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1/6

一、 紋様はさいなむ

          1

 老人は日の出前の道路を少し早足で歩いていた。健康のために毎日かかさず行っているウォーキングである。

 東の空は茜色に染まっているが、前方の道はまだ蒼暗(あおくら)い。

 それでも老人は一心不乱に歩いていく。

 坂道に差し掛かり、上を見るとてっぺんが赤く染まり始めていた。数分もすれば東の空に真っ赤な太陽があがるだろう。

 歩く速度が少し落ちたが、しっかりした足取りで老人は坂のてっぺんをめざす。もう少し歩けば、坂の上の高校の校舎が見えてくる。2時間後にはこの辺はその高校の生徒で埋め尽くされるだろう。

 ちょっと微笑んだ老人は、やっと坂のてっぺんにたどり着いた。

 さすがに息が切れたか、老人の足がとまる。

 息を整えて前を見ると、いつも見慣れた校舎にいつもと違うものが見える。

 校舎から黒い煙が立ち上っているのだ。

 (火事!)

 老人はそう直感した。

 {早く119番しなければ。}

 気はあせるが、周りを見ても公衆電話が見当たらない。

 そんな老人の目にコンビニの看板が目に留まった。

 急いで中に駆け込むと、カウンターにいる若い店員に早口にまくしたてた。

 「火事だ!早く119番を!」

 焦る老人の気持ちが店員にもうつったのか、電話に飛びつくがうまくボタンが押せない。やっとの思いで電話をかけると「火事です、火事です」というだけで要領が得ない。

 指令室の受付オペレーターの落ち着いた対応で、どうにかこうにか場所や火事の状況を伝えると、数分後には消防車のサイレンが聞こえてきた。

 それを聞いて二人はやっと落ち着くことができた。


 火事は小規模で収まった。

 消防士が実況見分であちこち調べまわる。

 火元は体育館に隣接する倉庫の一つであった。中には体育の授業で使う用具やマットなどが置いてある。そこが激しく燃えていた。

 「たばこか…?」

 消防士の立樹(たちき)が黒焦げになった空き缶を拾った。中にたばこの吸い殻がはいっている。どうやら、ここでたばこを吸い、その不始末で出火したようだ。

 「立樹さん」

 そんな推理をしていた立樹をもう一人の消防士が呼んだ。

 「どうした?清水」

 同僚の清水の呼ぶ声に立樹はその方向に顔をむけた。

 「これ、なんでしょうね?」

 清水が床をしげしげと眺めていた。

 「なにかあったのか?」

 立樹がそばに寄ると清水が床を指差した。その先には火事で焼け落ちて穴の開いた床があった。

 「床下に何か書いてあるんですよ。」

 「ええ、どれどれ」

 清水に言われて立樹が懐中電灯で穴の開いた床を照らした。穴の先には当然床下があり、基礎と地面が見える。しかし、立樹の目に映ったのは地面に描かれた奇妙な紋様であった。地面を削り、その上に石灰を撒いているようだが、見たことものない図柄であった。

 となりで清水がカメラで写真を撮った。

 つられて立樹も持っていた携帯電話で、奇妙な紋様を写真に撮った。

          2

 火事騒ぎがあって一週間後。

 その高校の校長室で奇妙な会話が交わされていた。

 かなり広い部屋の中央に備え付けられた革製のソファに、初老の男がひとり座り、その後ろには学生らしき背の高い男が立っていた。そして、部屋の片側を占領するように置かれた大きな机の後ろには、これも革製の大きな椅子が、背もたれを初老の男に見せて置いてあった。

 「不始末ですね。校長。」

 背もたれの向こうから少し甲高い声が聞こえてきた。

 「申し訳ありません。どうやら、隠れて煙草を吸っていたものがいたようで。」

 「そんなことはどうでもいいのです。それより、あれを外部の人間に見られたことが問題なのです。」

 「申し訳ありません。」

 まるで背もたれに謝るように校長と呼ばれた男は身を縮めた。

 「香田、目撃した者の特定はできているのか?」

 「はい、実況見分した消防士の中で二名の者が目撃したようです。居場所もつかんでおります。」

 「消しなさい!情報が拡散する前に消してしまいなさい。」

 「わかりました。」

 冷酷な命令に香田と呼ばれた学生風の男は冷静に答えた。その間で校長はかすかに震えている。

 「校長は速やかに焼け跡を修復したまえ。誰にもあれを見られないようにね。」

 「はい、わかりました。」

 震える声で校長は答えた。

 

