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三、 館の中の猫

          1

 麻里江は何もなかったかのようにあけぼの高校に登校した。

 学校内は以前と変わらず、麻里江に関心を示すものはないかに見えた。しかし、その日はじめて麻里江に関心を示すものが現れた。

 朝から麻里江を見つめる視線を感じるのだ。麻里江は自分を見つめる主に興味を持った。

 しかし、なかなか接触を持とうとしてこない。

 麻里江も素知らぬふりをして放課後を待った。

 授業終了のチャイムが鳴り、麻里江は帰り支度をした。いつもどおり、校門を抜け、帰路につく。

 視線の主も後をついてきた。

 わざとゆっくり歩きながらその主の動向を探った。

 この間のように襲ってくる様子はない。

 麻里江は不意をついて路地を急に曲がり、物陰に隠れた。案の定、麻里江を見失った視線の主は路地を曲がり、あちこちを探し回った。

 どうやら同じ高校の男子生徒のようだ。

 「なぜ、私の後をついてくるのかしら。」

 急に後ろから声をかけられ、その男はびっくりして麻里江のほうを向いた。

 「べ・別についてきたわけじゃあないよ。」

 「そうかしら。」

 麻里江はその男に疑わしい目を向けながら品定めをした。

 おしゃれには縁遠い、やぼったい印象の男は、美少女の麻里江に見つめられてドギマギしているのが手にとるようにわかった。

 麻里江に敵対する者ではないらしい。

 ただのおっかけか。

 麻里江の興味が急速にしぼんでいった。

 「用がないならついてこないで。」

 「用はある。」

 「へえ、なんの用?」

 「あんた、澪丸師匠のアパートにいったよな。」

 「あなた、澪丸おじさんを知っているの?」

 「質問はおれがしているの。澪丸師匠の居所を知っているなら教えてくれ。」

 「それは私が聞きたいわ。」

 「なんだ、あんたも知らないのか?」

 男はがっくりと肩を落とした。

 「あなた、澪丸おじさんを師匠って呼んだわね。」

 「ああ、おれは澪丸師匠の一番弟子。」

 男はそう言って胸をはった。

 「一番弟子?澪丸おじさんが弟子をとったなんて聞いてないわ。ほんとに弟子なの?」

 麻里江は疑いの目で男を睨み付けた。

 「嘘じゃあねえよ。風水の知識だって一通り持ってるんだぜ。」

 「そう、よかったわね。」

 麻里江は男を無視するように歩き始めた。

 「ちょっとまてよ。なあ、組まないか?」

 「組む?どうして私があなたと。」

 麻里江が呆れた顔で振り返る。

 「おれは師匠の行方を探している、あんたはあの学校になにがあるのか探っている。お互いに協力すれば早く解決するんじゃあないか?」

 「私一人でも大丈夫よ。」

 再び歩き始めた。

 「おれ、いい情報持っているんだぜ。」

 男は麻里江の前に回り込んでなんとか説得しようとした。

 「いい情報?」

 「ああ、あんたが探しているものさ。」

 「私が探しているもの?一体なんだっていうのよ。」

 「全部あかすほど俺はお人よしじゃあないんでね。」

 男は麻里江に駆け引きを持ちかけた。

 「名前も名乗らない男の言うことなんて信用できないわ。」

 「これは失礼。俺は真木っていうんだ。」

 「真木…、ふうん。」

 麻里江は改めて真木を見つめ直した。

 「あなたが持っている情報が本当にいいものかどうか、その保証はあるの?」

