おいらのヴィーナスとジーザスな日常
『管理局』の仕事は、異世界から来た異物を回収すること。
自分もそうして回収されたクチだったりする。異物が生物の場合は、回収では無く保護と呼ばれるのだが。
自分のように保護した異世界人に生活する社会を提供するため、管理局はイチ組織の枠を軽く超え、この世界の文化や経済、さらには政治にまで根深く侵食しているらしい。
ま、これも全部教科書の受け売り。
裏のドロドロした確執もあるのだろうけれど、ここは良い国だ。人は優しいし、ノリもいい。天気はちょっと湿っぽいけれど、冬に凍えることはない。
おいらの故郷は、冷たい砂漠の荒野にある深い谷の底だった。
砂漠といっても、春も夏も無いような北の大地だ。
谷では地上よりもずっと夜明けが遅くって、日暮れが早くやってくる。雨が降れば凍った水がそのまま道になり、一族が谷間の外に出るには、雨期の水が谷間いっぱいに溜まった時を待つしかない。
だからおいらたちは、冷気に耐えるための被毛と、谷間の崖に横穴を掘り、縦横無尽に崖を駆けて狩りをする脚を持つ。
しかしこの国では、ほとんど無用の産物である。
おいら……クルックスは、分類によるところの犬獣人である。
たっぷり蓄えた毛並みは、光の加減で銀色にも見える自慢の灰褐色。雪と氷と土にも紛れる独特の被毛は、おいらの世界では王様の上着の代名詞だ。
けれど世知辛いことに、朝、せっかく毛並みを整えても、披露する場所なんてありゃしない。鼻づらから首まで覆うフィルター付の覆面をして、頭には頭巾、手足は指先すら出ない服を着る。
異世界人には、『適応度』というものがある。
自分の場合、それがとっても数値が低い。世でいうところのアレルギーのようなものと思ってほしい。
おいらはさしずめ『異世界アレルギー』だ。
この『異世界アレルギー』は、すべての異世界人が発症する可能性のある持病だという。
肉球が一部に需要があると知った時は、この体質を恨んだよね。管理局には獣人なんて珍しくないけれど、なんでも肉球の有無はモテに左右するらしい。『肉球触る?』は、獣人タイプのオスにとって合コンの切り札なのである。
切り札があっても使えないおいらって、なんて不憫なんだろ。同期のあの娘は、たぶん肉球フェチなのに。
彼女は淑女だから、小さいおいらの前に屈んで、まず『肉球ありますか? 』と訊ねてきたのだ。あれは『触りたいです』という隠れた要求だったに違いないのに! この手袋の下には肉球があるのに!
……エ? またその話してるって? いいじゃないか。何度でも聞いてくれ。きみとは今日から友達だ。おいらの故郷じゃあ、一夜の食事を共にしたやつは次の狩りに加えられるのさ。つまりは仲間ってこと! 今夜から僕らは友達だ!
友よ聞け! おいらはこの手の平に、とっておきの切り札を握っているのさ! 使えないけどね!
※※※※
この国で外食といえば屋台であるが、屋根のある飯屋が無いわけではない。
一晩限りの友に別れを告げ、歓楽街外れの飯屋を出る。日が暮れるころに開店し、翌日の早朝まで営業しているこの飯屋は、夕暮れの帰り道、布団に入る前に立ち寄って腹を満たすのに手軽なお気に入りだった。
夜のピークに相席を求められるのは珍しいものでは無く、そうして一緒の席になった世界基準で故郷が違う他人と、気安い仲を築くのも割と好きだ。
珍しく星が出ている夜だ。
赤い瓦屋根の軒下の行灯に、灯が入れられていく。色とりどりの天幕が軒を広げるように展開され、人々はその下に机や椅子を持ち出して食事と歓談を楽しむ。
ここらの街道に面した商店は、街灯の代わりにこうして行灯を付けて道を照らすことが義務付けれているらしい。軒の幕も、歩道を邪魔しないように長さが決まっているのだそうだ。二日前に相席になった男が言っていた。
途切れない雑踏の中に、引き寄せられるようにおいらの視線が彼女を見つけた。
噂をしていた『同期のあの娘』だ。
夜闇より深い黒髪、星屑が押し込められている紺色の瞳、その小さな唇は噛みつきたいくらいに鮮やかな色彩を放っている。
激マブい。
デラックスかわいい。
おいらはもう、彼女に出会った瞬間からメロメロだ。目の前をふらふら通り過ぎる他の雌なんて、彼女を落とすまでの前菜であろう。そうだろうとも!
