10 明日も生きよう(使命感)
私の諸々に疑問を覚えつつも、エリアーシュは、色々考えてみます、と言ってくれた。
「あなたは、何だか、アヴァンティアに似ている……ほんの少しだけ、良いですか」
しかしまさか、こんなことを言われて、私の首筋で額を暫し休めるなどという行動に走るのは流石にどうなのだろう。いや、その前に、純情な男の子に思いっきり胸を押しつけた戦犯は私だったわ。私が先に手を出していたわ。違う、これだと語弊があるな。とにかく、他人のことをとやかく言える立場などではなかった。
おかしいなあ。地球時代は本ばっかり読んでいたヲタで、その中でも小説が好きで、カップリングか単体萌えに走っていくタチで、好きな二自創作やらオリジナル同人誌にはジャブジャブお金を使っていて、プロアマ問わず推しキャラと推し作家に貢ぎまくる人間だった。夢女子出身でも何でもなかった筈だったのになあ。どうしてこうなった。今現在置かれている状況が夢女子大興奮シチュ。でも私にとっては戸惑いしかない。観葉植物と現金自動預け払い機を兼ねたようなクリーンでエコな存在でいたいと思っていたところにこれだよ!
ああ、でも、推しの金色の髪がサラサラで、本当に綺麗だった。鼻を啜る音が聞こえたからうっかり頭を撫でてしまったけれども、なんかもう見事に整った形だったし、それが掌に擦り寄ってくるとか、どんなご褒美だろう。私の羽織の袖の所をきゅっと握ってくる手はやっぱり雄のもので、力強かった。首筋の向こうに見えた背中も、思っていたより大きくて広かった。ついでに胸の上の方に掛かってくる鼻息のぬるさが、彼もまた一個の身体を持つ生き物であることを意識させて、妙に胸が騒いだ……もう、心の中に建設された一つのステージ上で、読経とサンバとオペレッタとロックフェスとだんじりと滝行が同時開催されていたような気がする。意味が分からない。こんなサービスは聞いていない。私はどれだけ課金すればいいのだろう。皆が手に入れたくて躍起になっている――王でさえ手に入れていない――六属性のうちどれかの精霊王の加護を手に入れて、その流れで王になって、ついでに大陸を統一すれば、足りるのだろうか。米と泥パックを他領やら王都に向けて売っているだけじゃ絶対に追いつかない気がする。
世のヲタたちが石油王になりたいとか五千兆円欲しいって言う気持ちが死ぬほどわかる。
「ちょっと恥ずかしいですね」
待って欲しい。ここではにかみながら言うセリフがそれか。そんなに純粋な育て方をしたというのですかあなたのご両親は。無理だ。しんどすぎる。
「先程のあなたのように、アヴァンティアは、いつも私を勇気づけてくれました。理性的で、それでいて人の心に寄り添う言葉を掛けられる存在は、稀有です」
そんなことを言われたら、泣き顔にほのかな笑みが咲くところを見せられたら、砦にいても私の命が危ない。援軍を呼んでイブルアーム沼地に帰る前に心臓発作で寿命がマッハだ。この推し、世界の宝であると同時に、大量破壊兵器に等しい威力をその顔面と境遇に秘めている。そうかあなたが神もとい精霊王か。精霊王が推しなら私はしっかり加護を受けていると解釈してもいいだろう、死ぬどころか一周回って明日も生きよう。
などと考えながら、私はゼルクトに連れてこられたファルニウスとジグ、他の二人の騎士たちに事情を説明し、退職金は後払いにするという一筆を即席でしたためて持たせ、体感で三分間だけ待ってやって、準備をさせた。別に私は銃など構えていなかったしサングラスもかけていなかったが、四十秒よりは良心的だと思う。
四人の騎士たちは、己らの置かれた立場に戦々恐々としつつも、その目を使命感で燃やし、しっかりと笑顔で頷いて、旅立っていった。博打みたいなものなのに、付き合わせてしまって非常に申し訳ない。でも、上に立つ者はそういう覚悟をいつも持って人を動かさねばならぬのだ。せめて四人が無事であることを祈りつつ、私は街道近辺をどうにかできないか、ギロゴに相談した。
「そこは何とかやってみるぜ、任せな」
とのことだ。最高にイケメンな相棒である。
