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ラバーズ・コンチェルト 中編

 ミゲルは戦場とは縁が深いが、自分が戦う方面においてはダリアとは比べるまでも無く、からきしである。むしろ戦場に足しげく通った過去があるからこそ、今では闘争が恐ろしくてたまらない。

 ミゲルの中では過去の記憶が蓄積され、恐怖と一緒に凝り固まって、別の何かに変化している。それらは確かにミゲルの活動源でもあるけれども、しかし負の遺産である。

 ミゲルはいつのまにか、血が怖くなっていた。暴力を間近で見ると、玉のような汗が浮かんで何も考える気がしなくなる。同時に思春期の癇癪に似た、あちこちにぶつけたくなるような怒りが湧いてくる。

 男は一度は仕舞った煙草を取り出し、苛立たしげに噛みしめた。少しでも冷静になるために。


 “現場”を踏んだミゲルとダリアを出迎えたのは、死屍累々としか言いようがない光景であった。民家はどれも戸が暴かれ、むっと血膿の臭気が立ち込めている。じっと目を凝らして見渡しても、生きている『本』をミゲルは見つけられなかった。

 ミゲルはふと、足元に転がる瓦礫を手に取った。それは家屋の窓枠であったもので、乾いた材木はつるりとした断面をしている。それがあったのだろう民家は、少し離れたところにあった。

「うわっ! なんだこれ! 」

 ダリアが悲鳴を上げる。民家はばらばらに解体されているのだ。

 玄関から四方の壁も、戸も家具も全て、線を引いたようにまっすぐ、いっぺんに。

「どうやったら、こんなふうに輪切りにできるんだか……」



 災害現場の中心には、荒事担当の第四部隊の連中がいた。顔ぶれは下っ端から中堅どころといったところか。

「おやまぁ、次期第三部隊長さんがコブ付きで何の御用で? 」

 恐らくは指揮を任されているのだろう男が、ミゲルに寄ってくるなりこう言った。『コブ』と言われたダリアが背後で文字通り角を出しているが、男はミゲルだけを見下ろして嫌味っぽく笑っている。

「ちっとまぁ、手伝いにな。生存者は? 」

「あんたにゃ出来るこたァ一個もありゃしませんよ。邪魔になりますんで」

「動けねえ怪我人がまだいるだろう? どこだ」


 ミゲルは鋭い視線を逸らさない。

 この背丈は見下されてばかりだ。体格のわりには老けた顔をしているものだから、自分でも嫌になる。その上、目つきは最悪ときている。

 しかしコンプレックスも、こういう時は使えるのだ。確かに、この角の立った目つきは人を刺激するが、それは繕った面の皮を剥すのにちょうど良い。

 ミゲルがこうして五秒もガンを飛ばせば、そいつの本性が見えるというもの。

 ……さて目の前の男は、何秒で“剥ける”か。


「う――――うるせえなぁ! 」

 やけに早口に、男は言葉を振り下ろした。

「戦えねえ腰抜けは引っ込んでな! 邪魔だって言ってんのがわからねえのかよ! 」

「じゃあこン中に! 災害現場での救護経験があるやつが何人いるってんだ! ――――いいか? “戦場”じゃねえ、“災害”の場だ。相手はてめぇら兵士じゃなねえ一般人。女や、ガキや、年よりの世話だ。―――――どうだ出来んのか? いるってぇのか!? 」

「それは――――」

「使えるから来てんだ! 生存者を増やしたきゃア俺を使え! 脳筋の馬鹿野郎共がよ! 」

 男はしばし黙り込み、やがて溜息と共に粛々として頷いた。

「仕方ねえ……おい、そこの……そうそう、お前だよお前。連れてって差し上げろ」

 男は瓦礫をいくつも肩に乗せていた隊員の一人を呼び止め、顎をしゃくる。見上げるほどだというのに三等身しかない体に、短い足と引きずるほど大きな腕を持つ男であった。首のない丸い体に過剰なほどの筋肉の鎧を纏っている、文字通りの筋肉達磨だった。

