典型的なろう読者って妄想2
私は読者の現実的な生活を作品から推測するって話しが嫌いだ。娯楽と言うのは所詮息抜きだ。だからリアルが反映されない部分が大きい。そこをあーだこーだと言ってみても結果論的に偶然的中することは有るかもしれないが、そんなのあてずっぽに過ぎない。知的な推測じゃない。しかも決まって差別的に扱われること多いんだ。
以前からずっと書いてるが、今回のその話をしようと思う。なろう作品のノーストレスについて、現実のストレスから勝手に想像するが、正直どうか?と思う。なろうのノーストレスの根本はなろうでは展開の刺激が外より強く求められて無いって事になる。
どうしてなのか?ここは基本多くのオタはすべてのストーリーに飽きてる。だからこれは中年の話だけになる。正直これも反論になる。若者の支持層と中年の支持層が同一の生活スタイルであると言う発想に繋がるからだ。私がいつも書くのは中年を基準にしたもので、若者がなろうをそれなりに支持してる理由がさっぱり分からないんだ。
私なりに考えたものは、1周回った説になる。あらゆるものに飽きてシンプルなものが好きになるって理屈に成る。中年は多分これだと見てる。若者は単純にシンプルなものが理解しやすいからじゃないか?とは見てるが、これはかなり適当だ。
幼稚で成長の無い大人ってのがなろうの差別的な読者像だと思う。だがなろうが時代劇を年寄りが見るのととても似てるのは指摘した創作論は多い。私は真っ向からこれは違うと言ってるのは、時代劇と世界観が違うからだ。ストーリー構造自体で勧善懲悪に近いものが好まれるのは似てると思ってる。
時代劇と同一視する時に世界観を無視して話すのは危険だと思ってる。
実際時代劇は違うが、今の中年はアニメ漫画でオタクじゃなくてもかなり物語に触れてる人が多いと思う。昔の時代劇もドラマを中心に現代劇に飽きた年寄りが帰ってくる場所って感じじゃないかと思う。そして今実写ではこれが刑事ドラマになってるのじゃないか?と私は見ている。
後はファンタジーを好むジャンル的なものが加わってると思う。特定のジャンルを好む集団は、大きなストーリー展開の刺激より大筋はジャンルが持つツボを抑えて、細部の違いを好むようになる。じゃそっちじゃないの?それは違うのは、明らかにゼロ年代のバトル系やラブコメの学園者のラノベの影響がファンタジーに見られるから。要するに両方の要素だと考えられるから。どちらの方向もストーリー展開の刺激をあまり求めて無い。
ただし、注意するベキなのは、ストーリー展開アリなしぐらい極端なものじゃない。その点はけいおんなどに代表されるようなきらら日常系とは違う。これは何度も指摘してるが、きららと較べるとなろうのノーストレスなんて普通の良くある少年漫画レベルに過ぎないとなる。なろうで求められて無いのはエヴァンゲリオンを代表とする鬱展開であり、ノーストレスと言う極端な展開ではない。
ストーリー展開の刺激が弱いのであって、無いわけじゃないから。その証拠としてなろうにはきちんとストーリーの流行があるから。ただ大枠としては求めるものはそう変わらないって部分がある。
ただジャンルの縛りってのはなろうはかなり弱い。刺激的な作品が現れないだけで、多分異世界以外でも刺激的作品が現れれば流行すると思う。それを生み出すのが大変なだけであって。そもそもローファンタジーよりSFに近いVR物も一応人気が有るので分かると思う。この点なろうにおける重要なのはファンタジーや異世界ってジャンル的なものじゃなくて、非現実的な要素を含むか?と言うと現実的なものに対する不純物的な意味が大きい。なろうは不純物アリの方が明らかに人気があるだけだと見ている。
このストーリー展開の刺激が強く無くて良いって部分は、なろうの内と外の好みの違いにも如実に現れる。基本、なろう作品が受けないのは、ストーリー展開の刺激が弱いからになる。そして何故面白いのか?分からないがまさにこれになる。ストーリー展開の刺激を重視してみてるものになろうの面白さが分かるはずが無い。だって重要な部分が軽視されてるから。
しかもアニメに限っては、キャラ可愛いを重視する層が多くて、一見ハーレムでそういったものが求められてるように見えるが、なろうはキャラ可愛いは軽視してないが、アニメほど高みを追及して無い。これもストーリー展開の刺激と同じだが、キャラ萌えがあるか?無いか?じゃない、刺激が弱いってだけ。
ストーリー展開の刺激が弱くても良いは、生活スタイルとは全く関係が無い。こんな事をイチイチ想像するってのは不真面目だと思う。ちゃんと考えようとせずに差別的な妄想を膨らませるのが目的化してるからになる。中身見ればすぐストーリー展開の刺激が弱いと分かる。だが、ストーリーが面白く無いじゃ解けないんだ。
そういった漠然と面白く無いって片付けるから分からなくなってるだけで、どこにポイントがあるか?と見れば分かってくる。そしてこの経験とともにシンプルなものを好むってのは、絶対じゃない、あくまで多数派はそこに落ち着きやすい。そこに落ち着かないで、追求し続ける人達も居る。
同じオタクでも2分するのはそこじゃないかな?と見ている。結局それを言うと、なろうに批判的な人ってマニアじゃない?ってなってしまう。彼らは何とかして自分たちが多数派だと言う事を言いたがる。かなりの長い期間の経験を経れば、展開の刺激を求めるのはきついって分かるんだ。
生まれないわけじゃない、でもそれらが生まれるのには作品数に伴った時間経過が必要となる。大体の人間はそれに感覚的に気がついて、自分の個人的な好みを繰り返し見る事に落ち着くんだ。
ストーリー展開の刺激が目的になるんじゃなくて、結果としてそういった刺激があるのは嬉しいなって誤算程度で片付ける。それが出来ない人間がストーリー展開の刺激=ストーリーの面白さになってると見てて、それは小数派なんじゃないか?と見ている。
国民の大多数が面白いものなんて無い。一般人という幻想を捨てろとずっと書いてるのは、特定の物の愛好者をマイノリティとして差別的に見るのに対して、じゃマジョリティが好むものなんてあるのか?となると多分今の時代無いんだ。何度も書いてるが、マイノリティが好むものが主軸で、それ以外の人達が居るだけなんだ。それこそが現代におけるマジョリティの正体なんだ。