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1 死因:積読

「おん、水の匂いが濃くなったな」

 唐突に私の頭に届いたのは、ギロゴの思考だ。それと同時に、彼の鳴き声がグワグワと聞こえた。

 上下に優しく揺れる快適な竜車の中。革張りの本を膝の上で開いたまま、その真ん中に取り付けた小さな机の上をちらりと見ると、沼地で咲く昏い紅の薔薇と蔦でこれでもかというくらいに飾り付けた優美な籠の中で、巨大な蛙がグワッと鳴いた。

「ああ、やっと、おれたち、帰ってこられたぜ、イリス」

「ええ」

「ああ、もう二度とごめんだ、あんな魔窟。おれの身体もカラッカラになっちまった!」

「……そして、泥沼よりも泥沼でしたわね」

 私が溜め息混じりに吐き捨てると、ギロゴは竜車の中に鳴き声を響かせて笑った。いつになく饒舌なのは、自分を閉じ込めている派手に飾った籠とももう間もなくオサラバできるからだと思う。木枠の窓を少しだけ開けて竜車の外を見れば、成程確かに、丈の低い植物たちが僅かな風にそよいでいる。その間にぽつぽつと広がる水場が、夕日を浴びて煌めいていた。

 エイサル湿原は穏やかだ。その眺めは、決して陰鬱ではない。

 道は細いが、しっかりと舗装されていて、竜車の揺れは少なかった。ちらちらと見えるのは先頭を行く竜車で、それには父と兄が乗っている。母と兄嫁は私の後ろの竜車だ。馬ではなく竜が牽く車はかなり素早く、持久力も馬より遥かにある。私たちの周囲を固めて移動するのは、翼のない騎竜たちだ。その数、十二頭。地球にいた獣脚類の恐竜に似ている、と形容したらいいだろうか。某恐竜映画に出てきたなんちゃらラプトルとかいうやつを人間の二倍くらいの高さにしたような感じだ。ただし羽毛はない。

 騎竜の背にはそれぞれ一人ずつ騎士が騎乗している。我らがライマーニ領お抱えの精鋭たちだ。鍛え上げられた体躯が纏うのは軽量の鋼で鋳造された頑丈な鎧。エイサル湿原やイブルアーム沼地の魔獣たちと幾度もやりあって実践を重ねた精悍な顔立ちが、夕日に照らされて陰影を際立たせている。

「うめえこと言いやがる。なんだっけ、ヤマダクン、ザブトンイチマイ、だったか?」

「わかっていらっしゃるじゃないの、ギロゴ殿下」

 ただの蛙に敬称をつけているのか、と疑問に思うなかれ、ギロゴは王子様だ。沼大蛙という生き物に王子様がいるだなんて、最初に聞いた時は我が耳を疑った。いや、蛙の王子様とかいう地球の童話は知っていたけれど、現実になるなんて考えてはいなかった。ギロゴの姿形や彼との念話には慣れたけれど、やっぱりこういうところ、違う世界にいるのだなあ、などと私に思わせる。


 私には前世の記憶がある。

 太陽系の地球とかいう惑星、日本とかいう国にいた。ヲタクだった。ヲタクと言えば漫画やアニメ、ゲーム、アイドルだと思うのが一般的かもしれない。私は本を読むタイプのヲタク人間だった。興味が湧けば、小説だろうとエッセイだろうと専門書だろうと図鑑だろうと博物館の図録だろうと取り敢えず何でもかんでも読んでいた。所謂、活字中毒っていうやつだ。そのおかげか学校の成績もよかった。やったね。

 何か読んでいないと落ち着かない。

 知識を吸い続けていないと落ち着かない。

 暇な時に活字を追っていたい。

 本棚に隙間が空いたことなんてない。常に本は溢れていた。本が溢れて、本棚を買ったと思ったらもう満杯だ。ランドセルや通学鞄には毎日違う本が二冊入っていた。学校の宿題がどれだけ嫌いでも、読書感想文だけは真面目に提出し続けた。小さい頃からこんな感じだった。友達(めっちゃ読む)も彼氏(めっちゃ読むけど深い関係にまではなっていなかった)もちゃんといたし、読む以外にも楽しいことは沢山あったけれど、話している時や遊んでいる時も、本は片手にあった。社会人になってからは労働とかいう面倒な行為をせねばならなかったが、自由になるお金は大量にあったので、積読とかいうのが増えた。そのおかげで、ベッドや机の傍にはいくつもの本タワーが建設されていた。スマホやタブレットでも字を追うようになったけれど本を買うのはやめられなかった。コレクター気質を発揮していたのかもしれない。

