四、 邪悪の館
1
大きな物音を聞きつけてか、あちこちから教師や生徒たちが音楽室に集まってきた。
音楽室の扉が粉々に破壊され、麻里江と一匹の白猫が倒れている。
教師が麻里江を抱き起した。
「大丈夫か?なにがあった。」
麻里江は唸るだけで何も答えなかった。
「急いで保健室へ。」
教師に背負われ、麻里江は保健室へ向かった。
薄目を開けて辺りを見ると、自分を殺気のこもった目で見つめる学生がいる。
蒼色の学生服をきた色白の学生だ。
麻里江は自分を付け狙った者だと直感した。
保健室に着いた麻里江は養護教諭に手当を受け、ベットで横になった。
「傷は大したことはありません。今日は帰した方がいいでしょう。事情は明日聞けば?」
「そうだな。私から教頭にそう報告しておこう。」
二人の教師の会話をベットで聞きながら、麻里江はさっきの蒼色の学生服の男のことを考えていた。。
「何者だろう?」
1時間して麻里江は自宅に戻った。
すでに美樹が戻っており、美樹も傷を負っていることに驚いた。
「どうしたの?美樹。」
「猫と戦ってね。」
「見せて」
麻里江は美樹の傷の手当てをはじめた。
「いてて、もうちょっとやさしくしてよ。」
「がまんしなさい。」
ひととおり手当を終えると、麻里江は冷蔵庫から缶ジュースを取り出し、一本を美樹に向って放り投げた。
缶ジュースを受け取りながら美樹は麻里江の姿を見て、ひとつ息を吐いた。
「麻里江も大変だったようね。」
「ええ、幸いなんとか勝てたけどね。」
「猫を使って来るなんて普通じゃあないね。相手も術者かな?」
「そう思うわ。私たちとは違う種類のね。」
そう言いながら麻里江は例の蒼色の学生服の男を思い出していた。
「美樹の方はどうだったの?」
「その邪魔者のせいで調べられなかったんだよ。」
「そう」
「それに変なこともあったんだよ。」
美樹は例の非常階段の件を麻里江に話した。
それを聞いた麻里江はしばらく考え込み、やがて意を決した表情で顔をあげた。
「明日、敵の懐に飛び込んでみようと思う。」
麻里江の不意の言葉に美樹は驚いた。
「麻里江、大丈夫なの?ここは一旦出直したら。」
「逃げるのはいやなの。それに相手もそれを許さないでしょう。」
「そうか。じゃあ、あたしも一緒に行く。」
「美樹は引き続いて紋様を調べて。」
「えぇ~」
美樹は不満げな顔をした。
「私が敵をひきつけている今がチャンスなのよ。」
「でも、麻里江が一人で敵をひきつけるのは危険すぎない。」
美樹は不安な表情を見せた。
「あぶなくなったら助けに来て。美樹。」
麻里江は笑顔を見せた。
「わかった。まかせて。」
そう言って美樹は胸をドンと叩いた。その途端、激しく咳き込み、麻里江は笑いながら背中をさすった。
2
次の日、何もなかったように麻里江は登校した。
自分の席に座った麻里江にさっそく担任の門脇が近づいてきた。
「大丈夫か?鷹堂。」
「はい、心配をかけてすみません。」
軽く頭を下げた。
「いや、大丈夫ならいいんだ。校長が事情を聞きたい言っているから午前の授業が終わったら校長室に行きなさい。」
「はい。」
門脇は言うだけ言うと教壇に戻り、ホームルームを始めた。
授業は午前中で終わった。
麻里江は門脇に言われた通り、校長室に向った。
学校からは次々と生徒たちが立ち去っていく。教師までも帰り始めた。
(学校をからっぽにする気ね。)
麻里江は印を結び、ささやくように呪文を唱えながら廊下を進んだ。やがて、校長室の前に着くと、ドアを軽くノックした。
「入りなさい」の声にドアを開けると目の前にソファセット。左手の奥には大きな机と革張りの豪華な椅子があった。
部屋に校長の姿はなく、代わりに蒼色の学生服を着たあの青年が座っていた。
麻里江の全身に警戒心が走る。
「お初にお目にかかる。鷹堂君。私は魔霊院。」
「魔霊院?」
麻里江は鋭い眼差しで魔霊院を見つめる。
「あなたが張本人ってわけね。」
「ま、そういうことだね。」
魔霊院は机の上で両手を組んだ。
「この学校で何をしようとしているの?」
