みとともに開いていく。


 佳波(かなみ)は静かに足を踏み入れる。ドアが閉まる音を背中で聞きながら、佳波(かなみ)は明るい部屋を見渡した。


 大型トラックがおさまりそうな広いスペースに、幅広の個人ロッカーのようなベージュ色の金属製の箱型設備が並んでいる。目の高さに設けられた風防つきの窓からは、赤や黄色のランプと計器類が見える。キュービクルと呼ばれる、高圧受電設備を効率的に収めた部屋だった。


 佳波(かなみ)は目を閉じ、こめかみのあたりを指で押さえた。この部屋に入るといつも軽い頭痛がする。電気系統の設備が起こす低い駆動音が耳に重くまとわりつくせいかもしれない。


 ひとしきり圧迫感にも慣れたところで、「……いるんでしょ?」佳波(かなみ)は目を細めながら小声で呟いた。


 目の焦点が合うにつれ、部屋の奥のひときわ大きなキュービクルが配置されたあたりに、女性の姿が朧げに浮かび上がる。


 神社での巫女装束に似た白い衣に身を包んだ少女だった。黒髪を結い上げた頭には、金と銀で細工された飾りが乗っている。少女は俯き気味に佳波(かなみ)に視線を向けている。佳波(かなみ)よりはいくらか年下と思われるが、その姿は淡く透けており、人間でないことは明らかだった。


 佳波(かなみ)は眉根を寄せたまま、その少女を見つめていたが、やがて小さくため息をついた。


「ごめんなさい。せっかくアナタが何かを伝えようとしてくれているのにわからなくて……でも必ず、被害が出ないように何とかするから」


 弱音で始まった言葉を、最後には力強く締めくくる。それを聞き届けてくれたのか、少女の姿は周囲に滲むようにして消えていった。


 佳波(かなみ)がこの少女の存在に気づいたのは数日前だ。何か予感めいたものに誘われるようにしてこの部屋を訪れ、視えてしまった。不思議と、最初から恐怖感は抱かなかった。昔何度も、どこかで見かけたような、親しみにも似た感覚がある。だが、それ以上のことは今の佳波(かなみ)にはわからなかった。


 佳波(かなみ)は少女がいたあたりをしばらく見つめた後、両手で自分の頬を軽く叩いた。


「よしっ!」という気合とともに表情を引き締め、踵を返す。


 部屋を出て急いで移動していると、上着のポケットから振動が伝わってきた。スマートフォンの着信表示は警備室の専用固定電話からとなっている。


 また、何か問題が起きたのだろう。


 佳波(かなみ)は顔を顰めたが、すぐに平静を装いながら着信に応え、歩く速度をさらに上げていった。



 **********



 ----明見(みょうげん)高校の図書館のカウンターで日報を書き綴っていた(あい)は空腹を感じ、顔を上げた。


 掛け時計は、正午少しすぎを指している。今からやって来る生徒はいないだろう。(あい)は大きく一度伸びをした後、制服の襟元を整えた。


「マイブリットさん、そろそろ閉めますよ」


 離れた書棚の前で本を選んでいるマイブリットへ、声をかける。マイブリットは


「ん……」と短く返事をすると、数冊の本を手に取っていった。


 (あい)は、閉館の準備を手早く済ませていく。


 本来であれば夏休みの間の開館日は二名の図書委員が常駐する決まりになっているのだが、部活や家の用事などを理由に一名体制となることがほとんどだった。それでも今の(あい)のように慣れてしまえば、一名でもそれほど負担にはならない。そもそも、夏休みが始まったばかりのこのタイミングで学校の図書館を利用する生徒はほとんどいない。今日も朝の9時から開けていたが、閲覧室のドアをくぐったのは(あい)とマイブリットの二人だけだ。


 (あい)は閲覧室の遮光カーテンをすべて閉めると、マイブリットが待つカウンターへと戻った。


 マイブリットが持ってきた数冊の本の裏表紙の見返し部分から、紙製の管理カードを取り出す。カウンター内に置いてある厚手の管理台帳とあわせて、貸出手続きを進めていった。


 明見(みょうげん)高校の図書館の管理はいまだに紙を使ったアナログな方法だ。図書館が新しくなるタイミングにあわせてコンピュータを使った管理へ移行する予定だが、自分が卒業するまでに実現するかどうか怪しいと(あい)はにらんでいる。


 (あい)は台帳に自分の生徒番号と名前を書き、マイブリットがもってきた本の書名と管理番号を転記していった。


 マイブリットは1学期最終日に転校してきたため、生徒手帳も学生番号もまだ与えられていない。保証人的な位置づけで他の生徒の学生番号を使うことは慣例として認められており、夏休みに入ってからマイブリットが本を借りる際には、常に(あい)の名前と学生番号を使っていた。最初は遠慮していたマイブリットも、今では手続きの一環として受け入れたようだ。


 『明見町の農耕と灌漑の歴史』----著者名や版元が旧字体で記された一冊に興味をもち、(あい)は手を止めた。奥付をみると昭和初期のものだが、装丁も中身も驚くほど傷んでいない。


「うちの図書館、こんな古いのもあったんですね。これもレポート作成の資料なんですか?」


 貸出手続きを済ませた他の本とともにマイブリットへ手渡しながら、(あい)は尋ねた。


 留学生としてこの高校にやってきたマイブリットによれば、母校へいくつものレポートを提出する必要があるらしい。借りる本は、歴史や地理に関するものが多かった。


「ああ、なかなかおもしろいよ。このあたりは昔、水害が多かったらしいな」


 マイブリットは丁寧な手つきで数冊の本をトートバッグにしまう。キャンバス地に茶色の革をあてたシンプルなデザインのトートバッグだ。


 閉館のための作業をひととおり終えて、(あい)はマイブリットとともに図書館を後にした。高く昇った真昼の太陽が容赦なく照りつけ、校庭の木々から届く蝉たちの鳴き声が体感温度を上げているような気がする。


