8 課金する以前の問題だったんだからな!
そう、あの光景をよく覚えている。草の繊維を編んだ粗末な服に身を包んだ民が、何と、湿原に自生している稲の穂を刈っていたのだ。質素であるとはいえ自分達はのうのうと城で生活しているのに、民の暮らしが日本の弥生時代以下であることに衝撃を受けすぎて、何にも言葉が出てこなかったのだ。これらは後で知ったことだが、野菜を育てている他の領地はあった。しかし、パンの原料となる小麦は大陸の北部の国から輸入していたのだという。それも貿易を担っていた領地の意向で流通を調整され、価格もコントロールされ、ライマーニに辿り着くことは殆どなかったのだ。
広大なエイサル湿原を彷徨う民。
前世を思い出した私の、初めて見た外の光景である。
そう、彼らは何を食べて生きているのか、私は父に訊いたのだ。
「そこから一番近かったのは、レンマルトの村でした。竜車が通れるような道など、当時のレンマルトには敷設されておらず、その村へ徒歩で向かったのをよく覚えています。そこで暮らす民は、湿原の食べられる植物を知っていて、その種子を水で焚いてふやかし、食事の足しにしていました。あの時、彼らの主たる食材は、小さな畑に植えられた野菜と、そのふやかした種子と、村を襲う巨大鳥を運よく退治できた時に得た肉、主城から配給される草食竜の肉でした。ですが、民の数は少なく、聞けば、先日の鳥の襲来で、一番強い村人は怪我をしてしまっているとのこと。次に襲われたら、レンマルトの村はひとたまりもありません。おまけに、民は周辺の大沼蛙を、食料の足しにする為に、狩り尽くそうとしていたのです」
いやだ、いやだ、とギロゴがケロケロ鳴いていたのを思い出す。蛙の魂獣に戸惑っていた私には、同じ水溜まりで育ったあいつが食われてしまった、という慟哭が、とても哀れに聞こえたのだ。
友達を喪うのが悲しいのは、人間も蛙も一緒なのだ、と。
「わたくしの魂獣は大沼蛙の王太子、ギロゴです。あの時、わたくしは、沢山の同胞を喪った相棒の嘆きを聴き、それを父に訴えました」
ついでに、ギロゴは前世の記憶を取り戻した私に、こんなことも言ったのだ。
――あいつらが食べている種子を増やす方法、お前、知ってるだろ? どうにかしてくれよ!
民が穂先だけ刈っているのは、種子の重みで、優雅にお辞儀をするかの如く垂れ下がった、黄金の稲穂である。地球の稲によく似た姿かたち。
「すぐ近くに生えていたそれを一房だけ刈り取って貰い、王都の屋敷へ持っていき、民と同じ方法で調理をして、家族と一緒に頂きました。とても美味しゅうございました」
それは、まごうことなき、米であった。
「わたくしは父に尋ねたのです。この種子を、沢山集めて、栽培して増やす方法はないのか? と。父はこう説明してくれました……考えたことはあるけれども、この広い湿原を回って大量に集めるのが困難で、人手も足りない、と。集めて植えようとしたという報告も貰っているけれど、大抵そこには稲の葉を食らう虫と稲の種子を食らう毒性の草食竜族が沸いて、稲も病気を得て、すぐに使い物にならなくなる、と。ならば、とわたくしは、父の助言を基に、大沼蛙の王太子殿下に提案したのです。この植物の種子が沢山獲れるところを教えて欲しい、その土地がどういう風になっているかも教えて欲しい、そうしたら、あなたの同胞をこれ以上喪わずに済むかもしれない、と」
大講堂はしんと静まり返っていて、皆が私の話に耳を傾けていた。あれだけ私を悪し様に罵っていた令嬢三人も、である。シェザイルは振り上げた拳の下ろしどころ見失ったようで、それがちょっとだけ可哀想だったけれど、後で何かストレス発散になるようなものでも教えよう……協力できる範囲で。
「そこからです……ギロゴの助けを得て、父は兄と私を伴って、ライマーニのあちこちへよく出掛けるようになりました。幸い、レンマルトの周辺には稲が自生する環境が整っており、稲につく虫は大沼蛙の糧食となることが判明致しました。毒性の竜は巨大鳥に食われ、生息していてもすぐに狩られてしまうということもわかりました。後は道さえあれば、いつでも騎竜と騎士を派遣することが可能です……協力をしてくれたギロゴの一族である大沼蛙の天敵となる肉食の大蜥蜴や竜の眷属を狩り、人から巨大鳥を遠ざけて毒の竜だけを襲うように仕向ける為に。私達はその村に三ヶ月程留まりました。その時に知り合ったのが、後のローゲ男爵のご子息……そこのシェザイルです。ローゲ男爵は主城にいらしていて、その時は事務方に回っておりましたが、この事業の為に男爵位を授けられました。私達が三ヶ月そこにいる間、とても強い父と戻ってきたローゲ男爵と騎士達が鳥を追い払い、民はイブルアームの主城まで続く道を築きました。資金は父の借金です」