「……あい了解しました」

 男は作業の手を止め、意外に礼儀正しい仕草でミゲルたちを先導した。「こちらへどうぞ。もう大半はテントへ避難しましたんで。そちらへご案内いたします」

 空は早くも太陽が落ちかけている。民家の灯りの消えた街道は、より危機の大きさを助長させた。


「生存者は絶望的です」

 道すがら、筋肉達磨が口火を切った。



「まず生き残っていても、重体患者しかいない。この寒さに加え、処置が遅れて出血多量が死因という被害も多いです。この国は寒さには弱いので、防寒の設備が不十分というのもあります」

「本の国は雪が降らないからな。雪が積もるなんてなァ百年ぶりなんだろう? ……いや、ちょっと待てよ。出血多量が死因だと? 被害は火事じゃあないんだな? どういう状況だったんだ、ここは」

「『裏切り者』という情報がありましたでしょう。本の一族の居住区全域で、同時多発的に虐殺行為が行われました。そいつの得物は、鋭利な刃物ではないかと……なにせ、みんなスッパリと輪切りにされているんです。たいがいが即死だったんじゃないでしょうか。爆発があったという証言もあるんですが……火事は民家からの二次災害でしょうと」

「なるほど。お前らが把握してんのはそれくらいか? 」

「そうですね。随時、目撃情報や現場の証拠なんかは報告していますが、分かることはまだあまり多くありません。必要なもので準備できるものは用意します。目についたやつに指示してもらっても結構です。使えるやつはなんでも使ってください。隊長はどこまでできますか」

「まァだ隊長じゃねえっての……俺にできるのは、災害地域の被害対応と最低限の疫病予防と、設備に異動するまでの応急処置。必要なものは……まずは見てから考える」

「十分助かります。今のメンバーだと基礎知識だけでして……」

「もっと上のメンバーはどうしたんだ。戦闘部隊なんだから、こんな状況なんざもっとうまくやれるやつが揃ってるだろう」

「実は第四部隊全体の大きな任務があり、そちらに人員をごっそり取られていて……年末ですし、下っ端は休暇に入っていました。隊長含め、上位メンバーチームの帰還までにはあと二日かかります」

「でも上位の戦闘員が全員出払ってるってわきゃねえよな。そいつらは指揮をとらないで何をしてる」

「………」


 男は口籠った。

「……その方々は、別のところに。俺の口からは、これ以上は洩らせません」

「まだ潜伏している裏切り者がいるからか……」

 ふと、ダリアがやけに静かなのに気が付いた。

「おい、どうした。置いていくぞ」

 月も上がり、西の空の裾だけが僅かに赤い。ゆうに5メートルは離れた場所で立ち尽くすダリアは、夜闇に紛れつつある。

 ちょうどミゲルがダリアの方へ向かって一歩前に出た時、彼女の手から、何かごとりと落ちるのが見えた。

「……ダリア? 」

「―――――駄目だ! 」

 次の瞬間、筋肉達磨の長い腕が振り子のようにミゲルの脇腹を捉え、大きな手の平が掬いあげるようにしてミゲルを打ちあげる。

 ミゲルは地面の上をボールのように転がった。雪が残る水たまりに肩を濡らしたミゲルの耳に、場を切り裂くようなダリアの声が聞こえた。


「ミゲルさん逃げてっ! 」



 ヒュン



 上体を起こすよりも早く察知した滑空音。それを攻撃の音とみたミゲルはとっさに横に転がった。勢いを殺さぬまま飛び起きて、そして初めて、状況を目にする。



 ダリアはミゲルの二メートル前方にいた。背中を向ける彼女の向こう、さきほどまでミゲルが立っていただろうところに、筋肉達磨がそのまま立っている。

「ダリア、おまえ手首が……」

「今はそんなん気にしないでください! ――――来ます! 」

「――――うぉぉぉおおおお!」

 筋肉達磨が咆哮をあげた。

 両の拳をを地面につけ、前足を曲げて前転するように転がる。――――いや、“転がる”と一口に言っても、その勢いと威力はすさまじい。ひとつのボールと化した彼は、砂煙を巻き上げて見えない“何か”に突進した。

