咆哮
9か月ぶりの更新です。前話少し修正しました。
※※※※
促され、新入りが席に就いたのを見届けると、大きなお腹を揺らしてハロルド副隊長は口を開く。
「今回、彼は『お試し仮入隊』ということになっている」
おいらは首を傾げた。「お試し仮入隊? 」
「ふむ。君たちは承知のことだが、ここで新人のために、この『管理局』の制度について講義をしようか」
副隊長はそう言って、ホワイトボードに向き直った。
「管理局に保護された異世界人には、まず基本的な衣食住の支給がある。さらにその先三年間の生活補助金。補助金とは別に、医療費はどれだけかかっても無料である。さらに基本的な生活指導。ここで君の身体がどこまでの環境の変化に耐えられるか、現状において健康に問題が無いか、また文化的な面で何が必要かなど、徹底的に『普通に生活できる状態』にまでサポートする。ここまでで一週間から三か月。人によっては数年かかる場合もある。……セイコウくん。君は今、この生活指導の段階だ。
そこからは、大まかに二つの道が用意されている。
ひとつ。『異世界へ直接任務に赴実動戦闘員』。
ふたつ。『現地に赴くことは無いが、そのサポートとして研究や文化的活動を行う非戦闘員』。
ここにいる彼らは、前者の『実動員』にあたる。研修生だから、まだ本格的に任務には就いていないがね」
おいら達にとっては基礎知識だ。うかがうと、新入りは瞬きも惜しんで食い入るようにホワイトボードを見つめている。
「『実動員』になるための訓練のための研修期間は、基本的に約三年。戦闘員とはいうが、わたしを始めとして、こうして新人指導をしたり研究に没頭するものもいる。ただ、戦う戦わないは関係なく最低限の戦闘訓練などの身の守り方、学ぶ知識、極めるべき能力が異なるのだ。
ここにいる者は、いずれ必ず異なる世界に赴く。有事の際には、必ず非戦闘員を守るために動く義務も発生する。メリットは、より近くで異世界の未知を探索することができること。あと生々しいことを言うのなら、給料が良いことと、万が一が起こっても保障がされる。デメリットは命の危険が高いこと。あと、女性職員は嫁ぎ遅れるとか言うね……いや、彼女はそんなことは無さそうだ」
副隊長は、最後の方でエリカを見た。管理局の職員は『美人』のふり幅が大きいけれど、エリカちゃんはおおむね認められる美少女っぷりである。
ちなみに、水を向けられた本人は憮然とした無表情で静の姿勢を取っている。
「実働員は基本的に一本道だが、非戦闘員はそうではない。そうだね、クルックスくん」
「ふえっ!? は、はい」
しまった油断した。おいらは緩んだ目蓋のネジを締め直して立ち上がった。マスクで見えないからって、ヨダレ垂らしてる場合じゃない。
「ううぅ……えっと、『保護対象支援制度』を使うのが一番近道だと思います」
「そう。管理局に所属する異世界人には、『保護対象支援制度』の利用が推奨される。これは持っている知識、技術、文化など、価値のあるものだと認められれば給付金が出るシステムだ。はい、新人くん質問かい? 遠慮なく言いたまえ」
「えーと……具体的にはどんなものがあるんですか? 」
「ほう。いい質問だ。まずテッパンなのが、薬品や便利グッズなどのアイテム類の開発、次がスポーツをはじめとする娯楽などの普及、次いで、料理人が取得することも多い。あまり数はいないが、美術や音楽も当てはまる。故郷の文化の論文を提出して取得した者もいる。ここには様々な世界のものがいるからね。
ようするに、どんなことでも良いのさ。当たり前だと思っていたことが、当たり前でない場合が多々あるのだね。異世界人を「アッ!」と言わせるものを見せれば勝ちなんだ。ものよっては、この制度一つで暮らしていくこともできる。また、この制度の利用者は優先的な『保護対象』となるのだ。クルックスくん、保護対象について説明を」
「はい……。えっと、例えば管理局が襲撃されて何らかの被害があったとき、保証がある、んでしたよね?」
このあたりでご理解いただけたと思う。おいらは座学が死ぬほど苦手なのだ。