魔霊院は怪しい笑みを口元に浮かべるだけで、その問いには答えようとはしなかった。
「あの紋様が関係しているようね。」
それにも同様に答えない。
「地脈を利用しようとしているんでしょ。」
その問いに初めて魔霊院の表情が変わった。
「いろいろとつかんでいるようだね。」
魔霊院が椅子から立ち上がった。
「あなたにはいろいろと聞きたいことがあるのよ。」
麻里江は魔霊院に一歩近づいた。
「しゃべるつもりはない。」
「無理にでもしゃべってもらうわよ。」
懐からカードを取り出すと、斜めに構えた。
「ふふふ、それは無理だ。なぜなら君はここで死ぬからだ。」
そう冷たく言い放つと、魔霊院は壁に体を密着させた。すると魔霊院の身体が徐々に壁に溶け込んでいった。
「逃げるつもり!」
麻里江からカードが放たれた。
しかし、魔霊院の身体は壁の中に消え、カードは壁に突き刺さっただけであった。
そのあと、どこからともなく魔霊院の声が響いた。
「そこが君の墓場だ。死の恐怖を味わいたまえ。」
その言葉に麻里江の直感が働いた。
すぐに扉に駆け寄るが、押しても引いてもびくともしない。
窓にも手をかけたが、結果は同じであった。
そのとき、部屋の中が揺れた。
麻里江の全身に危険を知らせる信号が走った。
それは頭上から伝わってきた。
顔をあげた時、天井が猛烈な勢いで落ちてきた。
そのころ美樹は例の倉庫に来ていた。
今日は邪魔者はいない。
美樹は懐から一本の針金を取り出すとそれを鍵穴に差し込んだ。そして、小さな声で呪文を唱えると、鍵穴の奥で金属がこすれる音がしてきた。
しばらくして、その針金を回すと、鍵が開いた。
針金を引き抜き、扉を引くと、すばやく中に滑り込み、後ろ手に扉を閉めた。
中は薄暗く、以前と同じように中には何もなかった。
美樹は懐から一本の長い紐を取り出すと、床に円形にしておいた。そして、その前でまた呪文を唱えた。
「火の精霊よ。我が示しし憑代に宿いて汝の威を示せ。」
すると、紐のあちこちがオレンジ色に発光しだし、やがて、炎があがった。
炎は円形の紐全体にまわり、部屋の中を明るくした。
美樹は口の中で精霊への感謝の祝詞をあげると、炎は急激に消えていき、床には黒い穴が残った。
背負っていたリュックからペン型の懐中電灯を取り出し、穴の中を照らした。
例の紋様がある。
ポケットから写真を出し、それて見比べて間違いないことを確認すると、美樹は懐中電灯を口に銜え、リュックから羅盤を取り出し、それを紋様の中心に置いた。そして、真ん中の方位磁石を見ながら羅盤を動かした。
位置が定まると、美樹はリュックから地図と本を取り出し、地図を床に広げ、胸ポケットからサインペンを抜いて、地図に印をつけた。
地図にはいくつかの赤い筋が書いてあり、その一本があけぼの高校の上を通っていた。
「ええっと、ここがこう通っているんだから…」
本をめくり、地図と羅盤を交互に見ながら美樹は紋様と地脈の関係を探っていった。
「確かに地脈の上に紋様がある。」
羅盤を取り上げ、本と懐中電灯といっしょにリュックにいれると美樹は倉庫を出た。
地図を両手で持ち、倉庫と赤い筋、すなわち地脈との位置関係を確かめるとそのうえに立った。
「まずは試してみるか。」
そう言うと美樹は懐から鏢を五本取り出し、地面に五角形に突き刺した。
「よし、やるぞ。」
美樹が胸の前で印を結んだ時、校舎から大きな物音がした。
「なに?」
麻里江の身になにかが起きた、そう直感した美樹は校舎へ向かって駆け出した。
同じころ誰もいない屋上に、床からせり上がるように魔霊院が姿を現した。
「ふふふ、あっけない最後だったな。」
そうつぶやくと胸の前で合わせていた両手を離した。
「私にかかればこんなものだ。」
誰かに自慢するようにつぶやきながら魔霊院は、屋上のフェンスに歩み寄り、そこから見える景色を堪能した。
そのとき、魔霊院の目に校舎に向う美樹の姿が目に留まった。
「もう一匹、ねずみがいたか。」
邪悪な笑みが口元に浮かぶ。
屋上の中央に戻った魔霊院は、胸の前に印を結び、つぶやくように呪文を唱えた。