 その名前があがった二人は居酒屋にいた。

 陽気にざわつく店内にあって、二人だけは妙に静かであった。

 「どうした、清水。さっきから酒が進んでないぞ。」

 そう言いながら立樹はビールの口を清水に向けた。

 「立樹さん、最近変だと思いませんか?」

 立樹の進めるビールにコップを差し出し、注いでもらいながら清水はひっそりと言った。

 「変って?」

 「誰かに見張られているとか、つけられているとか。」

 「ええ、なんだそれ?」

 「立樹さんは何も感じませんか?」

 清水は一口ビールを飲むと、周りをこっそりと見渡した。

 「どうしたんだ、清水。」

 そんな行動を見る立樹は呆れ顔になった。

 「私、不安なんですよ。昨日も俺の部屋が探られた気配があって。」

 「探られた?おいおい、穏やかじゃないな。何か()られたのか?」

 「いえ、何も…」

 「部屋が荒らされていたのか?」

 「いえ、それも…」

 「じゃあ、なんで探られたとわかるんだ?」

 「本の位置とか、机の上のものの位置とかが、前の日と違っている気がして。」

 「気がして?単なる勘違いじゃあないのか?」

 「立樹さんはそんなことはないですか?」

 清水が真剣な目で立樹を見つめたため、立樹は一瞬たじろいだ。

 「おれはそんなことはないよ。」

 「そうですか…」

 清水はがっかりしたようにうつむいた。

 「おまえ、疲れてるんだよ。明日はゆっくり休め。気晴らしにドライブでも行ったらいい。」

 「ええ…」

 清水は気のない返事をして、自分のコップをじっと見つめている。立樹は少し不安になった。

 「あのときからなんですよね。」

 清水がぽつりと言った。

 「あのとき?」

 「ほら、先週の火事の現場で見たあの奇妙な紋様。あれを見てからなんですよ。見張られている感じがしだしたのは。」

 立樹の脳裏にも先週、焼け跡で見た妙な紋様の記憶がよみがえった。

 「気のせいだよ。清水。あまり深刻に考えるな。」

 一時間ほど飲んで、二人は居酒屋を出て、そのまま別れた。しかし、清水はアパートには戻らなかった。

           3

 立樹が清水の失踪を知ったのは、居酒屋で別れて二日後であった。

 さらに、その日消防署に泥棒が入った。

 侵入経路も脱出経路も不明で、盗まれたものも様々で警察も首をひねる奇妙な事件であった。

 しかし、立樹は盗まれたものの中に清水のカメラが入っていたことを聞き、疑惑と不安が立樹の中で大きく広がった。

 焼け跡にあった妙な紋様を撮ったカメラだ。

 清水の失踪にも何か関係があるのではないか。立樹の脳裏にあの紋様が急にクローズアップされた。

 自分のアパートに帰った立樹は、あるところに携帯をかけた。

 「俺だ。立樹。夜分すまんな。」

 『どうした?』

 「実は見てもらいたいものがあるんだ。」

 『なんだ?見てもらいたいものって。』

 「これから写メで送る。話はそれからということで。」

 そう言って、立樹はあるところに、焼け跡で撮った例の紋様の写真を、メールに添付して送った。

 しばらくして、立樹の携帯が鳴った。

 「俺だ。見てくれたか?」

 『ずいぶん妙なものを送ってきたな。』

 「何かわかるか?」

 『う~ん、調べてみないとはっきりしたことは言えないな。』

 「調べてもらえるか?」

 『ああ、二日ほど時間をくれ。』

 「たのむ。何かわかったら連絡をくれ。」

 『了解』

 立樹は携帯を切るとホッと一息ついた。

 しかし、立樹は調査の結果を知ることはなかった。

 翌日、立樹は失踪したからである。


 その男は一時間前から机の上の写真をじっと見ていた。

 火事の焼け跡の写真である。

 床が焼け落ち、床下が見えている。

その中に奇妙な紋様がみえる。円の中に不規則な図形が石灰で描かれていた。二日前、友人の消防士から送られたその写真を、男は真剣な顔つきで見続けていた。

 「やっぱり現物を見ないとはっきりしたことは言えないな。」

 男は身支度を整え始めた。

 ヤッケを着こみ、リュックサックにヘッドライトと中央に方位磁石が取り付けられた丸い板、地図などを押し込んで背負った。

 机の上の写真を取り上げると、机から封筒と切手、便箋を取り出し、その便箋に何かを走り書きした。

 その便箋と写真を封筒に入れると、切手を貼り、表にどこかの住所を急いで書いた。

 封をしたその封筒をヤッケのポケットにねじ込むと、男はその部屋から出た。

 階段を下り、一階の廊下を出入り口に向かうと、外はすでに闇に覆われていた。

 男は出入り口の片隅に停めてあった自転車を取り出すと、それにまたがり、闇の中に漕ぎ出していった。

 