 「あの学校のどこかにある紋様と言えばどうかな?」

 紋様という言葉に麻里江は思わず反応した。

 それを見た真木がニヤリと笑った。

 「やっぱりそうか。どうだい?」

 「わかったわ。協力するわ。」

 「OK、じゃあ明日の放課後、その紋様のところに案内するよ。」

 そう言うと真木は決めポーズを残して、その場から去っていった。

 「ま、先に進まないとね。」

 麻里江も自分のマンションに戻っていった。

          2

 次の日、一日の授業が終わり、皆が帰り支度を始めたころ、教室の入り口に真木が立っていた。目配せで麻里江を誘うと、麻里江は真木の後をついていった。

 真木は昨日とは打って変わって押し黙ったまま、麻里江の前をどんどん進んでいった。

 ときおり周りを見回して、目立たないようにして歩いていく。

 麻里江は黙って後ろをついていった。

 やがて、以前にも来た体育館の裏手、例の倉庫の前にたどり着いた。

 「ここだ。」

 真木はその倉庫を指差した。

 「ここはこの間、火事騒ぎがあったところね。」

 「そう、ここに例の紋様がある。」

 そう言って真木は辺りをうかがった。

 幸い誰もいない。

 真木は倉庫の扉の前に立った。むろん鍵はかかっている。

 「どうするの?」

 そう聞く麻里江を横目に真木はポケットから一本の針金を取り出し、鍵穴に差し込んだ。

 「これも師匠に教わったんだ。」

 真木は麻里江にウィンクをした後、針金を細かく動かした。

 まもなく鍵がはずれる音がして、扉がすんなりと開いた。

 中は薄暗い。

 真木は躊躇なく倉庫内に入った。麻里江もそのあとに続く。

 真木は背負っていたリュックから懐中電灯を取り出し、スイッチをいれた。

 丸い灯りが室内を照らしていく。

 「なにもないじゃあない。」

 確かに倉庫の中には何もなかった。

 体育用具の一つもなく、ガランとしている。

 「どこに紋様があるの?」

 「この下さ。」

 そう言って真木は床をかかとでたたいた。

 「この下?」

 「そう、この床下に例の紋様がある。」

 真木の唇に笑いが浮かんだ。

 「ただ、お前は見ることはできないがね。」

 別の声が真木の背後からした。

 麻里江の全身に警戒心が駆け巡る。

 真木はちょうど倉庫の入り口の前に立っており、その前から体をずらした時、別の男が入り口に立っていた。

 「おまえは。」

 香田が薄笑いを浮かべて立っていた。

 「仲間ってわけね。」

 横に立つ真木を睨み付けた。

 「悪いな。でも紋様があるのはほんとさ。」

 また、かかとで床を叩いた。

 「その紋様って龍脈を操る魔法陣なんでしょ。」

 「よくわかったな。」

 「だまってろ。」

 香田が厳しい目つきで真木をたしなめた。そして、一歩前に出ると背中から短剣を取り出した。

 「お前にはここで消えてもらう。」

 「澪丸師匠と同じようにね。」

 真木も腰から短剣を取り出した。いつの間にもう一人、入り口の前に立っている。都合3人が麻里江に殺意を向けていた。

 「そう、でも私もおとなしく消えるわけにはいかないわ。」

 麻里江は身構えながら3人を順に睨み付けた。

 香田がまた一歩前に出た。

 その途端、真木と後ろの男が麻里江の両側に移動し、持った短剣でその首と腹を狙った。