今思えば、一度は挫折したことを、幼い娘の情に突き動かされただけの言動で再び進めるなど、どうかしているだろう。でも、父は蛙の泣き声に耳を傾け、有用性に気付く人だった。そうして、稲の自生する場所を特定し、村の整備と湿地の農地転用を図ろうとしたのだ。成功すれば食糧事情が改善される。結果的にいい方向へ転んだだけだ。
因みに、現在レンマルト村周辺では、毒性の草食竜を食らう巨大鳥を飼い慣らそうという試みもある。
「八歳になった頃です。わたくしは民が沢山の種子を取れたと喜んでいるのを目の当たりにして満足しておりました。しかし、兄は、その植物を一株ずつ植えていく作業が、民の負担になるのではないか、と仰いました」
兄のバルトグレイルは地球知識チートさえ持っていないが、非常に聡明な人物である。指摘はその通りだった。たった三年で、腰を悪くしてしまったという民が何人もいたのだ。ついでに私も暇をしていたので、前世の記憶から参考になりそうな知識を拝借して、父に訴えてみた。
「そんな折に、父が王都へ行く時に牽かれてきた竜車を見て、ふと思いついたのです。これにあの植物を乗せて開発した水田へ綺麗に落としていけば、楽に植えられるのではないか、と。同じ方法で、収穫も楽にできるのではないか、と」
突然の機械化である。ちょっと文明を進めすぎたような気がしないでもなかったが、それは杞憂だった。
この世界には魔法があった。
最初は改造した竜車を嫌がる竜に無理矢理牽かせて田植えを行っていたのだ。だが、転機は三年後に訪れる。魔術研究所から、滅びた文明で使用されていたと思われる魔石動力の大まかな仕組みを解析することができた、との連絡が来たのだ。
ヴィーネ教授は、からからと愉快そうに笑って、座ったまま私を見上げた。
「イリスフロラ嬢が八歳というと、八年前か。ライマーニ伯爵が騎竜協力を締結する竜族を沼地に生息している種に変更して、尚且つ竜車の改造に着手しているなどという噂を聞いた時は、すわ反乱か、と驚いたけれど、詳しく伺ってみたら農地改革と道具の改良だったから、面白そうだと思って。色々と乗っかって、友人の考古学研究者や魔術学教授を巻き込んで、君の御父上に魔石動力の情報を提供したりしたなあ。それが色々転用されて、水道の整備や魚の養殖にまで繋がったのは嬉しい誤算だった。バルトグレイルの若様も、この学院に入学する直前まで、技術屋と一緒に走り回っていた記憶がある」
兄が一緒に走り回っていたのは、多分、私と上手くいかなかった技術屋である。頭が上がらない。課金しよう。
「……ヴィーネ教授も、御協力下さっていたのですか。感謝申し上げます」
「いや、いい娘さんだ。ライマーニ伯爵も自慢だろう」
ヴィーネ教授は、私に向かってにっこりした。
そうなのだろうか。沼に咲く花の根が食えそうだとか、改造した竜車に乗ると尻が痛いだとか、村や町の排水溝が臭いだとか言って、父や兄を振り回していた記憶しかない。
そもそもである、こんなに貧しい土地で、何をどうしたら推し――当時は兄であった――に課金できる状況が整うのだ?
それに、私はただ適当なことを言っていた、それだけだ。形にしたのは他人である。
ヴィーネ教授が、おもむろに立ち上がった。
「さて、ここで、だ。直接のきっかけはライマーニ、レンマルトの廃村の危機であったが、復活させた魔石動力はどのような面で運用されていて、どういった効果を上げ、どのように現在の王国経済に寄与しているか。考古学者が読み解いた遺物による記録と、西方の永命種族に残る記録から、失われた文明ではどのような魔石動力技術が展開、運用されていたか。本日、私が提示するのは、ライマーニの記録と、過去の記録だ」
拍を取る大きな音は、その手から二回。
「その違いから、発展と滅亡を読み解いてみよう。さあ、諸君、着席したまえ。講義は始まったばかりだ」
【ネタメモ】
・この場面を書く為に色々と湿地や水田や農地について調べていましたが、お嬢はアイデアマンなだけなので割愛です。ざっくりとした生態系の話は参考になりました。以下にアドレスを置いておきます。
http://www.hokkaido-jin.jp/issue/sp/200309/special_04.html
というかこれ、イリスフロラ嬢がラッキーすぎるだけかもしれない。




