運命論者 リヴェスタ博士
【物語の舞台】
時代:宇宙暦301年
舞台:火星都市ガリレオ
運命に捧げる狂詩曲
火星都市ガリレオ ガリレオ研究所地下施設
直径2m程の水槽に、左脳・右脳・中脳・小脳・延髄が、わずかばかり離解した状態で浮かんでいた。水槽の周りにはそれに関連しているものか、コンピューター類が円形に並んでいる。
うす暗い、狭い部屋だった。
部屋の内装といえば、水槽と各種コンピューターの他には複雑に絡み合ったコード類が走っているだけだ。その暗い部屋に水槽の中を見つめる形でコンピューターに向かい作業する二つの人影が見えた。一人は茶の髪を左右に分け、銀縁眼鏡をかけた白衣の研究者然とした若い男だ。もう一人は、褐色肌のオレンジ色の掛かったブルネットの美しい髪の少女であった。
「遺伝子工学では記憶の再現は不可能とされているが――脳に投与されたナノマシンには記録として残す事は可能だ。彼らも己の脳に、そんなものが投与されているとは知らなかっただろうね。これも一つの科学の勝利とでも云うべきか――視給え、タキリ。ニューロンが再びファイアダンスを始めた」
白衣の青年が傍らの少女――タギリへ話しかける。
「これも全てリヴェスタ博士の叡智あらばこそです」
静かにブルネットの少女は己の主の所業を褒め讃えた。
青年の名をニール・リヴェスタという。
地球政府の研究機関トロン=リヴェスタの最後の所長であり、遺伝子工学の天才と謳われた稀代の科学者として知られる人物であったが、その肩書きの前には必ず『狂気』という言葉がついた。
そう、彼の発想、理論、思想は全てが、常人が百年掛けても辿り着けない高みへ達していた。それを否定する事は誰にもできやしない。だが、それは狂気と表裏を共にする異端視される発想、理論、思想であり、余人には理解し得ない彼の『狂気』を学会は追放という形で応えた。
無論、彼の理論や仮定などは目を見張る着眼点があり、可能性として充分に研究する余地があったが、一人の優れた人類を作り出す為に百万人を犠牲する実験を誰が許可をしようというのだろうか。
『かつて旧世紀では、百万人殺戮するのに人種が違うという理由だけで実行された。それは百万人殺戮するに足る理由だったからだ。我々、科学者にしてもそうだろう。己の理論を、仮定を証明する事――それは百万人を実験にて死に至らしめる事に足る理由ではないのか』
彼が謳った理論は、この発言によって永遠に日の目を見ないことが決まった。凡人には自分が理解できないと、彼は思い、それが彼の狂気を加速させたのは間違いない事実であろう。
幸い、彼の一族は人体実験を手掛ける研究所に勤めていた。
彼は己の狂気を具現化する幸運に恵まれたのである。
こうして、青年は己の一族が百年の月日を掛けて蓄積した様々な人体改造研究やその技術を駆使し、新人類を作り出そうと計画したのである。
『最後の計画』
彼は己の計画をそう名づけた。
完璧で、完全で、無謬なる新人類の創生――天才と謳われた狂気の科学者の妄執と人は笑うかもしれない。だが、彼の脳髄はそれに辿り着く為の理論を創造し、彼の精神は文字通り狂気に侵された執念に満ちていた。あとは、仮定を実証する臨床実験を繰り返し、より現実に調整をしていく事を、彼は必要としていた。
ガリレオ研究所――生物工学という己とは分野が異なる研究施設であったが、羽夜間誠吾が提唱した異種転化は、若きリヴェスタにとって興味惹かれる研究分野であった。
10年前に一度――羽夜間誠吾が軍によって粛清される直前に会った時、彼の理想を聞いてひどく感心したものであった。彼は火星を『エデンの楽園』にしたかったらしい。
完璧な生態系の創造。
それはリヴェスタの追い求める完全なる人類創生にも似た、壮大な計画であった。そういった意味では、彼が実験体などを逃がす為に死んだと聞いた時はひどく落胆したものであった。
彼ほどの頭脳の持ち主ですら、己の運命の前に死する。
人間とは、なんと脆弱な生物なのだろうか。