 しかし、麻里江の手刀が一瞬早く真木の鼻づらにヒットしひるんだすきに、もう一人の男の短剣を握った手をとり、足を払うと、男は軽々と一回転して真木のほうに倒れこんだ。

 そして、香田に向って何かを投げた。

 それを短剣で弾き返す。

 床に落ちたのは一枚のカードであった。

 いつの間にか麻里江の指の間にカードが挟まれている。

 「やるな。女。」

 鼻を手で押さえながら真木が起き上がった。もう一人の男も目を血走らせながら立ち上がった。

 「くそ!」

 頭に血が上った真木が短剣を振りかざして襲いかかる。

 その前で麻里江はすっと身を沈めて短剣を躱し、勢い余った真木は麻里江の身体で足をすくわれて、その体を宙に浮かせてそのまま背中から倉庫の壁に激突していった。

 もう一人の男が短剣の切っ先を麻里江の胸に向けたが、麻里江が一瞬早く持ったカードで短剣を持つ手を切り裂いた。

 鮮血が迸り、激痛に男は短剣を落とした。

 その機を逃さず、麻里江は男の背後に回り、片方の腕を後ろ手にひねり、自分の左腕を首に回して締め上げた。

 男の顔に苦悶の表情が浮かぶ。

 香田は一瞬の間に二人の男をあしらった麻里江の力量に驚きながらも麻里江を睨み付けた。

 麻里江は男を盾にこの倉庫から出ようと試みた。

 「そこをどきなさい。」

 麻里江の威嚇の言葉に香田はニヤリと笑い、短剣の切っ先を男を盾にする麻里江に向けた。

 鋭い殺気といやな予感が麻里江を同時貫いた。

 香田の身体が一陣の風になって二人に襲いかかった。

 「ひゃ!こ・香田さん何を─」

 短剣が男の身体に突き刺さり、そのまま突き抜けた。後ろの麻里江の身体にも届くかに見えた。

 だが、麻里江は寸前で男から離れ、床を蹴ってジャンプし、横の壁まで飛ぶと、さらにその壁も蹴って、香田の頭の上を飛び越して入り口から外へ飛び出した。

 香田も後を追って外へ飛び出す。

 地面で一回転した麻里江はすぐさま身構えた。

 そこへ両手に短剣を握った香田が襲いかかった。

 両側から刃先が銀の線となって迫る。

 それをバク転しながら躱す。

 息をつかせず香田の短剣が襲いかかる。

 それも間際で躱しながら麻里江がカードを投げた。

 香田の短剣がそれを叩き落とす。

 続けざまに麻里江はカードを放った。

 しかし、結果は同じであった。

 さらに香田の両腕は別の生き物のように変幻自在に動き、両手に握る短剣が麻里江を切り刻もうとした。

 麻里江の腕やわき腹に赤い線が刻まれる。

 痛みに麻里江の顔がゆがんだ。

 それを見て香田の口の端が吊り上った。

 「死ね!」

 頭上から香田の短剣が振り下ろされる。

 それを間一髪で躱す麻里江。

 しかし、香田の身体が高速で回転してもう一方の短剣が横から麻里江に迫った。

 地面を転がりながらそれを躱すが、香田の回転は止まらず、駒のように回転しながら二本の短剣を繰り出していった。

 じりじりと下がりながら躱す麻里江だったが、後ろに校舎の壁を背負い、いよいよ窮地におちいった。

 「これで終わりだ!」

 回転したまま香田が地面を蹴った。

 それと同時に麻里江が懐からクラブのマークのついたカードを取り出した。

 頭上から回転する二本の短剣が銀の線となって迫る。

 「緑の(わらべ)たちよ。宙を舞いて我を守れ。」

 麻里江の言葉に反応して、風に吹かれたようにカードが舞い、一枚が2枚、3枚と次々分裂していき、大量のカードが宙を回りだした。そして、回転する香田にまとわりつき、香田の視界から麻里江を隠した。

