---------キリトリ------------
チク、タク、チク、タク。
ゼンマイが廻り、秒針が時間を刻む。
チク、タク、チク、タク。
月明かりが足を、薄く上下する胸元を、その髪を青く照らし出し、ためらう様に開かれた目蓋の奥を、暗闇に浮かび上がらせた。
チク、タク、チク、タク。
その子供の目蓋の下には、二つの色違いの宝石が嵌まっている。色は黄金と青。猫のような色彩の瞳は、燐光を纏って薄闇に光っていた。
時の流れとは早いもの。あの事件から二年がたった。
事件の引き金となった少年が再びこの管理局の地に出現したという情報が『彼』の元にも届いたのは、つい先ほどのことである。
チク、タク、チク、タク。
『彼』にとって、この二年はまるで決壊した濁流のように様々なものを押し流し、削り取っていく怒涛の二年であった。かつて緩慢なほどにも感じた平穏は、あの日を境にこの小さな手の中には無い。
今、そこに握られるのは、一冊の本と銃だけだ。
チク、タク、チク、タク、チク、タク、チク、タク。
「……時間が無いのです」
濃い暗闇に向かって、『彼』は小さな肩を震わせた。
「時間が足りない……」
ぐし、と、彼は滲んだものを乱暴にこぶしで拭った。肌は涙を吸ってはくれず、頬に水分を擦り付けるだけに終わる。
泣くのはこれで終いだ。
チク、タク、チク、タク、チク、タク、チク………。
時計がせかす。
戦えと。休むなと。自己を殺せと。
その孤独な闘争の果てにあるものが、彼自身の瓦解であったとしても、それでも進めと時計が言う。
立ち止まった先にあるものが、何よりも恐ろしい結果だと知っているからだ。
二年がたった。『結末』までに、もう時間が無い。それまでにやるべきことが、彼の前には山の様に積み重なっている。
扉に手をかけて、ふと、側らにかかった鏡に映ったものと目があった。そこには目映い色違いの目をした貧弱な子供が、途方に暮れたような顔をして立ち尽くしていた。
※※※※
本日も晴天也……というには、雲が多いか。
『彼女』は窓の外の喧騒と空の境を見下ろし、嘆息する。
「あれから二年……」
すっかりこの世界の曇り空にも慣れた。故郷もけっして毎日がお天気模様という土地では無かったけれど。
ふとした時に、ふるさとの母の元に帰りたいと考えることも、少しずつ数が減ってきた。代わりに考えるのは、明日もうまく事が進むだろうか、僅かな自由時間の予定をどうしようか、といったくだらないことだ。
トランク一つでやってきた部屋には、二年の間に服も本も家具も増えた。もう屋根裏の小さな子供部屋には収まらないだろう。
眼下の路地で遊ぶ子供たちは、二年前どうやってあの惨状を生き抜いたのだろう。街はすでに、あの頃の面影はかけらも無く、晴れ晴れとした活気に満ち満ちている。
露天の客引き、親子連れ、若い夫婦、手を取り合って歩く老夫妻。それでもたまに、浮かび上がるように思い出すのだろう。あの街角はああだった。そこの露店があった場所では……。
チク、タク、チク、タク。
転がり落ちるように時は過ぎ去った。皆が忙しい二年間だった。たった十三歳の彼女すら、気付けば背が伸びているような。そんな二年間だった。
チク、タク、チク、タク。
階下から、『彼女』を呼ぶ声がする。
声をかえして、ドアノブに手をかけた。
その時だった。
どおぉおん!
足の下が揺れる。雷が落ちたような轟音。
ああ……平和が訪れても、この世界はまったくもって、平穏とは程遠い。
管理局職員たるもの、アンニュイに浸っている暇があったら『適応』することを考えなければ。
「ちょっと何なの今の音! 」
「ゆ、床がぁ! 床が抜けちゃった! 」
「ああもう――――本、あそこだけ積みすぎてるって、だから言ったじゃない! 」
『彼女』は黒髪をなびかせて、軽やかに階段を下りて行った。
※※※※
もうもうと巻き上がる砂煙が、地に伏せた背中を覆う。土を掴んでしまった手では顔を拭うことも出来なくて、額を地に押し付け、僕は芋虫のように小さくなっていた。
いくつもの火玉が熱風を孕み、頭の上を轟々と落っこちていく音がする。
そんなとき。
「まだ生きたいか」
……そう尋ねられたので、「死にたくない」と僕は答えた。
始まりはそれ。
……たったそれだけの話だったのだ。