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悪魔の扉

 おれは確かに、七月三十一日、炎天下の住宅街にいた。

 ―――――つい一週間前に、終業式をしたのを覚えている。

 部活もナシ、通知表の入った軽い鞄と、空かせた腹と、夏の期待に躍る昂揚感を抱えて、絶対に守れない宿題を処理する予定を脳裏に描きながら、夏の正午の通学路を歩いた記憶がある。

 実家の庭木は梅である。青々と緑色に茂っていて、蝉が合唱していた。その後ろから、母に呼ばれた記憶がある。

 青い空と入道雲の下、桃の入った袋をぶら下げて、実家の慣れ親しんだ階段を下りた記憶がある。

 それで、それで……。

 蔦の絡む洋館――――微笑む少年―――――窓の奥に居た白い人物―――――自転車にまたがる紺色の瞳の男の子―――――後ろから追いかけてきた「なにか」。


 夏の記憶は、ぷっつりとそこで途切れている。




 雪が降っていた。

 足元を見ると、スニーカーの半分ほどが新雪に埋まっている。前にも後ろにも、足跡は無い。

 脇には裸の田園がずーっと続いている。雪霞の向こうに、灰色をした連なる山々が。

 反対側の脇には、白く塗られた土壁が、あぜ道だか田舎道だか、舗装されていない小路こみちに沿って存在している。

 遠くで、何かサイレンのような音が聞こえる。

 降りしきる雪は視界に幕をして、静止ボタンを押したようであった。


 寒気がしたと思ったら、本当に雪国に来てしまった。



 我ながら面白いくらいに、ガタガタ体が震えている。

 ―――――やばい。

 その三文字が、晴光の心象を全て物語っていた。


 恐る恐る一歩、足を踏み出す。何か起こるかと期待したが、何も起こらない。

 晴光は、自分が馬鹿で阿呆だと自負している。

 とにかく深く考えることは嫌いだし、嫌なものは見ないふりをしたいし、実際にする。楽しいことは大歓迎。生まれた時から檀家さんのおじちゃんおばちゃんに可愛がられて育ったので、人の好き嫌いは特にないし、老若男女と気兼ねなく話が出来る。

 言い方を変えれば、楽天家で根明で、好奇心旺盛のわりに、一人になるととたんに弱い。晴光は自分のそんな弱点にはあまり自覚がない。


 ―――――おれ、死ぬかもしれない。


 晴光は真っ青な顔で思った。幸いにも、足だけは機械的に動いていた。

 人の気配がする方へ、そう、あのサイレンの音がする方へ。

 現状、これからもそうだが、晴光にとっての最大の敵が孤独というやつなのである。寂しいと死んでしまうのだ、この男。

 いやしかし、マイナス3℃でTシャツ一枚は、マジで生命の危機である。


 無心で歩く。あるとこころで白壁が直角に折り返していて、建物が見えた。

 瓦屋根と土壁でできた家屋の群れ。ちょっと時代劇のセットにも、異国の風情にも見える。

 ――――人気は無い。

 サイレンはいよいよ大きく、近くなっている。足元に転がる桶は、今まで使っていたけれど、あわてて放り出したような感じだ。


 サイレンが鳴り響くゴーストタウン。


 そんなゲームがあったような。

 ……たしかホラーだったような。


(……考えないようにしよう)

 晴光はそっと、廃墟のようになっている街から目を逸らし、滑らないように足元に集中する。

 それでも家屋の端っこは目に入ってくる。小さく団子にされた雪玉が、よく見るとウサギである。目玉は赤い南天の実。

(人がいるんだ)

 少しだけ活力が湧いた。


 家屋に人がいないのは確定的であった。ひとつ屋根から煙が上がっている家があったけれど、扉は開け放たれていて、中では竈で鍋が焦げているだけだった。家人は何やら、とても急いで出かけたらしい。