絶対に公的な場では着てこないような、見慣れないゆったりとした黒いワンピースの彼女は、何か考え事をしながら歩いているようで、視線は雑踏の向こうの行灯の行列のほうへ向いている。それでもしっかり道行く人々を避ける足運びは流石だった。
向けられる視線に鋭い彼女は、声をかける前においらに気が付いたようだ。
「あ~んっ エリカちゃあんっ 」
その『ああ面倒臭いのに見つかっちまった』っていう感じの無表情がたまらなく魅力的! おいおい、おれの恋路を邪魔するんじゃねえぜモブの皆さん!
え? 肩がぶつかった? いいじゃあないかそれくらい……あ、待ってエリカちゃん! おいらはここにいるよ! 君こそおいらのヒロインさ!
彼女はおいらに気が付かなかったふりをすることを決めたようだった。急流すべりしていく木の葉のごとく、雑踏の中をすいすい流れに乗って見えなくなっていく。おいらと肩がぶつかったらしい頭が黄色いタコみたいな異世界人が、頭の真上でウニャウニャうるさい。
服を掴んで離さないそいつの相手をしているうち、彼女の後姿はすっかり埋もれて消えてしまった。
そりゃあ明日になればまた会えるんだけれど、それでもちょっとは話したいじゃあないか!
「ああっエリカちゃん……」
「ア? どこ見てんだテメェ」
ごつん。側頭部を殴られる。ふにゃふにゃの拳である。あんまり痛くなかったが、このおいらが『殴られた』ということに腹が立ったので、こちらも拳を握りこむ。
……よーし、その触手っぽいやつを全部リボン結びにしてやろう。おいらに喧嘩を売ったこと、後悔させてやる。
……そういえばエリカちゃんったら、どうしてこんな時間にここにいたんだろう?
※※※※
「え、今日? 新しいやつが来るの? 」
エリカちゃんはこっくりと頷いて、「じゃあ、しっかり伝えたわよ」と離れていった。
ワックスの剥げかけた床に、全部で六組の長机が整列している。春先のひんやりとした風が揺らすのは、生成りの質素なカーテンだ。
ここは管理局第五部隊、研修生準備室。
管理局に保護された異世界人の中でも、異世界へ直に任務に赴く実動員を育成する部署。それが管理局に五つある部隊の中で、後継者育成を主として行う『第五部隊』である。管理局で『研修生』というと、この第五部隊に所属する実動員候補生たちのことをいう。
今、この部署に所属する研修生は三人。
おいら、犬獣人のクルックス。
紅一点にして最年少の十三歳。魔女のエリカ・クロックフォードちゃん。
そして、部屋の一番後ろにあるテーブルの上で、五体投地しているやつがいる。踊り子風の格好をして、身長より長い髪がテーブルの端から零れている。
こいつこそ、メンバー随一の戦闘力を誇るデネブ。おいらの親友だ。
なんでテーブルの上で土下座しているかって? こいつの行動理念は、この世で最も追及してはいけない領域にあるのである。おいらでも発狂しないと理解できる気がしない。でも、付き合うと面白いやつではある。デネヴに言付けを頼むのは論外なので、教官も彼女に頼んだのだろう。
話は冒頭に戻る。
離れた席についたエリカちゃんを追い、おいらはテーブルを挟んで彼女の正面に椅子を引いてきて座った。席につくや分厚い専門書を広げて読み始めたエリカちゃんは、文字の羅列から目を離さない。
「ねぇねぇ、新しくくるやつって男かな、女かな。おいら、女の子がいいなあって思うんだよね~。あ、いや、別に期待してるわけじゃないよ? ほら、今のメンバーで女の子っていないじゃない? あ、エリカちゃんを抜いてだよ? キミみたいな素敵なレディを無視できるわけないじゃあないか。だってほら、デネヴに性別って概念はたぶん無いと思うし、もう一人くらい、女の子いたっていいと思うんだよね。三人っていうのも、奇数でバランスが悪いしさ、おいらとエリカちゃんで組んだらデネヴが余っちゃうし―――――」
沈黙するエリカちゃんに向かって話し続けるうち、予鈴が鳴った。エリカちゃんは予鈴の反響が消えるまで聞き終えると緩慢な仕草で本を閉じ、おいらに向き直った。
「ベルが鳴ったわ。席につきなさいよ」
「まだ予鈴だよ? 」
じっとりと見返してくる視線に負けて、おいらは彼女の隣に腰を下ろした。何か言いたげな視線を感じるが、おいらはにっこり笑顔で返す。覆面で見えないけど、エリカちゃんには伝わったようだ。大きなため息を吐いて、本を鞄の中にしまう。
「そういえば昨日の夜、大通りにいたよね」
「……昨日? 」
「目が合った気がしたんだけどなあ。夜に出歩くなんて珍しいね。どこに行ってたの? 」