「そう。別にこの制度を使わずとも、商売に乗り出してもよし、世界の未知を探求するために勉学を極めてもよし、管理局の事務から始めてもいい。
非戦闘員のメリットは、命の危険が極めて低いこと。好きなことを極められるチャンスを得られるというところかな。
デメリットは、何事も極めるには苦労が多いこと。この道は、最初の開発費なども給付金から捻出するしかない。まぁそれだけ給付金の金額は余裕をもって設定はされているんだが、最低三年、最高で五年間の生活保証が終了すると、その給付金も支給されなくなる。さらに、命の危険がまったく無いというわけでもない。ともすれば、この世の方が危険になる場合もある」
文化も進化形態も違う異世界人は、時に高度な知識や技術を持っていることも珍しくない。管理局は、異世界人たちがより良い暮らしをするために生み出された組織だから、そういった技術を持ったものには積極的に支援があるようにしているのだ。
「見ての通り、この組織では新入りというものが大変珍しい。常に人員不足だからして、猫の手も借りたい現状である。特に実動員を志願する新入りなどは、数年に一人ほどの割合だ。命を落とす者も多い。どちらへ行っても、若く健康な君は歓迎されるだろう」
「さて子供たち、復習予習はこれで終いにしよう」
副隊長は手を叩いてボードをひっくり返すと、さらさらとペンを動かした。
「これが分かるかな? 」
おいらはボードに書かれた『文章』を目で追う。……ふむ。
おもむろにデネヴが立ち上がり、机の上に上がる。ただでさえでかいデネヴがそうして立ち上がると、首を曲げて項垂れないといけない。長い髪の毛がデネヴの爪先を超え、机から滝のように零れ落ちる。
エリカちゃんは袖から手のひらに滑り落とした銀色の杖を握りなおした。おっくうそうに自分の鞄を肩にかけ、荷物を抱えて椅子の代わりに机の下にもぐる。おいらも机の下にもぐり、準備を始める。
ボードの文字が読めない新入りのセイコーくんは、一人挙動不審に周りを見渡していた。ふう……仕方ない。一番席が近いのはおいらだ。
「おい新入りくん。命が惜しけりゃ机の下に入りな」
「え? 」
「お試し仮入隊なんだろ。キッチリ見学してってくれよ。……見れたらだけど」
ハロルド副隊長が片手を上げて10からのカウントを開始する。新入り君に説明するには、圧倒的に時間が足りない。
「ダイジョウブ。おいらたちが守ってあげる」
それだけ声をかけて、おいらはボードに書かれた指示を頭の中で反芻した。
『十五秒後に新人歓迎会を開始する。全力で彼を守るべし』
「3――――――2―――――――――………1!!! 」
一面の窓ガラスが一斉に砕け散る。おいらは足を使って机を倒し、頭を抱えてその陰に屈んだ。エリカちゃんが、そんなおいらの横に滑り込んでくる。肩に触れる体温を感じる暇もない。
降りそそぐ窓ガラスの破片の向こう側に何やら銀色をした丸い物体が見え、おいらは慌てて目蓋を閉じて手で覆った。
手のひらと目蓋を通して、視界が真っ白に染まる。
うわっ! 間一髪! 光を使ったパターンの攻撃は久しぶりだ。
あとの流れは三人で打ち合わせ済み。事前に取り決めたマニュアル通り、おいらは目を閉じてカウントしながら、出番を待つ。
―――――まずはデネヴ。
長い髪がうねって跳ね上がる。それはまるで、植物に擬態していた大蛇が獲物に襲いかかる様に似ている。
無数の大蛇は教室を覆い、まずは光源を断つ。……ここまでで約2秒以内。
『敵』はどこから来る?
デネヴの髪は彼自身そのものだ。おいらは頭巾の下に潜りこんできた『デネヴ』の指示を待つ。
「北北西より僅かに西寄り。入り口から一歩半」
――――――窓は囮か!
振り返ったエリカちゃんが、入り口に向かって丸い瓶を投石する。おいらは瓶を追って床を蹴った。
ここで『犬獣人』とカテゴリされるおいらは、故郷では『クルックシャンク・ハウンド』という種族である。
『曲げ脚の猟犬』―――――その武器は、奇襲に特化した瞬発力!