やがて魔霊院の全身が青白く光りだし、その光が煙のように広がり、校舎を包み込み始めた。
「妖法、館憑き。」
そう唱えた途端、魔霊院の身体が床に潜り込むように沈んでゆき、やがて床の中に消えていった。
3
美樹が玄関の中に入ると、その異様な気配に思わず立ち止まった。
「なに、この妖気は?」
美樹は全身に警戒心を満たしながらゆっくりと歩いて行った。
すでに右手には縄?が握られている。
廊下に上がった時、突然、下駄箱の蓋が一斉に開き、中から靴が猛烈な勢いで飛び出してきた。
美樹に向って飛んでくる靴を躱しながら縄鏢を構えると、床に落ちた靴が生き物のように這いずりだした。
「マジかよ!」
靴の先端が口のように割れ、その奥に鋭い牙を見せながら靴たちは美樹に襲いかかった。
美樹の縄鏢が円を描いて靴を薙ぎ払う。しかし、靴は怯むことなく次々と襲いかかった。
それを右に左に躱しながら襲ってくる靴を叩き落とすと、美樹は階段のところへ走った。
階段を駆け上がったとき、階段が大きく揺れた。
「なに!」
バランスを崩し、階段から転がり落ちるのを手摺につかまってかろうじて防いだが、階段の下には牙をむいた靴たちがぞろぞろと集まっていた。
その中のいくつかが美樹に飛びかかった。
そこへ数枚のカードが飛んできて靴に突き刺さった。
美樹がカードの飛んできた方向を見ると、踊り場に麻里江が立っていた。
「美樹、目をつぶって!」
そう叫ぶと麻里江はダイヤのカードを頭上に掲げた。
美樹は言葉通り目をつぶった。
「盟約に従いて集まりし光よ。無機に宿いし魔を払いたまえ。」
そう言った瞬間、カードが輝きだし、まばゆい光で辺りを照らしだした。
その光に照らされた靴は急に動きを止め、苦しみだした。
やがて、一個一個から妖気が抜け出し、普通の靴へと戻っていった。
光が止み、カードを懐にしまった麻里江は、美樹の元に駆け寄った。
「大丈夫?美樹。」
「大丈夫、大丈夫。助かったよ。麻里江。」
美樹は平気な顔をして答えた。
「それよりこの校舎なんか変だよ。」
「わかっているわ。私も危うくペシャンコになるところだった。」
二人はゆっくりと階段を登った。
「魔霊院とかいうやつの仕業かも。」
「魔霊院?」
そのとき、魔霊院の声が校舎の中を響き渡った。
『私の手からよく逃げられたな。』
「奴の声だわ。」
麻里江が辺りを見ながら警戒心を高めた。
『どうやら、私がつぶしたのは式だったようだな。』
「今頃、気づいたわけ。鈍いわね。」
麻里江は声のする方へ叫んだ。
『しかし、君たちは籠の中のねずみだ。私の館からは逃げ出すことはできない。ゆっくり料理してやるよ。』
唐突に声が途切れた。
「麻里江、どうする?」
「魔霊院を探すのよ。」
「探す?」
そう美樹が言葉を返した時、廊下の向こう側から猛烈な風が吹いてきた。
「なにこれ!?」
「きゃあ~!」
強烈な風に美樹の身体が浮いた。
「美樹!」
「麻里江!」
手を掴もうとしたが遅かった。美樹はそのまま烈風に吹き飛ばされた。
麻里江はなんとか吹き飛ばされまいとしたが、風の勢いはますます強まり、ついには麻里江も吹き飛ばされてしまった。
二人は木の葉のように廊下を転がり、ある教室の中に吸い込まれていった。
教室の壁に叩き付けられ、二人ともそのショックにしばらく動けなくなった。
「大丈夫?美樹。」
背中のしびれを感じながら、麻里江は心配そうに美樹を見た。
「今度は大丈夫じゃあない。いたたた。」
腕をさすりながら美樹はようやく立ち上がった。
「とにかく、ここを出ましょう。」
そう言って、麻里江はドアの所へ行った。しかし、ドアは硬く閉ざされてビクともしない。
「ようこそ、お二方。歓迎するよ。」
背後からいきなり声がした。
振り返ると後ろの壁から人間がにじみ出てくる。
魔霊院であった。
「ずいぶん、乱暴な歓迎だな。」
美樹が睨み付けた。
「お気に召さなかったかな?」
魔霊院は冷たい笑みを浮かべ、二人をじっと見つめた。
「てめえが魔霊院か。」
美樹が鏢を構えた。
「お見知りおきを。」
