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一ノ捌

 すっかり日が暮れていた。

 どれほど走ったのか、僕達は額に汗を浮かべて後方を何度も確認している内にいつの間にか街を抜けて住宅街に入り込んでいた。

 ブラウが追ってくる気配は無い。

 キスをされてからのあの様子、僕の設定は活きていたのだから今日はもう安全だ、たとえ早く回復したとしてもすぐには動けまい。

 僕らの居場所を特定する事も難しいんじゃないだろうか、彼女は変異世界からこの世界に出てきてまだ間もなくここらの地理には疎い。

 ただ明日には動けるようになって、探してくるかもしれないが。

「ははっ……」

 逃げ切れた喜びと、ブラウから奪った原稿を見て、書かれていた内容に僕は枯れた笑い声を漏らした。

 逃げ切れたところまで、書いてあるじゃないか。

 原稿通り……らしい。

 本当は僕が事故に遭って、その後にブラウと接触するはずだったが先にブラウと接触したって事は事故までの物語はカットされたのかな。

 必死で逃げていたおかげであれだけ警戒していた十字路を何度も通っていたけど、こうして無事でいられている。

「それ、何なの……?」

「分からない、少なくとも僕達の未来が書かれた原稿だよ」

 これは……あえて本当の事を言うのは伏せておこう、僕の書いた物語だっていうのは、言えない。

 それに僕達の未来が書かれたというのも正しい。

 ほら、と夕莉に見せてやった。

「『無事に逃げられた事に二人は安堵し、荒れた呼吸を整えるべく一度足を止めた』だってさ」

 最後の数行にこうして僕らの現状が文章となって終わり、この先の手がかりは無しなのは残念だ。

 もう少し先の未来は知りたかったが、原稿用紙一枚に載せられる文章量は多いとは言えないので仕方がない。

 それにしても。

 この原稿はブラウがちゃんと読まなかったのも、ブラウから僕達が逃げられる事も書かれていて、はじめから決まっていたみたいな――なんていうか、決められた未来、運命、そういう類の言葉が浮かぶ。

