ひとさしのくれなゐ
連なりは渇き、慣性すら。
嚥下に丸め込まれては、消える、なお増殖をとどめず、けはいは堆積の路傍にて、蕾ほころばせ、透きとおり、流れ。
水風船のにくづきには几帳面な境界線の、睨み合う交叉の間近く、危うげに。ここじゃ1粍さえ1米に膨れ上がって。
砂漠の皺襞を卒然と封じる湾曲、閉じられる静謐の安穏と寄る辺なさ。襲いかかってなおもまた、灼熱さえ追い込んでしまうほどの、不可思議な体温の喪失は、閉所恐怖の実感で。
まるで大理石だ、光沢はつるり、硬質で不気味なくらいに冴えた白の漲りが、浸食止めどなくどろどろと紅の垂れ下がってはギザギザと、傷を焼き鏝のように撫で、破砕に、爛れ。
ひんやりした冷血の。脂と赤肉のベトついた壁面のような膚を見つめていると、子宮の内側はこんな状景であったか、などと脈絡もなく意識を占領するものがある。
ギザ、ギザ、ギザ……蜃気楼……。揺らめく、次元の深奥翳しては、壁面の向こうへ、情景の生滅が移ろうばかりで。
ぐるり扇状に広げた陥穽はザラザラと渇き死の囁きで。そっと掻き毟る。途端囚われ、幕が開く。
画角いっぱいへの奥まりを捉えようと、境界の辺りをうようよ、透明な逡巡は羽虫の群がりみたいな乱雑なざわめきを刻みつけ泳ぎまわっている。光輝か闇か。画布は昏さを写す鏡。
霜割れとて見紛うほどの甲高く澄んだ破裂音の木霊、奥塗れの闇からは赤滲ませて、睨みを利かせる鎮座のような突き刺さる眩しさの、恥じらいもなく露呈せし全容はあっけなく、だが横溢は果てもなく、間断なくて。
闇は固い拳をつくる、つなげられた指々の僅かな間隙から紅の線虫のうざうざと皮膚のぬめりをなすりつけ、引きずり込まれて長々とぶら下がる涙滴の、ひとつふたつと絞り出されて。気づけばてらてらと、河床を埋め塗り込められては洪水の、鮮烈なる広がりに、勢い、凝集し、色づきははや、一様に。空中と同化した透明なはずの視界は沈み、浸されて染まれり一様……、形のない世界と、充溢が見えている…………。
自意識の透明な角柱に触れてはおぞましく、逃れようもなく、脱力し、やがて眼前に一致する。待ちわびる。世界を覆いつくすほどの途方もない巨大な角柱だ。毒々しく放たれた目映さは純潔の一様、重たく底もなく沈みながらもすばしこく視界の向こうへと暴れまわっては、どくどくどくと一気呵成、次元の裏まで染め上げた侵略の一様は、艶やかな彩りの奔流で。
幼少の頃からの何度となく繰り返されてきた夢と、水面に映したようなその、白昼夢。頻発するなら月の半分くらいは、いや、それ以上だったか…………。
少しく奥まった視界へと立つ眼前の人、無音で血を吐く人物の不穏、猫が毛玉を吐くよりも何気ないことのように、吐き慣れたようなさり気なさで。まるで身に覚えはない、しかし長年連れ添った重い病の平生さにて、血液混じりの痰を零しているような異質な光景と臨場感。が、半透明の情景はすぐに、消えていく。
太さ1m四方の角柱へと穿たれた自意識、崩壊。
香料が空中を伝播して、満ちている。花の薫香、庭に置かれた銀盥、何故かしら下着姿になり髪を洗っている。
三つ編みに結わえて、魚の尾のような、腰を振らせて踊っているは、束ねられた黒髪か、はたまた海蛇なのかさえ、一目で判別できずにいる。つながれた空中が溶けていく……ジュワと縮れ、コトコトと煮えたぎり、一頻り視界が濁っている。
泡を付けたままに、括りつけられた魚は、妻の頭部にて体躯、痙攣とばかりにビクつかせるばかりで。
「盥で……魚を。活けているのか?」
ふふっ。と、笑っているように思われた。
「…………どうした?」
妻。結婚以来恋愛の時期の雰囲気はなくなった。高校時代のマドンナ……本命どもをも蹴落とし、あり得ないことに私が手に入れた、妻。
どちらが冷静だということもなく、互い、夢中になっては、大恋愛のすえに…………。今では気の置けぬ、話し相手となっていた。
「小学3年生のことだった。あれは確かに、新緑に咽せ返るほどの初夏だった。だが。冷たい……、まるで真冬に素っ裸で、寒空のなかへと佇んでいるかのように、強烈に冷たかった」
「それは……。とても気味が悪いことだわ」
「ああ……。学校行事でキャンプ場に行ったのだと思う。そこで私は大怪我をしてしまったんだ、恐らく。崖から、転落してしまって…………頭を打ったのに違いないよ……、それすらはっきりとは、覚えていないのさ」
妻の顔へとうっすらと、朧げな情景が唐突に、映し出されている…………白粉で、輪郭のすべてをかき消してしまったように。のっぺっらぼうになってしまった妻が、いかにも、シルクスクリーンであると言わんばかりの勢いにて眼前に、佇まうのだ。とても。気味が悪い。