軽く頭を下げたところへ美樹の鏢が飛んできた。しかし、鏢は魔霊院を突き抜け後ろの壁に突き刺さった。
「!」
「君こそずいぶん乱暴だな。」
「私たちをどうするつもり。」
麻里江が鋭い目つきで尋ねた。
「それは今にわかる。ゆっくり恐怖を味わいたまえ。」
高笑いとともに魔霊院の姿が壁の中に消えていった。
「あ、待て!」
「美樹、急いで教室を出ましょう。いやな予感がする。」
麻里江は教室の窓という窓を調べたがどれも開かない。美樹はドアに体当たりしたが跳ね返されるだけであった。
「完全に閉じ込められたようね。」
「くそ!」
美樹が腹立ちまぎれにドアを蹴とばした。
そのとき、麻里江がなにかに気付いて後ずさりした。
「麻里江?」
美樹が不思議そうな顔をしていると、麻里江は壁をじっと見つめたままつぶやいた。
「動いている。」
「エッ?」
4
美樹は麻里江の言っている意味が分からず首を傾げていると、麻里江は美樹の腕を引いて、教室の中央に下がった。
「どうしたのさ、麻里江。」
「教室が動いている。」
「エエ!」
麻里江が教室を見渡しながら答えると、美樹も驚いて辺りを見回した。すると、いままで何の変哲もなかった教室の壁や床が脈動しはじめている。
「うそ―」
「美樹、急いで机に上がって。」
麻里江の言葉に美樹は訳も分からず机の上にあがった。麻里江も同じように机の上にあがった。
見ると、壁から妙な液体が滲み出ており、その液体に触れた机や椅子が徐々に溶けはじめていた。
「溶解液!?」
二人は息を飲んで溶ける机を眺めた。溶解液は徐々にその量を増し、二人のところへ迫ってくる。
「どうする、麻里江?」
「強硬突破しかないわね。いつまでもこのままの状態じゃあいられないから。」
麻里江は脈動する教室を見回しながら考えた。そして天井からぶら下がっている蛍光灯を見て、ある考えを思いついた。
麻里江は懐からカードを取り出し、壁に向って投げつけた。
カードが壁に円を描くように突き刺さった。
「美樹、あなたの縄鏢をあの蛍光灯にぶら下げて。」
そう言って、一つの蛍光灯を指し示した。
「いまから五行相克の術を使ってあの壁を打ち抜くわ。そしたら縄鏢を使って脱出する。。」
「エッでも…」
「ためらっている暇はないわ。一か八かよ。」
そう言って、麻里江は美樹の立つ机に移動した。
すでに足元まで溶解液は迫っていた。
「わかった。」
周りの状況に美樹も決心して、縄鏢を取り出し、蛍光灯に向って投げつけた。そして、片方の腕を麻里江の胴に回した。
麻里江は胸の前に指で輪を作り、呪文を唱えた。
「万物を形作る五つの精霊よ。盟約に従いてその姿を現し、相克の力をもって我が示しし所を破れ!」
指の輪の中に紫の光が点ると、カードで円を描いた所も紫の光を放ちはじめた。
溶解液は二人の立つ机も浸食してきた。
机が傾く。
紫の円がまぶしいくらいに輝いた。
次の瞬間、大音響とともに壁が粉砕され、大きな穴が開いた。
「今よ!」
麻里江の合図に美樹は麻里江を抱えて縄鏢にぶら下がり、体を揺すって反動をつけた。
蛍光灯が悲鳴をあげる。
美樹は二度、三度と反動をつけ、振り子の幅を大きくしていった。
「穴がふさがる!」
麻里江が開けた穴が少しずつ小さくなっている。
「いくよ、麻里江。しっかりつかまって!」
そのとき、蛍光灯が天井から外れた。と、同時に美樹の手が縄鏢から離れた。
二人は猛烈な勢いで開けた穴に向って飛び、スレスレのところで穴から廊下へ飛び出した。
二人は廊下を転がり、壁にしたたか体を打ち付けた。
「いてて、さっきから体を打ちつけてばかりだぜ。」
「大丈夫、美樹?」
「なんとか。」
美樹は体の痛みに耐えながら笑顔で答えた。
「見て、穴が塞がっていく。」
麻里江に言われて美樹も見ると、先ほど開けた穴がどんどん縮まり、やがて傷一つない元の壁に戻っていった。
5
「化け物屋敷だな。この校舎は。」
「あの魔霊院とかいうやつが操っているでしょうね。」
「すると、あいつを倒さないとここから出られないということかい?」
美樹の問いかけに麻里江は軽くうなずいた。