まだ15歳であったリヴェスタは世界に悲嘆した。だが同時に、面白い話を聞く機会に恵まれた。
カーテローゼ・ウィザード。
羽夜間誠吾が関った最後の実験体。
遺伝子操作にて人類の創造を試みた、ある種の不可能領域の挑戦。
それは人工的な天才児創生の試みであった。
馬鹿げた計画――研究所のブレインとなる人物を人工的に創造するなど、正気の沙汰ではない発想であり、それは世間の嘲笑の種であったが、その計画は膨大な失敗の中で、たった一つ、奇跡を生みだす事に成功した。
その成功体には『G』の称号を――|《叡智》(グレコリオ)のミドルネームが与えられた。
カーテローゼ・G・ウィザード。
約束された天才――プロミスド・チャイルド。
狂気の天才ニール・リヴェスタが認めた才能、羽夜間誠吾が死んだ年に、少女は創造された。象徴的な出来事だとリヴェスタは思った。『運命』とでも称すべきだろうか。リヴェスタは、そういった人の力ではどうにもならない流れ、そういった世界に興味を抱くようになった。
宿命、運命、業、輪廻――様々な言葉はあるが、それを研究する者は殆ど存在しなかった。風水術や星占術など、人の生死を専門にした学問も存在したが、それは隠秘学として異端視されており、真剣に『科学的に』研究する者は皆無であった。
だが《狂気》をあだ名するニール・リヴェスタは臆する事無く、遺伝子工学と隠秘学、最先端生命工学を融合させ、人の生き死にまで読み解こうと試みた。完全なる人類の創生には、宿業は切っては考えられぬ存在だと考えたのだ。
彼の研究の一つの完成形であったマリア・ウェーバーは、生みの親であり、育ての親である、リヴェスタの父親を殺害し、研究所の所員の大半を殺害し、逃亡した。
それは彼を狂喜させた。
生みの親に絶対に逆らえないようにインプリンティングされた生命体の反抗。
それは父に黙って、リヴェスタが小さな実験をした結果であった。
果たしてマリア・ウェーバーは、機関を壊滅させた。
その後、彼女を回収し、研究を続けようとしたリヴェスタであったが、それはウランフ・オフレッサーなる彼の求める人類とはまた別の理想を実現した男によって、その機会を永遠に葬られてしまったかのように思われた。
だが――神は、彼にその機会を与える
彼の研究する所の、まさに宿業に相応しい出来事が起きたのである。
カーテローゼ・G・ウィザードによってガリレオ研究所が壊滅させられたというのである。確かにマリアとは全く性質の異なる存在であろうが、同時期に人工生命体が、その産みの親を滅ぼすという事態に、何か運命的なモノを感じずにはいられなかった。
彼はあらゆるルートを使って、ガリレオ研究所に関れるように活動を開始した。
賄賂、脅迫、暗殺――トロン=リヴェスタが壊滅したとはいえ、かの研究所が作り出した現代のフランケンシュタインの怪物たちは健在なのである。
数年前に、機関から数体の実験体を連れて逃げた研究員によるテロは、政府上層部にも記憶に新しい事であたらしく、彼はあっさりとガリレオ研究所の調査隊の責任者へ着任した。
ガリレオ研究所は結局の所、自然崇拝主義者のテロによって壊滅したのだが、彼らに情報を流したのはカーテローゼに他ならず、彼女は己の持てる力を以って、間接的に研究所を滅ぼしたと考えられた。マリアとはケースは違うが、その精神や思考の軌跡などは、リヴェスタにとって喉から手が出るほど欲しい情報であった。しかし、彼女が地球連合軍の極秘機関|《封印》(シール)のリックなる人物に保護された事を聞いて諦めざるを終えなかった。
リックなる人物については、リヴェスタ自身、多くを知る訳ではないが、その影響力は軍部暗部では絶大であると聞き及んでいる。今後、彼が研究を続ける上で敵対するのはあまり得策ではないと云えた。彼女の存在は非常に惜しいと思うが、永遠に箱に入れ続けることはできない。いつか彼女と接触する機会はある筈だ。
こうしてリヴェスタは火星に渡ったのである。