 「ム!」

 香田の回転が一時ストップした。

 舞っていたカードも地面に次々と落ちていき、地面に吸い込まれるように消えていく。

 視界が開けた時には麻里江の姿はどこにもなかった。

 「どこへいった!」

 「ここよ!」

 香田の背後から声がした。

 急いで振り返ったとき一枚のカードが香田の左手の短剣を弾き落とした。

 「うお!」

 香田の前に麻里江が立っている。

 「光の盟約に応じ、魔を断つ剣をわが手に。」

 そういって両手で持っていたスペードのカードを左右に引くと、カードが横に連なり、紫の輝きとともに一本の剣となった。

 「りゃあ ── !」

 気合いとともに麻里江の反撃が始まった。

 鋭い打ち込みに香田は防戦一方となった。

 ついには持っていた短剣を跳ね飛ばされ、切っ先をのど元に突き付けられた。

 「私の勝ちのようね。」

 地面に尻餅をついた格好の香田に麻里江は上から睨み付けた。

 その麻里江の背後に足音を忍ばせて近づく人影があった。

 真木であった。

 麻里江の背中に狙いを定め、ナイフを大きく振りかぶった。

 勢いをつけて振り下ろされたナイフが麻里江の背中に突き刺さる寸前、麻里江の身体が横にずれた。

 ナイフは空を切り、真木は不意の回避に対応がとれず、そのまま前につんのめった。

 その足を麻里江の足が払った。

 また、体が一回転して今度は地面に叩き付けられた。そこへ麻里江の剣の柄がみぞおちに振り下ろされた。

 真木は白目をむいて気絶した。

 「気がつかないとでも思った。」

 真木を見下ろしながら言った時、香田の逃げる足音が麻里江の耳に届いた。

 急いで音の方に目を向けると、香田が校舎の向こう側に逃げるところだった。

 「まて!」

 麻里江も後を追った。

 逃げる香田を追う麻里江であったが、その距離はなかなか縮まらなかった。そして、校舎を半周したところでとうとう見失った。

 そこは学園の裏手。

 日中でもあまり人が来ないところで、夕暮れともなれば人影はまったくなくなる。

 周りを見渡したが香田の姿はなかった。

 「逃げられたか、」

 麻里江が唇をかんだとき、「ギャー」という悲鳴が聞こえた。

 急いで行ってみると、校舎に入る裏口の前で香田が倒れていた。

 のどを食い破られている。

 口から血の泡を吹きながら何かを言おうとしていた。

 「香田、なに?何が言いたいの?」

 麻里江は香田の口に耳をあてた。

 「ネ……コ……」

 そう言ったきり、香田の口は永遠に閉ざされた。

 「ネコ、なにかしら?」

 そのとき、例の異様な視線が麻里江の背中を貫いた。

 急いで振り向いた時、そこに人はいなかった。しかし、いまはその視線の主がはっきりわかる。

 猫が一匹、麻里江をじっと見つめていた。

 「ネコ…」

 香田の言葉が脳裏によみがえる。

 それに呼応するように猫の口がみるみる裂けていく。その奥に見えるのは鋭い牙の列。

 麻里江は持った剣を構え直した。

 猫の毛が逆立ち、のどの奥から威嚇の唸り声がしぼり出る。

 唸り声がやんだ瞬間、猫の身体が風のように飛んだ。

 麻里江の遥か頭上に達したその小さな体が矢のように飛んでくる。

 麻里江の剣が猫をはらう。

 しかし、猫は空中で身をくねらせ、その刃を躱した。そして、地面に降り立つやいなや麻里江に襲いかかった。

 そのスピードに麻里江は躱すのが精いっぱいであった。

 「しょうがないわね。」

 麻里江は懐からダイヤのカードを取り出し、猫に向って投げた。

 猫はそれを軽くかわし、再び矢となって麻里江に向っていく。

 麻里江の首にその牙が迫ったとき、先ほどのカードがUターンして頭上から猫の頭に突き刺さった。

 「ギャ!」

 悲鳴とともに猫は地面に落ち、絶命した。

 「秘技、つばくろの舞。」

 麻里江は一息つくと、なにげに裏口のほうに目を向けた。

 「!?」

 あるはずの香田の死体がなくなっている。

 麻里江は急いで倉庫に向った。

 そこには真木ももうひとりの男の姿もなかった。

 「やってくれるわね。」

 麻里江は夕闇に染まろうとしている校舎を見上げながら唇をかみしめた。

 同じころ、夕闇に染まり始めていた校長室にたたずむ男は、両手に抱える白猫の目をじっと見つめていた。

 「なかなか、やりますね。」

 「苦戦しているようだな。」

 闇に染まった部屋の片隅から声がした。しかし、男は驚きはしなかった。

 「女一人にてこずるなんておまえらしくないな。魔霊院。」

 「いつ来たんです。鳴神。」

 魔霊院の言葉に引き出されるように闇の中から一人の男が出てきた。

 均整のとれた体つきのスポーツマンタイプの男だ。

 「左京様のおともさ。」

 「左京様の?来ているのか?」

 魔霊院の言葉づかいが少し粗暴になった。

 「全国行脚のひとつさ。それよりあまりこじれると左京様の不興を買うぞ。」

 「わかっています。たかが陰陽師の女ひとり。すぐに始末しますよ。」

 「ま、お手並み拝見といこうか。あの方も見ているしな。」

 「あの方…」

 鳴神は含み笑いを残して闇に消えた。

 一人残された魔霊院は白猫の頭をなでながらぼそっとつぶやいた。

 「いよいよ、お前の出番だよ。」

 それに答えるように白猫が鳴いた。

          3

 学校から帰宅した麻里江がマンションの自分の部屋の前に立ったとき、誰もいないはずの部屋の中から物音が聞こえた。

 麻里江の全身に警戒心が駆け巡った。

 ドアノブを握ると、鍵が開いている。

 静かにドアを開け、中をうかがうと奥の方からシャワーの音が聞こえる。

 (シャワー…?)

