表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/14

悪夢

今年、年が終わるというこの時期に、珍しく雪が降った。

 この国は温暖で、雨雲が途切れることがない。地には真っ赤な溶岩が脈のように息づき、交差する水脈を温泉に変える。

 常春とまではいかずとも、冬はみぞれ交じりの冷たい雨が降るばかり。

 この国で雪は不吉だ。なぜって、雪の『白』は死を示唆する色だから。

 頭髪に白髪が目立つようになれば短く刈り上げ、鮮やかな布を巻く。そうして忍び寄る死神を欺くのである。


 それでも、そんなことは子供たちには関係がない。この地に住む人びとは、北から南まで揃いもそろって風呂好きで好奇心旺盛、そして勤勉であるといわれている。子供だって例外ではない。

 小山ほど白く積もった塵のような氷へ臆さず向かっていったのは、まずはそういった子供たちだった。不吉だ予兆だと混乱する大人を尻目に、書物や異世界人たちの又聞きで新しい遊びを思索する子供たちは逞しく、ファンも例外ではなかった。


 彼女の父は、ファンが生まれる以前から管理局に勤めている。母は他の大多数の一族と同じように、畑を耕し、たまに知人と屋台や行商の手伝いをしている。

 父の帰宅が遅れるのはいつものこと。母は突然の雪に、夜が明けてそうそうに慌ただしく畑を見に行ったままだ。そんなときファンは用意された食事をかじり、閉ざされた一室に声をかける。

「….チャック? 起きてる? 雪だよ! 遊びにいこう」

 

 チャックは、ひとつ年上の従兄の名前だった。

 ファンの髪よりも淡い桃色….いや、桜色の髪と菫の瞳をしている少年は、つい一年前までは遥か西の町に住んでいた。

 火事で両親をなくし、極東のこの街に来てからというもの彼はずっとこの部屋に引きこもったままだ。

「チャック? 」

 ファンは、ゆっくりと扉を引いた。

 冷えた外気が体を包む。開け放たれた窓、乱れた布団。そこにファン以外の人肌はない。

 



 チャックを探して家を飛び出した。この街を歩いたことのないはずの従兄の行く先など、ファンには一つも思い浮かばない。父を頼って管理局を訪ねようと足をかえし、そこで、とある一人の異世界人に声をかけられた。

 山道を指差し、その異世界人の男は言った。


「きみの父上はあちらにいるよ」



 裸の乾いた雑木林が、墓標のように立っていた。その中に、真っ白な四角い箱のような建物がある。

 ファンは踏み込んだそこで、父の体を見た。食べ残しのようになった無残な成れの果て。

 自分よりも少し色のはっきりとしたその髪を、娘の自分が見間違えるはずがない。


 足音が聞こえた。大人の硬質で重い足音だった。

 外に飛び出した。どこかで雷が落ちたような音がして、真っ黒な煙がいくつも街に立っていた。



 ※※※※



 私は間違えた。

 悲鳴が口から出てから、ファンは強くそう思った。

 目の前には、白いむき出しの脚がある。天井から奇妙にぶら下がった矮躯は、確かに母の野良着を着ていた。

 ファンの家に、ファンの母を飾り付けて遊んでいる。―――そいつは女だった。

『本の一族』では、ない。栗毛に白い肌、ふくよかな体格は、八つのファンの眼には奇怪に膨らんだ肉の塊のように見えた。

 外から繰り返し、避難するように告げる声が聞こえる。

「あらあららぁ……」

 うふふ、と、女が胸を揺らして振り返った。この寒空に薄いスリップだけを身に着けた肌は、生地を薄く透けさせるほどに汗ばんでいるようだった。くちびると顎は、赤黒く塗られている。塗料がばりばりに乾きかけて――――いや、あれは塗料なんかじゃあなくて……。



 すぐそこで火事が迫っているのだと、いっそ冷徹な女の声で拡声器が急かしている。

 重ねて、ファンの頭蓋の裏側で、ぱんぱんになるほどたくさんの言葉が叫んでいる。そのひと際大きいひとつ、『逃げろ』―――それに従って、ファンの体は兎のように跳ねた。

 たった今しがた通り抜けた玄関に突進する。取っ手に手をかけた一瞬、ふっと頭をよぎったのは、ファンよりも淡い桜色の髪のあの子だった。同時に目に入ったのは、扉の傍らに投げ捨てるように放られた見慣れない上着である。彼の菫色の瞳に合わせて誂えた、新品の深い藍色をした上着。


(チャックは帰ってる? )

(わたし一人で逃げちゃうの? )

 (わたしはチャックを、)


 またおいていくの?


 それは、一瞬のためらいだったのだ。

 鍛え抜かれた肉体を持つ女にとっては、それがなくとも彼女を捕まえることは造作もないことであった。

 自分の体だというのに、初めて聞いたケダモノのような悲鳴が出た。女はそれ以上にケダモノの顔をしてファンの桃色の髪に手をかざす。あまりの恐怖に喉が締まったようになって、ファンは扉に縋って悲鳴すらも飲み込んだ。

 あまりに長く感じる一瞬だった。おそらく女―――アン・エイビーにとっては、昨日の散歩でひょい野花を摘み取ったのとなんら変わらない一瞬だったに違いない。

 だからアン・エイビーは次の瞬間、開いた扉と獲物を攫った腕に、虚を突かれたのだ。




「●●●! 」

 言葉は分からなかった。しかし見知らぬ男の子はファンに向かって、確かに『逃げるぞ』と叫んだのだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