二、 招かざる少女
1
朝日が坂道を照らしている。
その坂道を同じ制服を着た男女が、同じ方向に歩いていく。
その方向にあるのは、“私立あけぼの高校”。
この辺りでは名門にはいる進学校だ。
そんなどこでも見られる登校風景の中に麻里江はいた。
麻里江がこの町に来たのは半月前。すぐに澪丸の住んでいたアパートを訪ねた。しかし、澪丸は行方不明で、部屋の中も物色された形跡がある。
なにかに巻き込まれた、麻里江はそう直感した。
手がかりがないかと、部屋の中を探しまわったが、それらしきものは見当たらない。
澪丸の本業である風水の道具もなかった。
失望して立ち去ろうとしたとき、麻里江の目が机の上のメモ用紙に止まった。
何も書かれていない白紙のメモ用紙だ。
麻里江はそのメモ用紙をじっと見つめていたが、机の引き出しから鉛筆をとりだすと、その一面を鉛筆で塗り始めた。
やがて、黒く塗られていく表面に白く文字が浮かんできた。筆圧で写った部分だ。
“あけぼのこう”
(なんだろう?)
そのメモを破り取り、ポケットにいれた麻里江は部屋から出た。
近所の本屋でこの町の地図を買うと、食事を兼ねてファミリーレストランに入った。
サンドイッチとコーヒーを頼んだ後、麻里江は地図を広げ、澪丸のアパートの位置を確認した。
(たぶん、この近辺だと思うんだけど…)
“あけぼのこう”という文字をたよりに地図を見ていく。
それは思ったより早く見つけ出せた。
地図の上に記された“あけぼの高校”の文字。
「これみたいね。」
「は?」
サンドイッチを運んできたウェイトレスが、麻里江の発した言葉に驚いた表情を見せた。
「いえ、なんでもないの」
あわてて言いつくろう麻里江の前に、ウェイトレスは怪訝そうな顔をしながら、サンドイッチとコーヒーを置いた。
食事をすませた麻里江は、泊まっていたホテルに戻った。
さっそく北陸の老人に連絡をとる。
「そうか、高校か…」
「その高校になにか秘密があると思います。たぶんあの紋様もその高校にあるかと。」
「その高校に入ってみるか?麻里江。」
「え、転入するのですか?」
「手続きはこちらでする。住むところも手配しよう。」
「しかし、この時期に転入となると相手に怪しまれますが…」
「相手の正体も目的もわからぬ以上、おびき出すしかあるまい。」
「陽動ですか?」
「不服か?」
「いえ、かえってやりがいがあります。」
「そなたならむざむざやられまい。頼むぞ、麻里江。」
そういうと北陸の老人は電話を切った。
麻里江の顔に不敵な笑みが浮かんでいた。
2
そうして麻里江は転校初日を迎えた。
朝日に押されるように、皆が校門を通り抜ける。
門の前には先生が立っており、門をくぐる生徒たちに挨拶をしていた。
麻里江はその先生に近づくと、まずは挨拶をした。
「おはようございます。」
見知らぬ美しい生徒に挨拶をされて、その教師は戸惑いの色をみせた。
「おはよう、君は…?」
「はい、今日から転入します、鷹堂麻里江と言います。」
麻里江が頭を下げると、後ろで結んだ髪が軽く宙を舞った。
「ああ、転校生か。話は聞いている。職員室はあっちだ。」
「ありがとうございます。失礼します。」
笑顔を残して麻里江は、示された職員室へ向かった。
教師は、しばらく麻里江の後姿に見とれていた。
それを見る生徒たちが、クスクス笑って校舎へ向かっていく。その中で厳しい表情で、麻里江の後ろ姿を見つめる男がいた。
香田である。
香田は、麻里江が校舎の中に入っていくのを見届けると、後ろにいた二人の男に目配せし、その場を去った。
麻里江に応対したのは、教頭の細川であった。
「鷹堂君だったね。ようこそ、あけぼの高校へ。」
歓迎の言葉を送る細川の目は、好奇心で溢れていた。
麻里江が美少女であることも一因していたが。
「それじゃあ、教室に案内しよう。門脇先生。」
門脇と呼ばれた男性が、教頭のほうを向いた。
ジャージを着た、いかにも熱血先生という体をした教師であった。
「君の担任になる門脇先生だ。先生、彼女が鷹堂君です。よろしくお願いしますよ。」
「お願いします。」
麻里江は笑顔を見せて頭を下げた。
「よろしく。じゃあ、ついてきなさい。」
そう言って、門脇は先に立って職員室を出た。麻里江も後に続く。
麻里江の教室は2階にあった。
ドアを開けると、生徒たちがきちんと机にむかっている。
門脇が先に入り、麻里江がその後に続いた。
「今日からいっしょに学ぶことになった、鷹堂麻里江君だ。」
「鷹堂麻里江です。よろしくお願いします。」
そう挨拶したあと、教室を見渡した麻里江の目に違和感が映った。
静かだ。
十代の若者の集まりのはずなのに、活気がない。
今の時期に転入したのだから、もっと好奇の目を向けてもおかしくないのに、それもない。
転校生に関心がないのか?