 不可解に思いながら気配を隠して部屋の中に入った。

 見覚えのある靴が脱ぎ散らかされている。

 シャワーのほかに鼻歌も聞こえてきた。

 麻里江の警戒心が緩んだ。そして、頭に思い当たる人物の名前が浮かんだ。

 浴室にそっと近づき、いきなりドアを開けた。

 「きゃあ」

 浴室にいた少女が悲鳴をあげ、思わず胸を隠した。

 「何やっているの。美樹」

 美樹と呼ばれた少女は麻里江の顔を見ると人懐っこい笑顔を見せた。


 浴室から出た美樹はバスタオルで頭を拭きながらキッチンに向った。そして、麻里江の承諾もなしに冷蔵庫を開けると、中から缶ジュースを取り出した。

 「さっさと服着たら。風邪ひくわよ。」

 「もう少ししたらね。」

 そう言って、美樹は数少ない家具であるソファに座った。

 「あいかわらず質素ね。麻里江は。」

 ジュースを飲みながら美樹は部屋を見渡した。

 「で、なんの用で来たの?私に会いたくなったからでもないでしょ。」

 「半分はそれ。あとの半分は叔父さまに言われて。」

 「土御門(つちみかど)様に?」

 「そ、麻里江を助けなさいって。なんかお菓子ないの?」

 麻里江は戸棚からお菓子の袋を取り出すと、美樹に手渡した。しかし、その表情はさきほどまでとは打って変わって厳しいものになっていた。

 「どうしたの、麻里江?難しい顔をして。」

 「3人官女の内のふたりまでも当らせるなんて尋常じゃあないわ。」

 「そんなに難しく考えなくていいんじゃあない。」

 美樹は袋のお菓子を口いっぱいに頬張った。

 それを見て麻里江は苦笑した。

 「あなたを見てると世の中、大したことないと思えてくるわ。」

 「そうそう、気楽にいこうよ。」

 麻里江はあきれたようにため息をついた。

 「でも、美樹が来たことは幸いかも。」

 麻里江は美樹からお菓子の袋を取り上げると、一つまみ口に入れた。

 「どうゆうこと?」

 美樹はバスタオルを投げ捨てると着替えはじめた。

 「相手は私に注目している。その間に美樹は自由に動ける。」

 「なるほど」

 ピンク色のスエットに着替え終わるとまたソファに座った。

 「美樹には紋様を探ってほしいの。」

 「場所はわかっているの?」

 「今日、わかったわ。」

 麻里江は今日の出来事を話し、紋様のある場所を教えた。

 「あと、猫には注意して。」

 「ネコ?」

 「そ、ニャーと鳴く猫よ。」

 美樹は首を傾げて考え込み、それを見た麻里江はニッコリ笑った。

 

 次の日、麻里江はいつも通りに登校した。その後ろで何食わぬ顔で美樹も登校してきた。

 生徒でもない美樹に誰も注目しない。

 穏形の呪符で美樹の姿は見えても意識されないのだ。

 美樹は校舎に入ることもなく、紋様のある倉庫へ向かった。

 麻里江は教室に入り、自分の席につくとカバンから白い紙の束を取り出した。

 どれも人型(ひとがた)をしている。

 そのうちの一枚を机の上に置くと、席を離れ、教室から出て行った。しかし、その席には麻里江がきちんと座っていた。

 教室を出た麻里江は廊下を堂々と歩きながら周囲の気配を探った。

 (どこから見ているか知らないけどさっさと出てらっしゃい。)