リヴェスタは眼前の水槽に浮かぶ分解された脳を見やる。これはガリレオ研究所にて、カーテローゼの観察を行っていた女研究員の脳である。リヴェスタが火星にやってきて一番初めに行ったのが、この女研究員の生脳の確保であった。
「ニューロンのタンパク質構造の働きを代行するように設定されたナノマシンは、結局の所、それはもう一つの脳、もう一人の彼女といってもいい存在になる。そのナノマシンのニューロ解析を完璧に行う事が出来れば、例え死者でも『記憶』ではなく『記録』を再現させる事が出来る。ナノマシンも生脳の中では、擬似たんぱく質として存在しているが、その根本は機械である事には変わりなく、シナプス構造予測の組み合わせによってニューロマップモデルを再構築すれば、生前、記憶していない事すら思い出させる事――いや、この表現は適切ではないな。『再生』することができる、これを転用すれば、クローン体への記憶の移植すら可能だ。つまり死者を死から蘇らせる不死を可能とする技術になる」
「概念上の情報単位|《運命素子》(ウェトロン)――リヴェスタ博士の提唱する記憶の媒介する情報理論ですね」
助手であり、己の創造物である少女に微笑を浮かべたリヴェスタは、制御盤を鮮やかな指捌きで叩く。
「彼女には私の実験の助手として、甦ってもらうとしよう」
トンと実行キーを叩くと同時に、命令を受諾したコンピューターが機械的な音声で作業の進行状況を伝える。
『大脳辺縁系と脳幹及び小脳、接合。左右大脳新皮質、接合。脳梁再生中―――再生完了。各部ドーパミンレベル正常』
「私はね、タキツ。父には何の感情も抱いていなかったが、研究者としてのニミッツ・リヴェスタ博士には敬意を持っていたんだよ。彼のサイバネ理論や技術は、当代でも稀有のモノであった事は間違いがないだろう。こうしてキミたちに身体を与えられるのも、ニミッツ博士の研究があったからだ」
「ですが、ニミッツ博士にも死者の脳を再生できませんでした」
何の感情も込められていない謝辞であったが、リヴェスタは嬉しそうに頷いた。如何なる時も、彼女は自分を褒め、支持する事を怠る事はない。洗脳――といえば眉をひそめる者もいるが、手っ取り早く己の護衛を手にするには、これほど効率的な方法はない。彼女は生脳を持ったサイボーグであったが、リヴェスタが死ね、といえば躊躇う事なく死んでみせるだろう。
これも研究機関トロン=リヴェスタの百年の歴史の成果の一つだ。
「ミクロレベルの《運命素子》研究は、ほぼ完成しているといっても過言ではない。だが、人類の全体の――マクロレベルでは未だ完成には程遠い。人は存在するだけで、お互いに影響し合い《運命素子》は大きく揺れ動く。彼女にしても、カーテローゼという大きな《運命素子》を持った存在に出会わなければ、こうして私に脳を弄ばれる事もなかっただろうね」
組み合っていく脳を眺めながら、リヴェスタは喉の奥で小さく笑う。
「人類が生み出した至高の天才カーテローゼの脳を、私の知る限り最高の体躯を持つオフレッサーに与えたらどうなるか? また、その逆は?
世界は好奇に満ち溢れ、世界は常に私に刺激を与え続ける。彼女も生前は凡庸とした研究員だっただろうが、カーテローゼと出逢い、そして私と出逢い、大きく《運命素子》が変化しただろう。あるいは彼女こそ、私の研究を継承する存在になるかもしれない。それも運命の摂理と思えてならない。彼女を蘇生させようとする私の想いは、私のモノでありながら、もっと大きな流れの一つに過ぎない感覚――それこそが宿業であり、私の求める真理ではないかと疑問を浮かべざるおえない」
組み上げられた生脳が浮かぶ水槽を、愛しそうに指でなぞったリヴェスタは傍らの少女に向き直り命じた。
「彼女の脳をサイバネボディと生着させておいてくれ、少し興奮しすぎたらしい。休んでくる」
「はい、リヴェスタ博士。おやすみなさいませ」
頭を下げる少女の頭を軽く撫で、リヴェスタは部屋から出て行った。