初潮…………、雪。じりじり溶かし、溶かされていく……。抉られた白の湾曲、円柱状に染め上げられた、赤い壁面。
身に覚えのない幻覚がまた現れては、消えていた。妙な心地だ。視界がやはり少しく奥まって知覚されている、だが、これは。見覚えのある光景に違いなかった。見慣れた妻を眼前に。そしてこれから私は斜め下方へと視線を落とす、地面でもなく空中でもない、微妙な高さで視線を揺り動かしながら……それからしばらく口をつぐんで、突然私は、こう訊ねる。
「なあ? この話……。前にも話したことはあったのかい?」
三つ編みに結わえた三匹の魚はビチ……ビチ、と踊っている。
白魚のような、死んでいるような。それでも……不思議と生きているような、置物のような表情を湛えて、うっすら、と笑う女、ずっと憧れていた、マドンナ…………聖女。私の、妻。
「いいえ。初めて聞いたわ、だって。…………ワタシは。あなたがあの日作り出した、刹那の妄想なのよ」
くれなゐの川。
とても冷たく、寒い。白に埋まった視界。降雪に覆われた山道で。
じゅっ……。と焼かれて。空気は刻まれ、冴えていた…………遠のく意識。凍えるような。薄褪めた白に、世界は、包まれて。
ぽた……ぽた……綿に織られたショーツから落つるは、初潮。
「やだ……。姉さん?」
少女は地面を抉った紅の柱を覗き込んでは、しばし、無言になる。
「何だろう。……何だかやるせない気持ちになっちゃったわ」
「何言ってんのよ……これって、おめでたいことじゃないよ。……でもね? わからいじゃないわその気持ち。貧血気味だとひとってさ、ネガティブになっちゃうのよね、不思議なことに」
積雪の、有形の、地面。抉る、円柱状は赤の隧道。
闇……固い拳に。円柱の空洞に群がった、ぱんぱんに膨らませてはやがて破砕する、ざっくりと開く裂け目から、溢れかえって。紅の線虫のうざうざと、ぬめりにまみれたそれら体躯と、体躯をこすりあって、充満させては蠢いて……収まりもつかずに、ぼろぼろ、ぼろ、とぐちゃぐちゃに混ざりあい蕩けてしまった粘液の層楼の、引きずり込まれては速力の。長々とぶら下がる涙滴のその形貌の、ひとつ、ふたつと絞り出されては。てらてらと、河床を埋め地底へと貫くまでに。塗り込められしは洪水の、鮮烈なる広がりに、勢い、凝集し、色づき、一様に。視界はなおもみな、沈められ、浸されて染まれり、かの一様も……。
透明な角柱。逃れようもなく、やがて一致する。毒々しく放たれた純潔なる一様、重く底もなく沈みながらもすばしこく、どくどくどくどく、次元の裏すら貫きかつまた、侵略の一様の艶麗なる彩、その奔流は…………。
サックリと裂かれ発露せしは煽情なる、甘美の肉襞からはねとねとと、零れ落ちいていく……はらはらと。散りゆくは透明なる花弁の数多で。妄執のその愛液の緩やかに、粘りついては離れず、死生の今際を擽る舞踊。
初夏のはずだった。
新緑の埋める地面ではなくて。枯れ草に堆積した、分厚く、積雪なる。白の塊だけ、辺り一面を、ひしめいているように。
視界が褪めていく……世界は色素を失う。決して。空気中の水蒸気を固めただけの、物質としての冷たさの表象ではなかった。
そう、これは、寒さ。純粋な、熱気への剥奪。……世界は血の気を失して凍えてしまうのだ。白が広がっていく、連なりはどこまでも増殖をとどめず。
越してはならぬはずの境界線を、踏み越えんと…………。
今や、いまやと待ちわびていくかのように。今生の無垢石を割り、すぅ、と溶けていく…………ひとさしのくれなゐ。
読了ありがとうございます。よく分からなかったことと思います笑 はじめの着想段階ではいつも通りの夢オチという面白みのないものであったため、もう一段階面白みのあるものへと昇華させるためにしばらく夢想をしてみて最終的な着想を得て今の形となりました。
ルイス・ブニュエル監督の『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』という優れた映画作品がありまして、この作品のヒントとしました。夢中の夢を描くユーモラスな映画作品です。これはそれをウロボロスへと近づけたわけです。
また、制作に入っては、ボクの敬愛しているデイヴィッド・リンチ監督の短編映画のような作品へと仕上げていこうと考えて、上手くいったと自負しています。説明的な文章や台詞にさえも気が抜けないというか、そういった興趣が生まれるような配慮で進めていきました。
リンチの名言でもある「考えるな、感じろ」を最後に提示しておきます笑
みなさん、あけましておめでとうございました。