 ダリアはそれにあわせて腰を落とし、前のめりに身を沈めた。いつのまにか上着のフードを深く被り、襟に取りつけたマスクが口元を覆い、フードの上から縛り付けたゴーグルが残りの肌を埋めていた。

「ミゲルさんは今のうちに逃げて! 」

 筋肉達磨は“何か”にぶつかっていた。見えない障害物を削り取らんとばかりに、ギュルギュルと回転を速めていく。



「どういう状況だあこりゃあ! 」

 ダリアは舌打ちすると、投げつけるように声を張り上げた。

「攻撃されている――――“裏切り者”の得物は“糸”だった! 見えない糸があちこちに張られている! 」

「輪切りの家は……そういうことか! 」

「管理局に報告をお願いします! どうやらこのへん“糸”の密集地です! 」

 今度はミゲルが舌打ちする番だった。

 ―――この子供のような女をおいて、一人で逃げるのか。

 しかしミゲルには、現状を打破できる戦闘力はない。


「任せたぞ! 死ぬなよ“山嵐”! 」

 “山嵐”はダリアの異名である。彼女がこの異名をことさら誇りに感じているのを知っていた。背を向けていても、彼女が笑った気配がわかった。

 ミゲルが駆けだす。


 ダリアもまた走り出した。

 彼女の身体を、きらきらと透明な針のような光が放射状に覆っていく。

 太陽は完全に落ちた。夜闇に染まった市街の一角で、小さな流星群の鎧をダリアは纏う。やがて光は硬質な水晶の輝きに変わる。

 肌に直に着込んだジャケットは、背と腹がむき出しになっている。褐色の肌は月明かりと乱反射する水晶の光で、複雑な色彩の陰影が模様を作っていた。

 鋭利に光る水晶の棘を全身に纏い、ダリアは背中を丸めて走る。接触した箇所から、糸はぶちぶちと他愛なく切れていった。

 ――――山嵐の針は鎧にして武器。彼女を傷つけることはない!


(糸ならどこか起点を断てば、全体が緩むはず!)

 “糸”は水晶の光で微かにきらりと光る。小柄な彼女は糸と糸の隙間を潜り抜けながら、糸の結界の全貌を探っていく。


「ぐああぁッ! 」


 筋肉達磨の悲鳴だ。

 ダリアが見たのは、宙に浮かんだ男の体のシルエット。―――糸に絡みとられている。

 丸太のように太い腕が、ハムのように隆起していた。ぶちぶちと肉を絶つ音がする。

(くそ――――! 早く早く早く……! )

 ぼとんと、残酷すぎる鈍い音がした。すぐ目の前に落ちた大きな腕。言葉にならない悲鳴から耳をふさいで、ダリアは駆けまわる。

「あ、あなたも――――に、げろ――――」

「あんたの命令はきかない! あたしはあの人の部下だ! 」

「早く逃げろぉぉぉおおうぉぉおおおおあおあおああおああああああぁぁあぁぁぁぁぁ―――――!!!」

 ダリアの上を、唐突な雨が降りそそいだ。背後で幾つもの塊が落ちてくる音がする。

(ああ――――っ! )

 助けられなかった……。脱力感が一瞬ダリアを包む。

 それが仇となった。


 ダリアが断ったいくつもの糸。男を拘束し、緊張していた糸。静かに獲物を待つだけだったそれらが、獲物自身の足掻きによって動き出す。

 ダリアがたわんだその“糸”の斜め後ろにいたことは、完全な偶然だった。

 そして前方からは、ゴムのように跳ね上がる“糸”がぎらりと凶器の光を纏い、迫ってきていた。そしてそんな凶器は、ダリアの頭上からも。

 ダリアは前方の糸を回避せんと後ろへ跳んだ。


 彼女を囲むように三本の凶器が真っ白な殺意を孕み、そしてダリアの身体を―――――。




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