 男が闇の中を向かった先は、例の火事騒動のあった高校であった。

 夜中でもあり、当然高校の門は閉まっている。周りは高いフェンスで囲まれていた。

 男は自転車を駆って校庭を巡り、ある地点で自転車を停めた。

 そこはフェンスと生垣が並列しているところで、見るとフェンスの一部が破れている。男はリュックからボルトカッタを取り出し、フェンスをさらに切っていった。

 人が通れるほど切ると、リュックを穴から中に投げ入れ、自分も開けたフェンスの穴から慎重に中に入った。

 しばらくあたりを注意し、人の気配がないことを確認すると、男はフェンスに添って体育館のほうへ走っていった。

 体育館にたどりつくと、頭にヘッドライトを取り付け、ポケットから一枚の紙を取り出し、ヘッドライトを点けてその紙を照らした。

 どうやら高校の校舎の見取り図のようだ。

 印のついた地点を確認すると、男はヘッドライトを消し、静かにその方向へ歩き始めた。

 着いたところは例の火事の現場だ。

 扉には立入禁止の張り紙がしてあり、南京錠で硬く閉ざされていた。

 男はポケットから細い棒のようなものを取り出し、南京錠の鍵穴に差し込むとカチャカチャ動かした。

 しばらくして南京錠が外れた。

 もう一度あたりに気を配ってから、男はドアを細目に開け、中に滑り込むように入った。

 中は墨を塗ったような暗闇だ。

 男はヘッドライトのスイッチを入れ、明かりを灯すと、床を照らしていった。

 一面焼け焦げていたが、例の穴には鉄の板が敷かれていた。

 「ちっ」

 舌打ちをしながら男は鉄の板に手をかけた。

 予想以上に重い。

 渾身の力を振り絞って板をずらしていくと、まだ修繕されていない床の穴が現れた。その底をヘッドライトで照らすと、写真で見た奇妙な紋様がそこにあった。

 男はリュックを下し、中から例の円形の板を取り出した。

 それを紋様の上に置くと、リュックから地図を取り出し、丸い板を動かしながら地図と見比べていた。

 「思った通りだ。しかし、なぜこんなところに?」

 男は携帯で写真を撮り、丸い板をリュックに戻すと、鉄の板を元の位置に戻し、倉庫から外にでた。

 南京錠を元のようにかけ、その場から立ち去ろうとした時、正面から光を浴びせられた。

 「!」

 男の目が一瞬くらんだ。

 「だれだ!そこで何をしている。」

 (しまった!)

 男はとっさにリュックサックを光の方へ投げつけた。

 リュックが何かにぶつかり、光の元、懐中電灯が地面に落ちた。

 男は脱兎のごとく逃げ出したが、次の瞬間、背中に鋭い痛みを感じた。

 全身に熱いものが駆け巡り、四肢の力が抜け、男は地面に倒れた。

 意識が遠のく中、近づいてきた者が懐中電灯で男の顔を照らした。

 「見知らぬ顔だな。」

 そう言うと倒れている男の背中から短刀を引き抜き、血を拭うと懐にしまった。

 「こんなものがありました。」

 別の者が男のリュックから丸い板を取り出した。

 「羅盤か…」

 別の者の手にした懐中電灯で照らされた顔は、香田と呼ばれた男だった。

 香田は倒れている男の体を遠慮なく探し回った。

 懐から携帯電話を取り出すと、慣れた指使いで一枚の写真を再生した。

 あの奇妙な紋様を映した写真だ。

 「目的はこれか…」

 そう言うと香田は男の携帯を真っ二つに折った。

 「連れて行け!」

 倒れていた男はもう一人の男に担がれ、香田とともに闇の中に消えていった。

           4

 北陸の南西部にある山間(やまあい)の町にその屋敷はあった。

 時代劇にでも出てきそうなその屋敷は、その大きさもさることながら、庭園の美しさでも町の評判をとっていた。

 その美しい庭園を見渡せる座敷で、一人の老人が一枚の写真をじっと見つめていた。

 美しい正座の姿勢を少しも崩さず、小一時間はその写真を眺めながら、何かを思案しているようであった。

 やがて、老人は見ていた写真を畳の上に放り出し、傍らに置いてあった便箋を取り上げた。

 面長の顔に刻まれた(しわ)を更に険しくして、じっと便箋を見つめていた。

 三十分もそうしていたろうか、おもむろに老人が手を叩いた。

 それに答えるように横の(ふすま)が開き、一人の少女が現れた。

 漆のような黒髪を後ろで束ね、切れ長の目と細面(ほそおもて)の美少女である。

 首から下げている紫水晶のペンダントが印象的であった。

「お呼びでしょうか?」

 涼やかな声だ。

「麻里江、これを見てみなさい?」

 老人は麻里江と呼んだ少女の前に先ほど見ていた便箋と写真を差し出した。

 取り上げた便箋に麻里江はさっと目を通した。

「これは、澪丸(みおまる)おじさんからのものですね。“地龍に異変の疑い”なんですかこれは?」

「写真も見てみなさい。」

 そう促されて、麻里江は写真を取り上げた。

 そこには火災で床に穴が開いた場面が映っている。そして、その穴の奥には不思議な図形の紋様があった。

 例の紋様だ。

 その紋様を見た麻里江の顔が険しくなった。

 「なんと見る、麻里江」

 「何かの魔法陣かと思いますが。」

 「地龍、すなわち龍脈を操る魔法陣とわしは読んだ。」

 「龍脈を?しかし、そんなことができるのですか?」

 「わからん。だからそれを調べるのだ。」

 「わかりました。」

 「まずは澪丸のところへ行け。なにか新たな情報が得られるかもしれん。」

 「はい、さっそく。」

 麻里江は軽く頭をさげると襖を閉じた。

 一人座敷に残った老人の口元に笑みが浮かんだ。

 「これはわれらが再び世に出るきっかけになるやもしれん。」

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