本人……否、本蛙たっての希望で、私は情報収集及び情報拡散の為、ギロゴをエイサル湿原に解き放った。蛙の王子様は、びっちゃん、と水飛沫を盛大に上げて、水のある暗がりの中に飛び込んで、あっという間に見えなくなった。ここまでは、日没前に全て終わった。
その後、私はエリアーシュを引っ張って父に会いに行き、ギロゴのくれた情報も併せて、事の次第を全て報告した。主城へ帰還する前に襲われる可能性があるのは大問題だ。イブルアームに留まっている子爵たちや、王都で懇意にしてくれている軍人たちから、援軍の約束を取り付けてこなければならない。取り敢えず、解雇されたからせめて好きな人に結婚の申し込みをしに行く予定になって貰った二人と、それを心配してついていく友人枠の騎士を借りたい……と、作戦実行済みであることを伏せて提案したら、父はすぐに頷いてくれた。
「それしか方法はないだろう。おそらく、行動に移すのが早いお前のことだから、これも事後報告だろうということは予想がついている。安心しなさい、まずい展開になったとしても、まだ私が別の手を回せる。ただし、旅の資金や退職金は、お前の衣嚢から出すこと。いいね?」
「ありがとうございます、お父様」
「それと、ついでに、トゥーリウス方面への連絡は私からアルデレールに打診しておいた。其方にまで騎士を回すと流石に怪しまれるから、別の手を使わせるがね……主城へ帰り着いたら何か新しい米料理を食べさせてくれることを、楽しみにしている」
父はにやりと笑った。安心して何か美味しいものを食べたいというのもあるだろうけれど、これは新しい流行を作って何かをしようと企んでいる顔だ。この砦でくたばる気はさらさらないらしい。それだけ信頼されているのだと思うと、私も気が引き締まる思いだ。
「して、アイデルの若君」
「はい」
エリアーシュが、厳つい我が父の視線を受けて、蛇に睨まれた蛙のように身を強張らせた。身体の前だけを覆う男性ものの胴着と脚絆に薄手の羽織を纏った彼は、うなじのあたりで、美しい髪をひとつに束ねている。ライマーニ風の格好はなかなか様になっていた。羽織と胴着に隠れていない鎖骨のあたりがなんとも艶かしく、肌の美しさと滑らかさは思わず吸い付きたくなるほどだ。バルタールの乾燥しがちな気候においてこのしっとり感は余程丁寧に磨き上げられてきたのだろうか。しなやかで余分なもののついていない肉体は、相当に愛情を受けて育ったが故であろう。ライマーニにいたらどのような進化を遂げるだろうか……このままここに留めておいても良いような気がした。いやいや、本人が望まないなら、私は束縛などしないけれども。
バッキバキに折れてからどう接ぎをあてるか、それが人生の醍醐味だと私は思っている。
「ライマーニの他に、身を寄せられる場所はおありか?」
「……ございません」
沈んだ表情の彼は父から目を逸らし、床の木目に視線を落とした。そんな若者の肩に手を置き、ライマーニ伯爵は幾らか和らいだ声色で話し掛ける。
「今現在、砦に留まらざるを得ない状況であることを考慮せずに、後ろ盾が存在するかどうか、という話でございます……エリアーシュどの」
魂獣を喪って失意のどん底にいる筈のエリアーシュの顔が上がった。一晩中泣いていたせいで腫れた目をしているけれど、落ち着いている。泣きたい時に泣けたのが、よかったのかもしれない。
父は僅かに目を細め、口の両端を笑みの形に変える。不思議なものだ、たったそれだけで、冷徹で厳格な威容を纏うその姿は、確固たる自信と愛情に満ち溢れた親としての雄に変化するのだ。私は父が笑む瞬間をいっとう好んでいる。
「後ろ盾でなくとも、支えでも宜しいのです」
「……ございません……でした、が」
彼はどうしてか私をちらりと見た。
「ハンセルの姫君より、女伯爵の秘密の婿になることを打診されました」
父が噴き出した。
「兄を差し置いてライマーニ伯になると言うか、イリスフロラ!」
【ネタメモ】
バルタール風の衣装は、早い話、石油王がよく着ているような感じです。荒れ地と砂漠だからね。