麻里江は奇異に感じた。
「鷹堂君は、窓際の一番後ろに座ってくれ。」
麻里江は門脇の指示に従い、一番後ろの席に座った。
そのとき、異様な視線を感じた。
そっと後ろを見たが、人はいない。
前に座る生徒たちはすべて門脇の方を向いている。
どこからか?
窓から外を見た。
ベランダがある。
しかし、人影はない。
そのときには、異様な視線は感じなくなっていた。
(気のせいだろうか?)
麻里江は首を傾げながら一時限目の授業を受けた。
ことさら問題もなく午前中の授業は終わり、昼休みに入った。
麻里江は教室を離れると、ひとり校舎の中を歩き回った。
見た目は普通の学校であった。
生徒たちはどこにでもいる高校生であり、校舎も学校設備もきちんとしている。
あちこちで勉強に打ち込んでいる姿は、進学校にありがちな光景だ。活気がないのも、進学校として勉強中心、受験中心の学校生活が原因かと思えてきた。
「転校生に関心がないのも、自分の勉強以外に興味がないせいかな。」
そう思いながら麻里江は、自分が体育館の裏手にいるのに気付いた。
この高校で火事騒ぎがあったことは、近所の噂で知っていた。
その現場の前に麻里江は立っている。
出火元の倉庫は立入禁止の札もなく、修繕も終わっているようだ。
麻里江はその倉庫のドアに手をかけた。
鍵がかかっている。
中をのぞけないかと、周りを歩いてみた。
「なにをしている。」
突然、後ろから声がかかった。
振り向くと長身の男が立っている。
香田だ。
「こんなところでなにをしているんだ。」
香田は再度尋ねた。
「なにって、ただの散歩です。」
麻里江は笑顔を見せて答えた。
「学校内で散歩とは暇のようだな。」
香田が麻里江に、不信の視線を送っている。
「今日、転校してきたばかりですから、あちこち見てまわっているんです。」
麻里江は素知らぬ様子で、答えた。
「ここには見てもおもしろいところはないぞ。」
「そのようですね。」
「もう昼休みも終わる。さっさと教室にもどりたまえ。」
「はい、わかりました。」
麻里江は素直に元来た道を戻っていった。
それを見送った後、香田も別の方向へ歩き始めた。
香田が向かったのは校長室であった。
「やはり、探りにきたようです。」
香田が語りかけた先には、革製の椅子の背もたれがあった。誰かが座っているようだが、椅子の大きさでその姿は見えない。
「どういたしましょうか?」
再度、香田が語りかけた。
「早いうちに始末をしたほうがいいかもしれんな。」
冷酷な返答が椅子の向こうから帰ってきた。
「では、刺客を…」
「相手の実力を知る意味でもしかけてみろ。」
「では、帰り道でも」
そう言うと香田は頭を下げ、校長室から出て行った。
そのとき、椅子の向こうから猫の鳴き声がした。それと同時に白い猫が顔を出した。
「お前の出番はまだだよ。」
色白の手が猫の頭をなでた。
3
あけぼの高校に授業終了のチャイムが鳴った。
麻里江もほかの生徒に合わせて帰り支度をする。
特に寄るところもなく、用意されたマンションに向って歩く麻里江の肌に、人の気配が触れた。
だれかが後をつけてくる。
(さっそく仕掛けてきたってわけね。)
麻里江はほくそ笑みながら、わざと人気のない道をたどった。
表通りからはずれた裏道。
襲うには格好の場所であった。
麻里江は急に足を止めた。
それにあわせるように三人の男が現れた。
前に一人、後ろに二人。
チンピラ風の男たちだ。
「あなたたちは誰なの?」
麻里江はか弱そうな演技を見せた。
「ねえちゃん、俺たちと一緒に来な。」
十分、ドスの効いた言葉だ。
「どこへ連れて行く気?」
あくまでもか弱い少女を装う。
「いいところさ。」
いやらしい笑いを浮かべて男たちが、前後から近づいてきた。
後ろの一人が麻里江の肩に手をかけた。
「うわ!」
麻里江の肩に手をかけた男が、突然宙を舞うと、背中から地面に落ちた。
残りの二人はあっけにとられた。
「てめえ、何をした。」
気をとりなおした一人が、ポケットからナイフを取り出した。
地面に倒れていた男も懐からチェーンを取り出し、もう一人はスライド式の特殊警棒を取り出した。
