3 度胸は無課金装備
先導していた騎士が止まって、何かから守るように、行く手に腕を出してきた。
「……お見せできるようなものではございません、姫様」
「どうしてかしら?」
「不浄です」
溜息のような、呻き声のような、何だか見てはいけないものを見てしまった時に思わず出るような音を、集っている騎士たちが発し、口々に死んでいる、死んでいると言っている。その中には兄もいた。
何となく想像はついた。
「確かに、獣の死体は疫病と不衛生のもとになりますわね」
「……ただの獣ではございません、お引き取りを」
「いいえ」
だが、はいそうですかと引っ込むわけにはいかない。私は伯爵令嬢だ。兄の代わりにこの家を継ぐにしろ、どこかへ嫁に行くにしろ、汚いものを見ず綺麗なものだけに囲まれて生きていくなど不可能だろう。前世で読んでいた本、とりわけ小説には、そういうことが沢山描かれていた。物語のノリで生きるつもりはないけれど、それらが私に勇気をくれたのは確かだ。
ついでに私は、ギロゴの言葉が引っ掛かっていた。
「兄だけ見て私が見ぬという選択肢はございませんわ、同じ血を引く兄妹故に」
騎士の腕をそっとどけて、私は歩を進める。見えたのは巨大な棘のある背中のようなものだ。その横に何かぼろぼろの膜のようなものが畳んであるように見える。散らばる四肢は屈強な男二人ぶんの長さ、頭には優美であったろう一対の角、力なく開けられたあぎとには鋭い歯。
飛竜の死体だ。湿原や沼地では珍しい。
「姫様」
「私はハンセルの娘、ここはライマーニの領地ですわ。下がって頂いても構いません」
「……仰せのままに」
騎士がまた私の先導役に戻るのを横目で見ながら、更に近付いた。一番近くにいた兄が振り返って私の姿を認め、顔をしかめる。先頭の竜車の窓は開いていて、そこから険しい表情の父が顔を覗かせていた。私に似て丸顔の系統ではあるが、鍛え上げられた身体は兄よりも逞しい。砂色の髪は短く刈り込んでいて、私たち兄妹と目の色は同じだ。
「イリスフロラも来たか」
「ええ、お父様……ギロゴが不思議なことを言ったものですから」
「不思議なことか」
父は催促こそしなかったものの、目線だけで続きを促してきた。かなり厳つい見た目に反してとても穏やかで理性的な人である。ついでに、この不穏な事態に私が竜車の外へ出るのも見越していたらしい。
「一人生きている、とおっしゃったのです」
「他には?」
「ございません」
そうか、と頷き、父は私から視線を外して、バルトグレイル、と兄の名を呼んだ。
「これを撤去し、街道を清め、周囲を調査せよ。竜は無闇やたらと人を襲わぬし、恐れずとも死んでおる。これは持ち帰る」
「承知致しました、父上」
我が領地で竜が死んでいることは珍しい。父は私に意味ありげな視線を送ってきた……お前が研究しろ、ということだろう。
そう、本城における生活のあまりの不便さに不満を抱き、娯楽にも飢えた私は、前世の知識を活かして、美しいエイサル湿原とイブルアーム沼地の一部を活用させていただくことにした。米が自生する湿原で、それを刈り取って食糧の僅かな足しとするだけであった民に、湿原を水田へと変える技術を。薄桃色の花が咲く程度であった本城周辺の沼地では、花の根が食べられることを突き止め。徒歩で移動するしかなかった道を水田に沿って整備させ。尻の痛くならない竜車を開発させ。家屋を改良させ。水精霊の力を借りて下水を整備し。食用の淡水魚の養殖を研究させ。ギロゴの助言を得て泥を加工させて肌に良い美容品……もとい、泥パックを生み出し。