「でも、あいつの居場所がわからない。」
「探してみるわ。」
麻里江は懐から白い紙を数枚出し、床にばらまいた。そして、印を結び、呪文を唱えた。
「天と地の間より生ぜし風の精霊よ。我が式に乗りて我が求めしもの見つけたまえ。」
すると、床にばらまかれた紙がかすかに震えだし、やがて、風に吹かれたように宙に浮くと、四方八方に飛んで行った。
「美樹、ここを離れるわよ。」
「OK」
二人は下に下りるべく階段に向った。そして、階段を下りかけた時、また階段が大きく揺れ、二人はバランスを崩した。
美樹はかろうじて手摺にすがりついたが、麻里江は揺れる階段に弾き飛ばされ、下まで転げ落ちた。
「きゃあ~!」
「麻里江!」
下の廊下まで転げ落ちた麻里江は、床に体を打ちつけ、全身がしびれてすぐには立ち上がれなかった。そこへ、廊下が突然に斜めになった。
「え!」
坂を転がるように麻里江も廊下を転がり落ちた。
転がる先の壁が巨人の口のように大きく開いた。
とっさに懐から人型の紙を取り出した麻里江は、穴に吸い込まれる前にそれを宙に放り投げた。
そのあと、麻里江は黒い穴の中に吸い込まれ、口が閉じるように穴はなくなってしまった。
「麻里江!」
階段を飛び下りた美樹は、麻里江が消えた壁に駆け寄り、壁を思いっきりたたいた。
「麻里江、返事して!」
しかし、返事は帰ってこない。
そのころ、麻里江は校長室の中にいた。
「また、ここに来るとは。」
中は以前の校長室と同じだが、違っていたのは窓もドアもないことだった。
四方が壁に変わっていた。
そのとき、魔霊院の甲高い笑い声が部屋の中にこだました。
麻里江は思わず身構えた。
『もう逃げれませんよ。』
「姿を見せたらどう?」
『見せる必要はありません。ここがあなたの墓場となるのだから。』
「どういう意味?」
『すぐにわかります。ではラストショーです。どうぞごゆっくり。』
声は唐突に途絶えた。
麻里江はすぐに壁に体を密着させて、ゆっくり移動しながらなにかを聞き取ろうとした。
突然、部屋が震えだし、続いて部屋全体が縮みだした。
「今度は押しつぶす気?」
周りを見ながらなおも麻里江は壁に体を密着させた。するとかすかに外からの声が聞こえる。その方向に移動すると声は美樹のものだとはっきりした。
「美樹、聞こえる!」
その声に外にいた美樹が反応した。
「麻里江!大丈夫?」
「私は今のところ大丈夫。それよりそこに私の式があるでしょう。」
麻里江の無事に美樹は歓喜すると同時に、麻里江に言われた通りに辺りを探し、床に落ちている人型の紙を見つけた。
「うん、見つけた。」
「それを壁に貼って。」
美樹は麻里江の指示通り人型の紙を壁に貼り付けた。
「どうするつもり?」
「ここを脱出する。」
その言葉に美樹の脳裏にひとつの術の名前が浮かんだ。
「まさか、“式人交換”をするつもりじゃあないだろうね。」
「そのつもりよ。」
「危険だよ。失敗すれば麻里江の命にかかわる。」
「黙っていても死を待つだけよ。」
「待って。こんな壁、私が打ち破ってやる。」
美樹が壁から離れ、懐から鏢を取り出した時だった。
『そうはさせん!』
どこからか響いてきた魔霊院の声とともに廊下が波打ちだし、異物を排出するように美樹を校舎の外へ放り出した。
「美樹!美樹!」
唐突に美樹の声が途絶えたことに麻里江は不安を持った。
そのとき、またしても魔霊院の声が響いた。
『もはや、助けはこない。死ね!』
部屋の縮む速度が速まった。
一刻の猶予もない。
麻里江は目をつむり、胸の前で印を結び、精神を集中した。
「式よ、我が意志を聞いて我とならん。」
壁に貼りついた紙が徐々に震えだし、やがて人一人の大きさに膨れ上がった。
「我が差し出す気と言霊の手をつかみて、我とひとつにならん。我は式なり、式は我なり。」
最後の言葉を繰り返しながら麻里江は念じた。
やがて麻里江の身体が紫色に発光しだした。それは外の式も同様であった。
徐々に麻里江の身体が紫の光と化していった。
だが、壁は容赦なく縮まり、そして麻里江を押し包んだ。