桜のもとで
俺は佐川 和樹。高校二年生。
母の佐川 聖はカウンセラー、父の佐川 亮介は大手電気メーカーの社員だ。
母さんはカウンセラーのほかにウァンパイアの研究員もやっている。もともと曾祖母がつくったウァンパイアの研究所で、今は祖母がトップでやっているところで母さんもそこを手伝っているのだ。
だからなのか、母さんはたくさんのウァンパイアに関する本や資料を持っている。
「お兄ちゃん、これ、お母さんの部屋に運んどいてだって。お母さんからの伝言」
「え、また母さん、研究所から資料もって帰ってきたの?」
中学一年生の妹、優芽の言葉に俺は怪訝な声を返す。
「そうなんでしょ。いいからはやく持っていって。ここにあったら邪魔だから」
優芽の冷たい態度に昔は多少なりとも傷ついたが、もう今ではすっかり慣れた。
俺はため息を漏らした。
母さんは仕事でいないのだから、俺がやるしかない。とはいえ、めんどくさい。そんな気持ちが上回っている。
まぁ、それでもやるのだけれど。やらなければ優芽からさらに冷たくあたられるし。
「和樹、ありがとう。本を部屋に運んでくれて」
夜、仕事から帰ってきた母さんが礼を言った。
「別にいいけど。持って帰ってきすぎじゃない?」
「いろいろ調べたいことがあるのよ」
俺の言葉に母さんはそう返す。
「母さんはまだまだウァンパイアのことを知らないことが多いし。たくさん知っておかないと、研究員としてやっていけないでしょ?」
母さんはさらに言う。
「けどさ、母さんってホラーとか苦手だろ?何でウァンパイアの研究員なんかやってんの?そりゃあ、母さんの家系がやってきてるってこともあるんだろうけど」
「あー・・・まぁ、たしかにホラーは苦手だけど、ウァンパイアは実際にこの街にいるから知っておかなきゃいけないでしょ?この街に住んでいる者として。なんて、本当はほかに理由があるんだけど、それはもう少ししてから話すよ」
母さんは俺の質問に曖昧に答えて、この話は終わった。
数日後、学校帰りに俺は少し寄り道をしていた。寄り道って言っても、近くの図書館に寄っただけなのだが。
俺も調べてみたくなったのだ。ウァンパイアについて。
母さんが言うように、この街に住んでいる者として知らないでいるのもどうかと思う。ましてや、母さんや婆ちゃんが今も研究しているのだから。
だけど、ウァンパイアに関する本のほとんどに具体的な記述はなかった。どれもこれも、最後には、不明である、と記述されている。
だからこそ、母さんたちが研究しているということだろう。
いっそのこと、母さんが持って帰ってきた本を読み漁ろうか。いや、母さんのことだから、すぐに研究所に戻すだろうから読む暇がなさそうだ。
しょうがない。とにかく、ここにいてもこれ以上の情報は得られそうにないし、今日は帰ることにしよう。
そう思って、ふと携帯を見ると、優芽からいつ帰ってくるのかとメールが来ていた。文面からして、ちょっと怒っているようだ。
俺は、今から帰ると返信して、図書館を出た。
図書館から家までには、桜並木がある。今の時期は満開で、風が吹くと花びらが散る様が風情がある。
この時期にここを通ることは、俺にとってちょっとした楽しみだった。
夕暮れの中、俺は少し速度を落として、桜を見ながら歩く。
そんな中、ふと前を見ると、桜の木を見上げるように一人の少女が桜の木の下に立っていた。
さらさらとなびくセミロングの髪と優しげな表情に惹かれるものがあったのも確かだが、それよりも、その少女がノースリーブのワンピースを着ていたことから、目が離せなかった。
たしかに、春になって暖かくなってはきたが、あんな夏のような格好をするほど暖かくもない。しかも、今は夕方だ。
別に他人のことだからどうでもいいはずなのだが、なぜだか俺は気になって声をかけてしまった。
「あの・・・」
俺の声に気づいた少女は、ゆっくりとこちらを向いた。柔らかな笑みを浮かべたまま。
「何ですか?」
少女は俺に訊ねてきた。
少女の表情に引き込まれた俺はしばらく少女に答えることができなかった。
だけど、少女が不思議そうにこちらを見ているのに気づき、やっと答えた。
「あ、えっと、そんな格好で寒くないんですか?」
「え?」
俺の質問に、少女は目を丸くする。
「あぁ、えっと、そうね・・・たしかに肌寒いけど、でも、大丈夫よ」
少女は戸惑いながらも、丁寧に、そして笑顔で答えた。
「そ、そうですか・・・」
俺は初対面の人に何を訊いているんだと、今さらになって何だか恥ずかしくなってきたが、もうどうでもいいやという気分だった。
と、そんなとき、少女がクスリと笑い、訊いてきた。
「ねぇ、あなたの名前は?」
「え・・・佐川 和樹ですけど」
「お母さんの旧姓は?」
何でそんなことまで訊くんだと思ったが、べつに構わないかと思って答えることにした。
「奏井ですけど」
それを聞いて、少女は小さく、やっぱり、と呟いたようだったが、俺には聞こえなかった。
「私は圭。よろしくね、和樹くん」
少女は優しく笑って、そう言ってきた。