 それに応えるように目の前に一匹の白猫が現れた。

 白猫は麻里江を見るとついて来いと言わんばかりに歩き始めた。

 麻里江もその後をついていく。

 階段を降り、廊下を進むとあるところで白猫が不意に消えた。

 見ると音楽室の前だ。

 扉を開け、中に入るが人っ子ひとりいない。

 「どこへいったのかしら。」

 周囲に警戒心をめぐらしていると突然、ピアノが鳴った。

 ドキッとしてピアノを見るといつの間にか鍵盤の蓋が開き、その上を白猫が歩いている。

 「脅かさないでよね。」

 白猫は緑の目を麻里江に向けてじっと見つめていた。

 その目が怪しく光る。

 麻里江の警戒心が再び高まった。

      4

 同じころ、美樹は倉庫の前で立ち往生していた。

 ドアの前に猫が一匹、(たたず)んでいたからだ。

 猫には穏形の呪符も効力がないようだ。

 「ちょっと、邪魔しないであっちへ行って。」

 手で追い払おうとしたが、猫は一向に動かない。

 逆に立ち上がると美樹にゆっくりと近づいてきた。

 「なによ。」

 猫の迫力に思わず後ずさりする。

 するといつの間にか、まわりに猫が多数たむろしている。

 「これって。」

 美樹の脳裏に麻里江の言葉が浮かんだ。

 『猫には注意して』

 「これのこと?」

 美樹の全身が臨戦態勢になる。

 そのとき、一匹が美樹に飛びかかった。

 それを躱す。

 続けざまに数匹が飛びかかってきた。

 それを躱しながらその場から逃げ出そうとしたが、すでに周りを囲まれていた。

 「まずいわね。」

 周りの猫を注視しながら横に動く。

 それに合わせて猫も動いてくる。

 美樹のまわりを囲んだまま、猫たちが不意に飛び上がった。

 四方八方から猫が飛びかかってくる。

 逃げ場はなかった。

 猫たちの鋭い爪が美樹に迫ったとき、風を切る音とともに黒い物体が円を描いて、猫たちを薙ぎ払っていった。

 猫は短い悲鳴をあげて地面に落ちていく。

 弧を描いて美樹の手に戻ったのは、棒手裏剣の根元に紐を括り付けたものだった。

 “縄鏢(じょうひょう)”と呼ばれるものである。

 美樹はそれをクルクル廻しながら猫たちの動きを注視した。

 猫たちはそれに怯むことなく次々と襲いかかる。

 美樹の縄鏢は生き物のように美樹の周りを駆け巡り、襲ってくる猫たちを、その爪が身体に届く前に、次から次へと片付けていった。

 「美樹様の縄鏢の味はどう?」

 得意げな顔をして美樹は猫たちを睨み付けた。

 すると、残った猫たちが美樹の周りを回り始めた。

 それは次第にスピードを増し、地面から離れ、空中を不規則に駆け回りだした。

 「ヤバイんじゃない」

 美樹の警戒心が高まった。


 同じころ、麻里江も白猫と対峙していた。

 白猫は鍵盤の上からピアノの大屋根の上に移りながらその目はじっと麻里江を見つめていた。

 麻里江は懐からカードを取り出し、斜めに構えた。

 殺気が音楽室の中に充満していく。 

 唐突に白猫が鳴いた。

 麻里江の身体に緊張が走る。

 不意に白猫が消えた。

 白い風が麻里江の肩をかすめる。

 服が引きちぎられ、白い肌が赤く染まる。

 白猫は机の一つに飛び乗ると、間髪を入れず、その机を蹴った。

 また、白い風が麻里江の腕をかすめる。

 鮮血が迸った。

 教壇に飛び乗った白猫に向って、麻里江のカードが放たれた。

 しかし、白猫はそれを軽くかわし、天井に向って飛び上がると、天板を四肢で思いっきり蹴った。

 麻里江が後方に飛ぶのと、白猫の鋭い爪が襲いかかるのがほぼ同時であった。すんでのところで躱した麻里江は、再度カードを白猫に向って投げた。

 だが、白猫はカードを余裕で躱し、机のひとつに飛び乗った。

 麻里江と猫の視線がぶつかり合う。

 白猫が身を低くし、低いうなり声をあげた。

 全身の毛が逆立ってくる。

 麻里江もカードを構え、全身から闘気をみなぎらせた。

 麻里江の両手が交差する。

 カードが左右に飛ぶ。

 それは弧を描いて、左右から白猫に向って飛んで行った。

 白猫の身体が消えた。

 左右からのカードは宙で重なり、弾け飛ぶ。

 麻里江の右手が素早く動いた。

 2枚のカードが白猫を追って天井に飛ぶ。

 しかし、白猫はすでに天井を蹴り、麻里江に向って飛びかかっていた。

 麻里江の身体が横に飛ぶ。

 白猫は床を蹴ると、壁まで跳躍し、その壁を蹴って方向を変えた。

 麻里江のカードが再び放たれる。

 白猫は空中でそれを躱し、鋭い爪で麻里江を切り裂いた。

 麻里江の腕に4本の赤い線が刻まれる。

 しかし、白猫の動きは止まらない。

 反対の壁に飛ぶと、それを蹴り、麻里江の背後を襲った。

 身を沈めてそれを躱す麻里恵は、床を転がるようにして扉の方へ逃げようとした。

 そうはさせじと白猫は矢のように飛んでくる。

 口を大きく開け、その奥に並ぶ白い牙が麻里江の喉元を狙う。

 麻里江はそばにある椅子を持ち上げ盾にした。

 背もたれに白猫の牙が食い込む。

 麻里江は椅子ごと白猫を放り投げた。

 椅子と白猫は宙を回転して、白猫はふわりと机の上に降り立ち、椅子はそのそばに音をたてて転がっていった。

 その間に麻里江は扉の前に立ち、取っ手に手をかけた。

 しかし、扉は少しも動かない。

 「いつの間に鍵が?」

 麻里江に動揺が走った。

 目の前の白猫が笑ったように見えた。

 (落ち着くのよ。)