「おとなしくしないとけがをするぜ。ねえちゃん。」
凄んで見せる男に、麻里江は大胆不敵にも笑顔で答えた。
「けがをするのはどっちかしら?」
麻里江は持っていたカバンを地面に置いた。
「痛い目にあわねえと、わからねえらしいな!」
男の持った警棒が麻里江に向って振り下ろされた。
麻里江の体が横にずれたかと思うと、警棒は空を切り、男の体が流れた。その勢いを利用して、麻里江が男の足を払うと、男は一回転して地面に叩き付けられた。
左から男が手にしたチェーンを振り回した。
麻里江は少し体を沈めてそのチェーンを躱すと、あっという間にチェーンの男の前に立ち、みぞおちに拳を入れた。
チェーンの男が前のめりになったところを、頭に手をかけ、そのまま地面に顔を叩き付けた。
ほんの数十秒で二人の男が沈黙したことに、ナイフの男は立ちすくんだ。
その隙をついて麻里江は男の前に移動すると、ナイフを持った手をつかみ、そのまま後ろに回った。
男の腕に激痛が走った。
「いてて!骨が折れる。」
「折られたくなかったらしゃべることね。誰に頼まれたの。」
「し・知らねえ」
その言葉に麻里江は、男の腕をさらにひねり上げた。
「ほ・ほんとに知らねえんだ。し・知らねえ奴に5万で頼まれたんだ。」
「5万なんてずいぶん安く見られたものね。」
そう言って、麻里江は男の腕を放してやった。
男は腕をさすりながら麻里江を恐ろしげに見上げた。
「もっと詳しく話して。どんな奴だった。」
「背の高い、学生だった。」
「学生?どこの学校の!」
「たしか…」
男が何かを言いかけた時、男の動きがピタッと止まり、そのまま麻里江に寄りかかるように倒れた。
「どうしたの?しっかりして!」
男を抱きかかえた時、首に一本の短剣が突き刺さっているのが見えた。
麻里江の視線が後方に飛んだ。
長身の男がその場から去っていく姿が見えた。
「まて!」
麻里江は冷たくなった男をその場に放り出し、逃げる男を追った。
この辺の地理をよく知っているとみえて、男は路地を右・左と曲がって、麻里江との距離をどんどんと離していく。
とうとう麻里江は男を見失ってしまった。
「チッ」
舌打ちしながら追跡をあきらめた麻里江は、元の場所に戻った。すると、その場所にいるはずの男の死体や仲間の姿が、煙のように消えていた。
「やってくれるわね。」
苦笑しながら取り残されたように落ちている、自分のカバンを拾いあげようとしたとき、また異様な視線を背中に感じた。
急いで振り向いたがそこに人の姿はなかった。
「どういうこと?」
しばらくあたりを見渡したが、人の姿はどこにもなかった。
猫がポリバケツの上であくびをしているだけであった。
4
夜が校舎の中に忍び寄っていた。
一部の教師以外、校舎の中に人はいない。
寝静まったような暗がりの廊下を動く物体があった。
緑に光る目をした白猫であった。
猫は校長室のドアの前にくると、その扉を爪にひっかきはじめた。それを合図のようにして扉が静かに開いた。
中に入ると、一目散に奥を占拠している机へと向かった。
大きな背もたれを見せている椅子が、くるりと回転した。
椅子に座っていたのは、蒼い学生服を着た青年である。
色白で細長い顔に、切れ長の目を持つ、どこか中性的な青年だ。
「よしよし、いい子だ。おいで。」
少し甲高い声で猫を誘うと、その言葉に従うように、白猫は青年の両腕の中に飛び込んだ。
ゴロゴロと喉を鳴らして青年にじゃれつく。
「どうやら、失敗したようだね。やはり街のチンピラではだめですか?」
「申し訳ありません。」
いつの間にか、部屋の片隅に、香田が片膝をついてうずくまっていた。
「ただのねずみではなかったようですね。」
そう言って青年は、白猫の頭をなでた。
「直接、私が始末いたしましょうか?」
「そうですね。そうしてください。」
「かしこまりました。」
「失敗は許しませんよ。」
「肝に銘じます。魔霊院様。」
そう言い残すと、香田の姿は部屋から消えた。
白猫の頭をなでながら魔霊院と呼ばれた青年は、闇に沈む外を眺めていた。




