4 美青年を巡る考察
私はエリアーシュの口元に手をやりながら呟いた。微かに鼻腔からの風を感じる。生きていた。酷い視線を向けられたけれど、死んでいなくてよかった、と純粋に思う。邪な私の心は、美青年の死は全世界の損失、などと言っている。
「いや、触らなければならなかったでしょうね、イリスフロラ。服を見て御覧なさい、泥が乾いていない。今は雨季だけれど、今日は日差しが強かったから、夕方でも濡れた布がよく乾く筈です。ここで竜が倒れてそんなに時間は経っていないのが幸いでしたね……この場所は既にライマーニ領ですが、ここは他の領の者も自由に利用している街道ですから」
兄は後ろを振り返って騎士を一人呼び、身を清める為の道具一式を持ってくるように、と言いつけた。父と兄の乗っていた竜車からさっと使用人が降りてくる。
「……ライマーニの者が罪に問われる前に保護するのですか、お兄様」
「ええ」
領地の者が疑われ、ライマーニ地方を管理するハンセル家の者が悪い方の意味で責任を取るなどという事態を回避せねばならない。竜車の方に目を向ければ、父も頷いていた。
「保護したとしても、アイデルの者に、ハンセルの者が攫ったなどと言われたらどうなさるのです、お兄様?」
「快癒したアイデルの若君に説明をいただければよいのですが」
「アイデル家が彼を見捨てていた場合はどうなさるのです、次期ライマーニ伯爵?」
「……彼はアイデル家の一人息子ですよ?」
おっと、推しに困った顔をさせてしまった。でも表情があまり表に出ない貴族系イケメンのこういう表情もいいな……非常に美味しい。ありがとうございます。身内だけに、文字通りの家宝である。
そうじゃなくて、ここでエリアーシュを保護しようがしまいが、非常にマズい立場に立たされる可能性が高いのが、ハンセル家及びライマーニ領だ。他の者が見つけた、などということになっていたら、もっとマズかっただろう……私たちの所に竜の死体と人間を見付けたという話が来るまで、どれだけ掛かるだろうか。領民が見つけた場合は最短で二日くらいだろうが、街道を利用している他の領地の者が見つけた場合であったならばどうだろうか……そうなると、ライマーニの誰かが手を下したことにされる可能性が高い。そしてそれはハンセル家の責任となる。
そして、アイデル=バルタールの一人息子がこんなところで倒れているというのも非常におかしな話だ。共に行動していた者たちを全て逃がしたというのならまだ納得はいくのだが、一人息子にそんなことをさせる親がいるだろうか。いたとしたら、息子が必ず帰ってくると信じているか、はたまた……魂獣持ちの息子を犠牲にせねばならぬ程の何かを抱えているか。因みに、貴族が五百人いるとしたら、そのうちの一人が魂獣持ちといった具合である。貴重な人材をこんなところで失うリスクは高い。
エリアーシュは私の竜車の中で身体を清められ、服を着替えさせられた。
私は兄が十三歳の時に着ていた服を借り、騎士に騎竜を借りて、湿原の中程にある小高い場所に建設された砦まで、布を掛けられた巨大な荷台の後ろを追従した。しかし、誰が兄の古い服を入れていたのだろうと疑問に思ったら、私が騎竜に乗るのが好きなのを知っていて気を利かせてくれた母だった。ありがたい母である。城に帰り着いたら、最近開発したばかりの、こだわり調合の全身用泥パックを進呈しておこう。
騎竜の背に乗って、暮れなずむ空の下の湿原を眺めながら行く街道の旅は、私を落ち着かせてくれた。それは兄も同じだったらしい。言いようのない不安をお互いに紛らわせたかったのだろう、私たちは他愛のない話をしながら殿をつとめ、砦までそのまま進んだ。
砦に到着して私たちハンセル伯爵一家が今宵の寝所を定め、ギロゴも一緒に執務室に集まってから、使用人は父と兄と私が話し合っているところにエリアーシュが身に着けていた服を持ってきた。