 図書館の鍵を職員室へ戻し、二人は並んで下校した。


 正門から続く長い坂を下っていると、汗と不快感がまとわりついてくる。(あい)はハンカチで汗を拭いながら、傍らのマイブリットの様子を何度も横目でうかがう。日焼けを微塵も感じさせない白い肌と、普段と変わらない落ち着いた表情は、まるでこの暑さに苦労していないかのようだ。


 そんなマイブリットをうらやましがりつつ、(あい)は口を開きかけては閉じることを繰り返す。話したいことがあるのだが、迷惑ではないかとどうしても躊躇ってしまう。


 (あい)の落ち着きのなさに気づいたのか、首を傾げたマイブリットと目があった。(あい)はあせってしまい、なんとか誤魔化そうと、先ほどの古い歴史の本についての内容をマイブリットに尋ねた。


 (あい)たちの住むこの明見町は今でこそ東京都心のベッドタウンとして落ちついているが、昔は農業を中心として成り立っていた。(あい)は小学生の頃の授業でそう教わっており、古い時代からそのようなものだと考えていた。マイブリットによれば、このあたりで農業が盛んになったのは最近で、江戸時代あたりらしい。


「江戸時代でもじゅうぶん昔だと思いますけど」、(あい)は落ち着きをとりもどしつつ、相槌をうつ。


「そうかな? 日本の農業を考えると、かなり遅いほうだよ。それまでは、灌漑整備も不十分なために水害も頻繁に起きていたらしいね。水の神様を宥めるために生贄を捧げる風習があったらしい」

「へー、じゃあ明日羽(あすは)橋のところにある祠って、そのあたりと関係あるのかもしれないですね」


 (あい)の思いつきにマイブリットが興味を示したので、(あい)は祠の場所を教えた。


 町の中央を東西に流れる大きな川があり、明日羽(あすは)川と名づけられていた。川に架けられた明日羽(あすは)橋は町の流通を支えている。その明日羽(あすは)橋の近くに、祠はあった。川や橋の大きさにはそぐわない、とても小さな祠だ。かなり古いものらしく、(あい)も由来は聞いたことがなかったが、(あい)がそばを通る時はいつも綺麗に手入れされていた。


 (あい)が説明すると、マイブリットは小ぶりのスマートフォンをスカートのポケットから取り出して操作し始めた。祠の場所などをメモしているのだろう。


 そんなやりとりをしているうちに、二人はバスの停留所に到着した。(あい)の乗るバスが近くまで来ている。残された時間は少ない。スマートフォンを扱っていたマイブリットの手が止まる。(あい)は覚悟を決めて、口を開いた。


「あ、あの……もし明日時間があったら、一緒に遊びに行きませんか?」


 一瞬の間を置き、「ごめん。たった今急ぎの仕事が入った」マイブリットは画面から目を離さずに答え、操作を再開する。メールの返信でもしているのだろう。


「あ、あー、仕事なら仕方ないですよね。残念ですけどまた今度で」


 (あい)は落胆が表情に出てしまわないよう、早口で話を切り上げる。バスのドアが目の前で開いたので、「それじゃまた来週」とだけ告げ、跳ねるように慌ててバスに乗りこんだ。


 バスは混んでおり、空いてる席はひとつだけだ。(あい)は座ったが、その位置からはバス停が死角になっている。バスが動き出した後に(あい)は少しだけ腰を浮かせた。離れていくバス停でマイブリットは見送ってくれていたが、その表情までは確かめることができなかった。


 (あい)は再び腰をおろし、大きな息を吐く。


「なかなかうまくいかないなぁ。どうしたらもっと仲良くなれるんだろ」


 膝に乗せたカバンからスマートフォンを取り出す。これまでずっと親からのおさがりの古い携帯電話だったが、先週ようやく新品のスマートフォンに替えてもらえたばかりだ。


「えっと……」


 指が画面の上を泳ぐ。アプリのアイコンと位置をまだ把握できていなかった。(あい)はメールをチェックした。新規は一通、件名はなく、内容は「りょうかーい!」と簡潔なものだった。


佳波(かなみ)ちゃんらしいなぁ」、(あい)は苦笑し、メールを閉じた。その拍子に指が電話帳アプリに触れてしまい、画面が切り替わる。電話帳に登録してある連絡先は家族と、「佳波(かなみ)ちゃん」だけだ。


 (あい)はカバンにスマートフォンをしまいつつ、一通の封筒を取り出した。官製ハガキよりは少し大きな洋2サイズの硬い封筒で、宛先には(あい)の名前が達筆で記されている。


 封筒に収められていたのは、二つ折りの案内状だ。手触りのよい高級紙で、駅前に建設されていた大型商業施設のプレオープンへの招待状となっている。開催されるのは明日の土曜日だ。


 仰々しい挨拶や施設への地図が載ったその招待状の目立つ場所で、「彼氏つくってつれてこないとしょうちしないよー!」と佳波(かなみ)の丸い文字が強く主張していた。


「一人でも行くしかないかぁ」


 (あい)は苦笑し、再びスマートフォンを取り出すと、その施設へ向かうバスの時刻を調べ始めた。



--つづく--

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