彼は勉強に殺された
突然かかってきた電話は中学生の頃のクラスメイトの死亡を知らせるものだった。
特別仲が良かったわけではない。ただ、中学三年の時に同じクラスだっただけ、数えるほどしか話していない。それでも私の中には今でも彼の顔が昨日のことのように思い出せる。全てに疲れきってような彼の顔を。
彼、風間修平のことを――
彼は学年一頭が良かった。飛び抜けて頭が良かった。それは元の才能なのか彼の努力故なのかは分からないが多分どちらともだろうと私は思う。
中学三年、受験の年、進路を決定する大事な時期、彼は最後の進路希望用紙を提出していなかった。当時クラス委員だった私は担任に彼に進路希望用紙を出すように伝えてくれと頼まれた。
その時それまで彼とは話したこともなかったのでなかなか話しかけづらかったのを覚えている。
「風間くん、ちょっといい?」
教室の窓側の一番端の席で本を読んでいた彼は私が声を掛けると目だけで私を見た。眼鏡のレンズの奥の目は中学生には不釣り合いな淀んだ目でその目の下には黒いくまができていた。
「何か用?」
「えっと、進路希望用紙出してないよね?先生が早く出してだって」
「ああ、わかった」
私はどうしても彼の目が気になって思わず疑問を声に出してしまった。
「あの、もしかして寝てないの?」
「は?」
低い声だった。その声に私は少し怯む。
「目の下のくま……」
「ああ、まあ、受験生だから」
「すごいね」
「普通だよ」
受験生、とはいえ今はまだ夏休み前、私はまだ受験勉強なんてしてなかった。さすが学年トップだ、意識が高い。
「じゃあ、早めに出してね」
「わかった」
一度目の会話はこれだけだった。
二度目の会話は秋、彼が集会の時に倒れたときだった。
私は彼の鞄を保健室まで届けるようにと担任に言われた。
「失礼します……」
保健室は微かな消毒液のにおいがする。先生は居ないらしく彼のベットの横に鞄を置いて素早く立ち去ろうとした。
しかし、できなかった。
彼は寝ているはずなのに死んでいるように見えた。夏よりも青白くなった肌、より濃くなったくま。
もしかしたら彼は勉強による過労で死んでしまったのではないかと思うほどの顔色だった。
しばらく顔を見ていると彼はゆっくりと瞼を開けた。
「あ、生きてた」
「は?」
思わず口に出した言葉に彼は怪訝そうな顔をする。
「ごめん、何だか顔色が悪すぎてたから」
「……そう」
「勉強、しすぎじゃない?」
私は彼の身を案じて言ったのだが彼には届かなかったようで彼は私を睨んだ。
「僕が行かなきゃいけない学校には僕よりも勉強ができる奴らばかりが受験するんだ、休んでる暇なんて、僕にはないんだよ!」
私はただ「ごめんなさい」としか言えなかった。けれど言いたいことはたくさんあった。
行かなきゃいけない学校って何?って、自分は行きたくないの?だとか少し休んだ方が体のためだよとか。
でも、きっと言ったって彼には私の言葉など届かない。私は諦めた。
「じゃあ、私、帰るね」
この時私は人を他人が変えることは出来ないのだと知った。
あれから私はそこそこの県立高校へ進学、とうぜん彼とは別々の道を歩むことになった。彼は私立の名門校に見事合格し、そこでも良い成績を修めていたらしい。
私はたまにふと彼のことを思い出して心配していた。そしてその心配は的を得ていたらしい、彼は高校二年生にして死んでしまった。自殺だったらしい、列車に引かれて見るも無惨な姿で。
彼はきっと勉強に殺されたのだ。勉強以外の何も知らずに死んでしまった。
この世の中は辛いことも多いけれどその分楽しいこともたくさんある。だから、私は彼にその楽しいことを知ってほしかった。けれど私にそれはできなかった。私はきっと彼を理解できなかった、彼もきっと私を理解しようとしなかっただろう。
私たちと彼では住む世界が少しだけ違っていたように見えた。
彼の遺影は笑っていなかった。不機嫌そうな顔でただ睨んでいた。
あの日のように。