全てにおいて乏しかったライマーニの水気たっぷりの大地は、私と父と兄、その他補佐として活躍する子爵たちの睡眠時間と引き換えに、徐々に豊かになっていった。他の貴族たちから不自然だと思われぬように、費やした時間は十年。人口は二倍。ヤバい。本読みでよかった。やがてうちの領地に目をつけたトゥーリウス公爵のところからやってきたアルデレールは、肌の乾燥に悩まされていたので、泥パックを大いに喜んだ。その結果に兄も喜んだ。推しカプの健やかな夜の生活と笑顔、プライスレス。尊い。
その為ならば、私は身を粉にして尽力しよう。遠回しだけれども、推しに課金。ガチャじゃない、確かな課金。
「わたくしが後方へ参りますわ」
「騎士も多くつけよう」
「ありがとうございます、お父様」
そうと決まれば全ては早い方が良い。騎士たちの手を借りて、私は動き始めた。街道は竜車が三台並んで走ることができるくらいに広いが、竜はそこをしっかりと封鎖してしまっている。私たちが通る為には片付けてしまわねばならなかった。
いざという時の為に、竜車には、余剰の板や、葦で編んだ丈夫な担架を幾つも積載している。三台の竜車に分散していたそれらを全て集めて、巨大な荷台を拵えて貰った。
騎竜に乗ることはあるが、飛竜に乗ったことはない。もしも怪我をしているだけの個体であったら、友好的に接して乗せて貰うことは可能だっただろうか……と、残念な気持ちになる。首のあたりを力一杯押すと、まだ弾力があった。死んで長い時間は経っていないようだ。陥没も見られない。回って確かめれば、翼も落ちていない。
「姫様、あまり無闇に触られませんよう」
「まだ大丈夫ですわよ、おそらくは――」
折り畳まれた翼を見下ろした時だ。その下に、泥にまみれた布のようなものが見えた。
ギロゴの言葉を思い出す。一人生きている?
私は顔を上げて腹の奥まで息を吸い、声に力を込めた。
「皆さま、お手をお貸し下さいませ。翼の下に何かございます」
騎士たちは私に従ってくれた。
掛け声とともに、翼を持ち上げさせる。布の塊が人の形をしていた。私は思わず兄の袖を引っ張った。
「お兄様」
「……見るのか」
見上げた兄の顔は渋い。もう一度視線を落とせば、布の端から輝くような金色の糸のようなものがはみ出ている。披露目の招宴で見たような気がする。
「……捲るわ」
「何も、あなたがせずとも」
「いいえ」
兄に止められたが、私はそれに近付いた。女も度胸。それに、相棒の保証付きだ。
「ギロゴが、一人生きていると言ったのです」
そう言って、水を含み、泥にまみれた重たい布を、力一杯引っ張った。
金色の糸のようなものは、やっぱり髪の毛だった。泥の上に散らばるそれは肩までの長さだろう……目にかからないくらいの長さで整えられている前髪と一緒に乱れて、もつれてしまっている。目は固く閉じられていて、何色なのか分からない。すっと通った鼻筋、吹き出物ひとつない白磁の肌、血色が悪いが綺麗な形の唇。更に布を剥がすと、豪奢な絹の服に包まれたしなやかな胴と四肢が露になった。身に纏っている者の目の色と同じ、翠に染められたこの衣装を、私はつい最近見たことがある。
そう、私は、顔を見た瞬間に目の色を思い出した。何故なら、今ここで泥の中に力なく伏しているのは、披露目の招宴で嫌悪だらけの視線を寄越してきた輩であったからだ。
「……エリアーシュ・アイデル=バルタールどのではないか」
何故こんなところで、と、兄が呻いた。私も同じ気持ちだ。バルタール領は我がライマーニの南東に位置する辺境、砂漠の国レストールとの国境に位置している。招宴からの帰りに襲われたのだろうか。竜の翼の下にいたのは何故か。彼にも魂獣がいる筈だが、その獣は、彼が危機に瀕している今、何処にいるのか。
エリアーシュはバルタール辺境伯爵の一人息子で、彼は私と同じように、付きの騎士たちを従えて登城し、両親と共に招宴へ参加していた筈だ。他の人間はどうしたのか。
「……触ってはいけないものだったのでしょうか」
【ネタメモ】
蓮と蓮根のことを考えていました。てんぷら美味しいよね。