 心の中で繰り返しつぶやいた。

 白猫が机を蹴った。

 白い弾丸となって麻里江に向って飛んでくる。

 「(こん)の盟約に従いて我が前に硬き盾を()てよ。」

 麻里江の手から数枚のカードが床に落ちた。瞬く間にカードは数を増やし積み重なって一枚の壁になった。

 その壁に向って白猫がぶつかった。

 カードは四散し、その衝撃にバランスを崩した白猫はやっとの思いで床に降り立った。

 見ると壁の後ろにいるはずの麻里江の姿がない。

 白猫の目が周囲を巡った。

 そのとき、カードが白猫の背後から飛んできた。

 一枚目はかろうじて躱した。しかし、続く二枚目は躱し切れず、前足に深々と突き刺さった。

 「ギャ!」

 叫び声とともに白猫が床に倒れこむ。

 前足の白い毛がみるみると赤く染まっていく。

 カードを銜えて引き抜き、横に投げ捨てた白猫の目が吊り上っていく。口は大きく裂けはじめ、体も徐々に膨らみだした。

 体は大型犬並みになり、大きく見開いた目と大きく裂けた口を持つその姿は、化け猫のそのものであった。

 「正体を現したってところね。」

 そう言いながら麻里江はカードを剣に変えていた。

 「こい!化け猫!」

 気合い一閃、剣先を白猫に向けた。

      5

 麻里江が化け猫と対峙しているころ、美樹も苦戦を強いられていた。

 美樹の周りを不規則に駆け回る猫たち。そして、不意をついて一匹の猫が美樹に襲いかかった。

 鋭い爪が美樹の衣服を切り裂き、その下の身体を傷つけていく。

 美樹も縄鏢を使い反撃を試みるが、猛スピードで駆け回る猫に追いつかない。

 「くそ!」

 円陣を崩さず、その中心にいる美樹に向って、次々と猫が飛びかかっていった。そのたびに美樹の傷は増えていく。

 「こうなったら。」

 美樹は懐から“鏢”と呼ばれる手裏剣を数本取り出した。

 それを地面に円を描くように打ち込んだ。そして、胸の前で印を結び、呪文を唱える。

 「空を舞う風の精霊よ。我が声に応えてここに来たれ。我が描く陣に集いてその威を見せよ。」

 美樹の呪文に地面に突き刺さった鏢に結び付けられた赤い布が反応を始めた。それは空気の流れとなり、風となり、やがてつむじ風が巻き起こった。

 土ぼこりを舞い上げ、つむじ風は宙を駆け回る猫たちを飲み込み、次々と吹き飛ばしていった。

 巻き上がるつむじ風に乗って美樹は高く飛び上がり、校舎の非常階段に飛び移った。そして、間髪をおかず、鏢を猫に向って投げた。

 つむじ風から逃れた猫が、美樹の姿を探してキョロキョロしているところへ美樹の投げた鏢が猫たちの急所を貫き、絶叫を残して次々と倒れていった。

 残った猫をひととおり片付けてホッとした美樹が、手すりに手をかけた時だった。

 手すりがゴムのように柔らかくなり、美樹は自分の身体を支えられず、バランスを崩した。同時に非常階段が生き物のように揺れ動き、美樹は階段から弾き飛ばされた。

 とっさに投げた縄鏢が手すりに巻きつき、落下の勢いを殺すと、空中で一回転してなんとか着地した。

 何が起こったか理解できない美樹は、しばらく手すりを見つめた。

 やがて、ゆっくりと非常階段に近づき、手すりにそっと触れた。