 布団は人が抜け出てそのまま、靴はとっ散らかり、衣服は慌てて上着を引っ張り出したよう。


 晴光は、居心地の悪さを感じながら、家々を巡っては去った。無人の家屋から上着を借りるのは火事場泥棒の様で忍びなく、身は寒いままで足ばかりが早くなる。

 息も白くならなくなったころ、太鼓の音が一発、どーんと遠くで打たれたように思った。サイレンがぷっつりとやむ。

 ぶおぉん……と、マイクを手で撫でた時のような音がどこからともなく聞こえてきた。

 続けて流れてきたのは異国の言葉で、あえて情を落とした声色に、どうやら警戒を促しているということは理解した。


 灰色の空にひとすじ黒い線が立つ。

(煙だ)

 あのどーんという太鼓の音は、あの煙のたもとで、火が上がる音だったのだ。


 狼煙が呼び込んだのか、沈黙を保っていた空間に突然「ひゃあ」やら「きゃあ」やら、短く子供の嬌声がした。

 晴光が声のした路地に駆け込むと、色の薄い目をめいっぱいに見開いて、口をぎゅっと手で押さえて小さくなっている子供がいる。

「××××××! 」

「な、何言ってんのかわかんねぇ……」

 下がった眉とへの字クチからして、ご機嫌とは言い難い。煤けて汚れた民族衣装はゆったりとしていて、子供の腰まで長い髪のせいで性別も分からない。

 晴光は、近所のちびっこにするように腰を低くして頭を撫で、にっこり笑ってみせた。相手の泣き腫れた眼が少し和んだのを見計らって、強引に肩に座らせる。

「ひゃあぁ」

 立ち上がると、歓声ともとれる高い声で『彼(たった今分かった)』が叫んだ。


 路地を出て空の下まで歩くと、顔の横をなびく男の子の髪の色にぎょっとした。

 曇り空の下でも鮮やかな淡いピンク……そう、ちょうど、学校の桜の花がこんな色だった。人間の髪には有り得ない色だろう。

 しかし染めたにしても、彼の長い髪はさらさらとしていて柔らかそうだった。

「×××、××! 」

「ん? なんだ? 」

 小さい手が晴光の頭のてっぺんを叩き、煙を指さす。

「おれはあれが何かは知らねぇぞ。……違う? え、あっち行けって? 」

 困った。

 火事現場に野次馬をしに行くなんて、いかにも危険な匂いがぷんぷんする。

「いやいや駄目だって……あいてっ! あ、暴れるなって! 落っことすぞ! 」



 風に乗って据えた臭いが鼻につく。

 男の子の身を挺した物理的な押し問答の末、晴光は不承不承と狼煙の方へ向かっていた。

 背中に負ぶさる男の子の体温を感じながら、雪のうすら積もった道々を駆け足に進んでいるのは、少しでも体を温めるためだ。

「あーもう……」

「×××、××××……」

「なんだよ。怒ってないから謝るなって。ああ、それにしてもヒッデェ匂いだな……」

 一方通行に感じる意思疎通を交わしながらの道中の音は、やがて変わっていく街並みのありさまに消えて行った。

 抜けて引き倒された民家の扉、割れた窓硝子、路端の雪に滲む赤いもの、道々に残る乱闘の痕。

「や、やべえだろ。これは……なぁ、ここって何があったんだよ」

 背中ごしに問いかけるも、矮躯が震えていることに気が付いただけだった。

「戻るぞ」

 言葉と同時に、晴光は踵を返した。すると男の子はわあっと声を上げ、ばたばた手と足を暴れさせる。

「もう行けねえよ! 無理だって! 」

「××××!!! ×××! 」


 叫びには早々に涙が混じる。肩越しに細い腕を伸ばし、指は何度も黒い煙を突いた。言い聞かせるように男の子は晴光の肩を叩きながら、言葉が分からないなりに繰り返し主張する。

「×××! ×××! 」

「おい! 危ないぞ! 」

 ついにはピョンと晴光の背中から飛び降り、先だって走り出してしまった。ためらう暇なく晴光は追いかける。


「おい! 」





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