瓶が床に落ち、中身が零れ落ちるよりも先に、おいらは『敵』の正面に躍り出る。
あちらが囮を使ってくるなら、こちらも囮を使ってやる。
飛び付いたおいらを片足でいなした『敵』は、おいらの影から鞭のように飛び出したデネヴの髪に片腕を絡みとられる。
小瓶が割れ、中から黒い煙が噴き上がった。黒煙は気体というよりも泥のような質感を持ち、粘的に室内に充満していく。おいらは四足になって『敵』の太い足の横をすり抜け、床に目を配った。
エリカちゃん特製のこの煙幕は、屋根のある場所で流すと上に溜まる特性を持つ。この天井の高さなら、ちょうどおいらの身長ほど……つまり、『敵』の胸より上は、完全に煙幕で隠れてしまう。
おいらは煙幕の屋根の下を悠々と動き回れるというわけだ。
おいらは視線を巡らし、床を滑走するその物体を見つけた。一見して見つけにくいよう床とよく似た色の迷彩を施された『それ』は、素早い動きで新入りに迫っている。
『それ』に気付いた新入りは、とっさに払いのけようとしたのだろうか。腕を伸ばして触れようとした。
ギラリと白刃が光る。
「――――――エリカちゃん! 」
稲妻のように刃が迸った。
机を足場に蹴って走り出したエリカちゃんの手には、いつしか一振りの獲物が握られている。
剣で床を撫でるように滑空した彼女は、その蜘蛛のようなかたちの無人索敵機の胎と床の隙間に、刃を返してに峰を差しこんだ。空を舞う蜘蛛はすかさず脚をしまいこみディスク状に変形し、スライサーのような刃を出して回転しながら、空を切り裂いて新入りに狙いを定める。エリカちゃんは小鳥を狙う猫のように飛び上がり、その切っ先でまっすぐ蜘蛛を床に縫いとめた。
おいらはそんな彼女よりも、一拍遅れて飛び出した。
おいらは新しい小瓶を持っていた。おいらは口布ごと、その群青の液体が満たされた瓶を噛んでいる。
体勢は四足の奇襲のポーズ。向かうは教室後ろのドアだ。煙幕に紛れ、天井伝いに忍び寄ってきていた小柄な影。身長はおいらと同じくらいしかない。
そいつはようやく床に足を付け、鉄の針のような爪を振り上げ同じく奇襲をかけようとしていた。背中には三番目の脚とするには長すぎる、丸太のような影が垂れさがっている。
それは、赤いプレートを持った百足の尻尾だった。
四足から胸を反らして立ち上がる。持ち前の脚力で上に飛んだおいらは、煙幕に潜り、空で反転すると足で天井を捉えた。
いま、おいらの姿は、垂れこめた煙幕の雲で奴から見えていない。奴が動けば、おいらの耳はその動きを捉えるだろう。
脚力だけで天井の端から端まで平行に飛び、咥えていた小瓶を手に持ち替えて投げつける。
次の瞬間、鋼鉄のハサミのような顎が、煙幕を破って振り上げたままの腕越しにおいらを襲った。
BOOOOOOOOOOO!!!!!
終了のブザーが鳴る。
天井と床の排気口が大きな音を立てて稼働を始め、煙幕があっという間に晴れていった。デネヴの髪がつくった暗幕も解け、割れた窓から、巨大照明についたホコリが焦げた臭いが漂ってくる。
おいらは目の前の褐色の割れた腹筋と、筋肉に埋もれたヘソを見ていた。
少女のように薄い体は、しかし鍛え上げられている。焼けた鉄の色をした瞳が、おいらを見下ろして不敵に笑っていた。
「ふふ~ん。ま、及第点じゃなあい? 」
ゆったりとした絹のズボンから出ているのは、裸足の足首から下と、ご機嫌に揺れる赤い百足の尾だ。
おいらが「きゅーん」と目で訴えると、小柄な女講師は頭巾越しにおいらの頭をモフモフ撫でてから、頭巾のてっぺんを床と縫いとめた鉄針を抜いてくれた。