 鉄の硬い感触が指先に伝わってきた。


 麻里江の戦いも佳境に入っていた。

 化け物と化した白猫は麻里江に死の一撃を加えようと身構えている。麻里江も剣を正眼に構えて化け猫の攻撃に備えた。

 化け猫の妖気と麻里江の闘気が空中でぶつかり合う。

 教室全体が緊迫した空気で満たされた。

 化け猫の姿が不意に消える。

 しかし、麻里江の構えは微動だもしない。

 化け猫が地面を走るように壁を駆けていく。

 化け猫の四肢が壁を蹴った。

 麻里江の背後から鋭い牙がせまる。

 麻里江の剣が空を切った。

 「ガシン!」

 金属がぶつかり合うような音とともに化け猫と麻里江が両側に弾け飛んだ。

 間髪をいれず、両者が壁を蹴り、化け猫の刃物のような爪と麻里江の剣が空中でぶつかった。

 2度、3度、剣と爪がぶつかり合う。

 弾かれる麻里江の剣を化け猫がつかんだ。

 「!」

 麻里江の全身に危機感が走る。

 傷つくことも構わず、化け猫は剣を握ったまま猛烈な力で麻里江を引き寄せる。その先には化け猫の大きく開いた口があった。

 鋭い牙が眼前に広がる。

 「解呪!」

 そう叫んだ途端、剣がカードに戻った。

 (くう)を引っ張る形となった化け猫はバランスを崩した。

 その機を逃さず、麻里江は化け猫に体当たりを食らわした。

 背中から床に倒れた化け猫を踏み台にして宙へ飛び上がった麻里江は、化け猫が起き上がるの待たずカードを投げた。

 肩口と喉元にカードが突き刺さる。

 「ギャア!」

 苦痛の叫びをあげながら化け猫が怯んだ。

 ここぞとばかりに麻里江は再びカードを剣に変身させ、床に降り立つと、大上段に構えて床を蹴った。

 裂帛の気合いとともに剣が振り下ろされる。

 化け猫が袈裟懸けに切り裂かれた。

 「グォ~」

 断末魔の咆哮とともに、どす黒い血を辺りに撒き散らしながら化け猫は床を揺らして倒れた。

 しばらく様子を見ていた麻里江は、化け猫がピクリとも動かないことを確かめると一つ息を吐いた。

 「終わったようね。」

 そのまま教室を出ようと扉に手をかけた。

 まだ、扉が開かない。

 「え?」

 押しても引っ張っても扉はビクともしない。

 「どういうこと?」

 扉と格闘しているとき、背後に異様な殺気を感じた。

 さっきまで動かなかった化け猫が静かに立ち上がったのだ。

 麻里江が振り返るのと化け猫が飛びかかるのがほとんど同時であった。

 大きく開けた口が麻里江を飲み込もうと迫ってきた。

 麻里江はとっさにスライディングをして化け猫の攻撃を避けると持っていた剣を思いっきり突き上げた。

 剣は化け猫の喉元に突き刺さり、化け猫の勢いを借りて、そのまま股間まで切り裂いていった。

 化け猫は喉から股間まで真っ二つになりながらその勢いのまま、扉に激突していった。

 扉は大音響とともに粉々に破壊され、化け猫は教室の外に飛び出していった。

 床に倒れたまま麻里江は破壊された扉の先を見た。

 廊下に一匹の猫が倒れている。

 普通の白猫であった。

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