「ご覧下さい、間違いなくアイデル=バルタールの者である証です」
泥にまみれた衣装は水で粗方清められていた。胸元には、砂漠に近いバルタールを思わせる砂の薔薇を象った薄い色の意匠に、濃い緑で今にも飛び立たんとする翼を拡げた竜が組み合わせられた模様が細かく縫い取られている。アイデル家の紋章だった。竜を取り入れるのは、王族或いは非常に力のある貴族の証だ。
「二十年前、アイデルの家紋は薔薇のみであった筈だが」
父の言葉に、私は思う。もしや私たちが回収した竜の死体は、彼の魂獣ではないか。
「……厄介なことに巻き込まれてしまったかもしれませんね」
まるで私の思考を汲みとったように、兄が表情を動かさずに言った。
最悪の場合、恐らく、誰かがウチの没落か何かを狙って、罪をなすりつけようとしている。招宴でエリアーシュと私の兄夫婦が視線だけでやり合ったのに気付いた者がいて、それを利用したのかもしれない。だとしたら、目をつけられた原因は多分、ライマーニの発展を促した私。ついでに辺境伯の方も攻撃したいと見た。発展中のライマーニと南の要所であるバルタールを欲しがる誰かが存在している可能性がある。その理由は、大陸の覇者となり、世界の何処かにいるとされる六柱の精霊王の加護をどれかひとつでもいいから手に入れて、豊かさを享受する為か、はたまた世界を富ませる為か、滅びたとみられる文明の遺跡に存在する不思議な機械の数々を解析して力と成す為か。最早壮大がすぎる妄想の域を出ない代物であるけれども、合っているだろうか。
「面白い見立てだ」
以上のことを話すと、父はにやりと笑って頷いた。
「しかし、アイデルの若君が目を覚まして、且つ話を聞かせてくれる、というのが重要だ。彼の体調は如何かね?」
「発熱はなく、呼吸及び脈も安定しております。今は穏やかに眠っておられます……ですが、左手に何かを強く握っておられるようです、私の力では開かせていただけませんでした」
使用人に同行していた医務官の男性は淡々と答えた。非常に口が堅く、ハンセルの血族にしか口を開かぬ程である。それ故に未だ伴侶もおらず、未通のまま三十五歳を迎えてしまったらしい。
「左手はそのままでよい、今は様子を見るように。何かあればすぐに呼んでくれて構わない」
父はそう言って医務官を下がらせた。
エリアーシュは客間の寝台に寝かせているらしい。騎士を伴うのであれば入室しても構わない、と、父からは言われている。この世界、この大陸の西部に位置しているサルディーア王国は、未婚の男女が二人きりになることについてとやかく言う風習はないようであるが、相手が相手であるので何か起こることは避けたいようだ。
「何かを握っているというのでしたら、お目覚めになるまでお待ち申し上げた方が宜しいのかもしれませんね」
私のもう一人の推しが穏やかな声色でそう言った。アルデレールは今日も涼やかで麗しく、その目元は落ち着かせてくれる。ああ、このご尊顔を拝する度に課金したい欲が刺激される。泥パックと米で経済を回しつつ、綺麗な姉の為にドレスでも仕立てさせたい。
ライマーニ領では、暑さを少しでもやわらげる為、大抵の服は身体の前のみを覆うような形状をしている。上着を羽織ることもあるが、薄手だ。鎧を着る者は皆、防御の術式を組み込んだ薄い羽織で背を保護している。何が言いたいかというと、女性たちが着るのは、ガバっと背の空いたドレスなのだ。太腿のあたりまでスリットが入っているものだってある。涼やかな美人によく似あうセクシーな意匠だということがわかるか? わかれ。
そんなことを考えている私の横で、兄は少し難しい顔をした。常々思うが、バルトグレイル・ハンセル=ライマーニという十九歳の若者は、結構表情が豊かな人だ。
「……まだお目覚めになる気配はないようでしたけれども」
【ネタメモ】
衣装については、東南アジアの下着「イェム」の魔改造のような感じです。