 それがいけなかった。

 買うだけで満足せずに読めよ、というのは、母の謹言である。本は必ず本棚に入れろよ、というのも、母の謹言である。本棚を買う金がないなら言えよ(買ってやるから)、というのも、母の謹言である。本棚を買うなら仕切りは分厚いのにしておけよ、というのも、以下略。どうしても積んでタワーを作るならバランスを考えろ、以下略。

 何故か。

 本は決してコンクリートの柱などではないからだ。

 そして、それを痛感したのは死の間際だった。

 一番間抜けなのは、それが震度二の地震だったことだろうか。その時の私の部屋は悲惨だった。地震前から悲惨だったという意味だ。思えば、空の小さな段ボール箱の上に文庫本を置いて、その上に図録と図鑑を置き始めたのが間違いだったように思う。木のブロックを積み替えてタワーを高くしていくオモチャもこれには敵わない(関係ないが私はそのゲームも得意で誰にも負けたことがなかった)。しかもその山は部屋の中にひとつだけじゃなかった。

 それが一気に崩れるわけだ。後はわかるな?

 そういうわけだ。文字通り死ぬほど痛かったけど幸せな人生だった。でも、大量の積読を残したまま死ぬのは、本当に、本当に残念だった。

 我が生涯、まだ読まぬ本の数だけ、悔いまみれ。


 っていうのを思い出したのが、五歳の誕生日。

 五歳である。物心がついて、自分が伯爵令嬢であることを何とはなしに自覚する程度の年齢。小さい身体に記憶と知識が突然大量に詰め込まれるわけだ。

 当然ぶっ倒れた。一月くらい高熱と頭痛で寝込んだ。記憶が混濁していたから意味不明なことを沢山言っていたらしい。それは魂獣たるギロゴにも何らかの絆を通して伝わったらしい。気付いたら、私が前世で見聞きしたものを冗談混じりにぽんぽん言うようになった……座布団なんてない文化なのに。両親も、その時八歳だった兄も、使用人や伯爵補佐官として領地に滞在していた子爵たちもとても心配してくれたが、どうやら前世に関することを沢山言ったせいで、ちょっと変な子だと思われるようになった。熱に浮かされながら言ったことなんて私は何一つ覚えていないのに、何だか理不尽である。 

 私が独りで竜車に乗ってのんびりと本を読んでいる理由のひとつはそれだ。兄曰く、イリスフロラもその方が気楽でしょうから、とのこと。実際、本当に気楽だからいいのだ。何なら私も騎竜に乗って移動したかったが、空っぽの竜車は勿体ないだろうというのもあるし、ドレスの令嬢が騎竜に乗るのはどうなのだ、という空気も多少は存在する……乗馬服チックなパンツスタイルの服も持ってきておけばよかった。ついでに、ギロゴの籠を自分の目の前に乗せたがる家族も使用人もいなかった。毒があるわけではないけれど、蛙だし、仕方ない。ついでに、私自身、弱いわけでもなく、ある程度武器を振るい、自分の身の回りのことは自分でやる性質だから、構わない。

 しかし、何故蛙と一緒に一つの部屋にいるか、というのは、また別の理由があるからだ。

 獣を呼び寄せる力のある子供が産まれた瞬間に、最も近くにいた生き物が呼び寄せられて、意志疎通が可能な魂獣となる……ということが、この世界では稀に起こる。貴族階級の者のみに起こる現象らしい。

 イブルアーム沼地の真ん中にある堅い岩盤の上に建てられた城で、母が私を産んだ。その瞬間に城の方に向かって跳ねた沼大蛙が、私に一番近かったそうだ。

「呼び寄せられて、いつの間にかお前の足元にいたぜ」

 ……ということは、私が十歳の時に、ギロゴが教えてくれた。

 ちょうど、自分の魂獣がデカい蛙であることに嫌気がさして、王子だというならせめてイケメンの人間にでもなりやがれと思ってぶん投げた日だ。当然無理だった。竜とか魔法っぽいのとかも存在しているファンタジー世界の癖に。

 残念ながら人間にはなれないこの沼大蛙、本当の名前は、ギルゲルーガ・ロロ・ゴロリウスとかいうらしい。十六歳になった今なら余裕なのだけれど、五歳の私には長すぎたから、勝手に縮めさせて貰った。

「不服ではあるが絆を結んだから許してやろう」

 ……とは、かの王子の言い分である。寛容な蛙で何より。


普段真面目なものばっかり書いているので息抜きに見切り発車で始めました。いろいろしっちゃかめっちゃかですがご了承ください。

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