「私、昨日は出歩いて無いわ。見間違いでしょう」
「いやいやぁ、おいらがエリカちゃんを見間違えるわけがないじゃない! 」
「そうだけど……」不本意そうに頷いて、渋面のエリカちゃんは否定した。「夜の大通りなんて人通りが多いところ、私が一番出歩かない場所じゃない。貴方なら知っているでしょう? 」
「そうそう、だから珍しいなぁって思ったんだよ。……ウーン、でもあれは確かに君だったよ」
「出歩いてないってば。昨日は日暮れより前にアパートに戻ったもの……」
「ええっ嘘だぁ。もしかして離魂症じゃない? 」
離魂症とは、その字のまんま、魂に当たる部位だけが肉体から剥がれてしまう病気である。主な症状に、自失状態からのドッペルゲンガー現象や浮遊霊状態など。『適応度』が高すぎる異世界人には、わりとありふれた病気だったりする。そしてこの病気には、自覚症状が現れないことが多い。
しかしエリカちゃんは、きっぱりと否定した。
「私、昨日の夜はグリモワの解読をしていたのよ。そんな状態でグリモワなんて読んでいたら、今ここにいる私は悪魔に乗っ取られてるわ」
「あっなるほど。……じゃなくて何してるの!? どこで悪魔召喚のグリモワなんて手に入れたのさ! 研修生が手を出せるレベルじゃないじゃん!」
「もう一度聞くけれど、本当に私だったのよね? 」
「エリカちゃんだったよお! おいらと目が合って『ウワッ超めんどくさい』って顔したんだもん! 声かけたら他人のふりして逃げられたもん! 」
エリカちゃんは蟀谷をさすって首を傾げた。彼女が考え事をする時の癖だ。
「そうね。私ならそうすると思う。外であんたの顔なんて見たくないもの」
「でしょう!? そうでしょうとも! 」
ほらね! おいらってよく分かってる!
「ワタシも昨夜、エリカ嬢に遭遇イタしマシタよ」
いつのまにかおいらの脇に佇んでいたデネヴが言った。
「ほんとう? どこで? 」
「ここから直線にして、北西230mと34センチ……」
相変わらずズレた返答をしたデネヴに、エリカがすかさず修正させる。「座標じゃなくて場所で言って」
「管理局北側、水門のある河口の前のフェンスです」大通りを過ぎた先である。『エリカ』があのまま大通りを過ぎ、北西の脇道に逸れれば、その場所までは一本道だっただろう。
「私はどんな様子だったの? 貴方はどうしたのかも合せて教えてちょうだい」
「アナタは河口を見つめて立っていました。ワタシが横に立ち『エリカ』と声を掛けますと、アナタはひどく驚いて、約3mから水面へ向かって落下しました。ワタシは再びアナタが浮かび上がってくるかどうか、その場で観察しておりましたが、二時間三十分経過しても上がって来ず、ワタシは死亡を確認するため日の入りまで水中を30キロメートルにおいてアナタの遺体を捜索し……」
「ちょ、ちょっと待って……」エリカが蟀谷を揉む。おいらも頭が痛い。
「私は、どこに立っていたの? フェンスのどこに? 」
「フェンスの上です。不安定な場所なので、ワタシはトテモ物珍しさを感じました」
「フェンスのウエエェ? 」
「エリカ嬢、吐き気でもあるのですか」
「頭痛はしてるわね……ねえ、貴方たちが会った間抜けって本当に私? 」
おいらとデネヴは顔を見合わせた。
「エリカちゃんだったよ」
「エリカ嬢と認識しました」
「訊かなきゃ良かったわ……」
本鈴が鳴った。
待っていましたとばかりに、大柄な男が身を屈めて入ってくる。けっして天井が低いというわけではない。男が大きすぎるのだ。
加齢のせいでお腹は突き出ているけれども、隆起した上腕と岩棚のような胸板は隠しようもない。少ない頭髪を撫でつけ、キャンバスの様に皺ひとつないシャツにタイを巻いた、この屈強すぎるお髭の紳士はおいらたちの上司にあたる。
第五部隊のナンバー2。ハロルド・R副隊長だ。
「あれ、副隊長? 教官はどうしたんですか? 」
「おお子供たち。ごきげんよう。彼は別件を頼んでしまってね」
副隊長はにこにこと丸い顔を緩める。大きな体を窮屈そうに動かし、副隊長は自分の半身で塞いでいた入り口を開けた。
「入ってきたまえ」
おいら達はその時まで、すっかり新入りの事を忘れていた。
やがてドアと副隊長の間をコワゴワすり抜けて、赤い頭があらわれる。その鮮やかな色彩と顔立ちの特徴は、本の一族によく似ていると思った。
「周 晴光っていいます……よ、よろしくお願いします! 」
それが、おいらたちのファーストコンタクト。
一番楽しくて一番困難だった、『最後の半年』を過ごす四人が揃った瞬間だった。