 逆に、原稿に弄ばれているかのような、操られているかのようでいい気はしない。

 休憩はすぐに終えて僕達は足を進めた。

 追ってこないと僕は分かっていても、夕莉は違う。

 追ってくるかもという不安に落ち着けず、視線は左右に振りまかれていた。

 その不安を取り除くためにも早々に彼女をアパートへ帰したほうがいい、晩御飯を一緒に食べようなんて言ってられない。

「今日はすぐにでも帰ったほうがいいね、家まで送るよ」

「……う、うん」

 なるべく遠回りをして尾行もないと分からせて完全に不安を取り除いた状態でね。

「警察に連絡しても、無駄かな……」

 携帯電話を取り出すも、指はボタンを押せずにいた。

「無駄だと思う。威嚇は出来ても、通用はしない」

「……だよね」

 警察が動いたところで、不審者の警戒くらいはしてくれるだろうけどもし警察とブラウがぶつかり合ったらどうなるかは予想するまでもない。

 犠牲を増やすだけだ、ブラウは接触したがらないと思うから確かに威嚇にはなるが。

 自分の保身のために他人を巻き込むのは、やりたくないものだ。

「あの……今日の、事なんだけど」

 そうだ、夕莉は僕に話があるんだったな。

 これも物語の進行に添った展開だ。

 ブラウに襲われた後に夕莉は理解しがたい存在からの襲撃に困惑し、説明を始める――のだけど。

 別に僕は何もかも知っているので特に説明を聞く必要も無い。

「明人に、言わなきゃならない事……あるの」

 夕莉は僕の足を止め、息を整えてから僕を真っ直ぐに見てゆっくりと口を開いた。

 勇気を振り絞っての告白。

「別にいいよ、全部知ってるから」

「……え?」

 申し訳ないが割愛。

 そりゃあ僕の書いた物語、僕の考えた夕莉の台詞を聞きはしたいけど、意外と長いんだよねその説明。

 自分は本当はこの世界の人間じゃないのとか、本来は見せるはずだった具現の力の説明も入る。

 そのたびに、ええ、そうなんだ! 信じられない……! まさか現実にこんなことが! と一々僕は驚いて次の台詞を引きださないと物語の進行もスムーズにいかなそうだ。

 今日はもう家に帰って頭を整理したい。

 日が暮れて帰宅が遅くなるのは嫌だ、ああ、本当に申し訳ないけど割愛が一番なのだ。

「あ、あの……」

「いや、うん、あいつの正体も君が何者かも君の持つ具現の力も変異世界も全部知ってるから別に説明しなくていいよ」

「な、何故それを……!?」

「説明すると長くなりそうだなあ……」

 今度は僕が説明する側に。

 どう説明していいのやら。

「説明、求むっ」

「実は僕、超能力者でね。何でも分かっちゃうんだよ」

「嘘、嘘、嘘」

 夕莉は肩をぽこぽこと叩いてくる。

 しかしどうしても説明は出来ない、難しい。

「言いたいけど、言えない。色々と事情があるんだ」

「事情……?」

「そう、事情」

 話してくれない事が残念のようで、夕莉は視線を地面へ落とした。

 ごめんよ、と僕は彼女の頭を優しく撫でてやった。

 謝らなくてもいい、と夕莉は僕に優しく微笑んでくれた、少しだけ切なそうに。

 住宅街を歩いていると、丁字路にたどり着いた。

 左へ行けば僕の家、右側はおそらく夕莉のアパートがある。

 おそらくと言葉をつけたのは、夕莉のアパートは颯太の家に近く、丁字路を分かれて直進して数メートル先にあるっていう設定は知っているが直接行ったわけではないからだ。

 夕莉は、右側へ曲がるもすぐに足を止めた。

「……あのっ」

「どうしたの?」

 家までなら心配しなくても送っていくつもりだ。

「今日……」

「今日?」

「明人の家、泊まっていい?」

 振り返る夕莉は上目遣いで僕を見てきた。

 これは反則だろう、台詞も彼女の仕草もさ。

 忘れていた。

 ブラウに襲われたその日、夕莉は颯太の家に泊まるのだ。

 本来は颯太が、相手は夕莉を狙っているのだからアパートに帰るのは危険かもしれないと提案して颯太の家に泊まる事になったのだけど、今回は物語の進行が若干変化しているがこれも進行通りといえば進行通りなのだな。

「……いいよ、あいつは君が目的だ。もしもの事を考えるとアパートに帰るのは危険だしね」

 特に悩みもせず気がついたら僕は頷いていた。

 彼女の魅力にやられた? ああ、そうさ。

 それにやはりブラウが襲ってこないとは分かっていてもだからといって彼女を一人にさせるのはどうかって話でもある。

 夕莉は携帯電話を取りだして彼女の引き取り手である、えっと、名前はなんだったかな、凪島……ああ、そうだ、凪島摂理なぎしませつりだ。夕莉はその人に連絡している模様。

 電話が終わるや薄っすらと笑みを見せて夕莉は再び僕と肩を並べて、僕の家へ。

 緊張する、ものすごく。

 僕が人生で女性を部屋に入れた事はあったか? 母さんは入れた事はあるけどあれはノーカウントだ。

 流癒も今日部屋に入ってきたけどあれもノーカウント、一応僕の妹のようだからね。

 流癒は何の緊張感も無く当たり前のように部屋へ入ってきていたが、隣を歩く夕莉は、ちょっと緊張するなあと言わんばかりの少しだけ縮こまった両肩、もじもじと指を絡めるその仕草、こういうのがね、大きな違いだね。

 母さんにはメールで連絡はしておく。

 当然のように「大歓迎よ、早く帰っておいで」と、すばやい返信。

 あと、直接言うよりここで言っておこうと、「上着をなくした」とメールを送信。

 すると先ほどよりもすばやい返信で「帰ったら覚悟しろあほたれ」と返信がきた。

 ……世知辛い。

 家に着いたのはもう夜の七時前だった。

 遠回りをしたのもあって、予想以上に遅い帰宅となってしまった。

 僕は上着をなくした件について、本当の事は言えないので母さんにはどこかに置き忘れたと説明するも説教は逃れられず、予備の上着を渡されるも今月のお小遣いはいつもの半分の罰を言い渡された。

 お小遣い無しじゃなくて助かったよ。

 それから、ようやくして夕食。

 にぎやかな食卓の中で夕食を頂いた。

 母さんにはさも当然のようだが、僕には流癒や夕莉のいる食卓は初めてだ。

 自分の家じゃないみたいで、落ち着かなかった。

 父さんは口数の多い人ではなかったけど、夕莉が食卓に座っているだけで最近の明人は学校ではどうかとか、明人は何か悪い事をしてやしないかとか口数は多かった。

 一週間前にも同じ質問したじゃないあなた、と母さんの言葉を聞いて、夕莉は一週間前にもうちへ来ていた事からこうして食卓を囲む頻度は高く、僕の考えた設定はきちんと活きて、影響されている。

 着替えすらうちにあって、夕莉はいつ泊まっても準備できるようにもなっていた。

 問題は、だ。

「ほ、ほら、お水」

「ありがとう」

 いつの間にか壁に立てかけてあった円形のテーブルを立てて、僕の向かい側には寝巻き姿の夕莉。

 部屋のテレビを一緒に見たり、流癒がゲーム機を持ってきて夕莉となにやら妙な格闘ゲームで対戦したり、僕も巻き込まれたりしていたが流癒は満足してもう部屋からは出て行った。

 つまり、今は二人きり。

 夕莉は慣れている様子で寛いでいたが、僕は緊張に体を縛られて少々ぎこちない。

 コップを何度も口へ運び、これといって飲みたいわけではない水で喉を潤していた。

「今日……大変、だった」

 夕莉は、そんな僕を見てどう受け取ったのか、深刻そうに口を開いた。

「あ、うん……そうだね」

「私のせいで、明人……巻き込まれた」

 ブラウに襲われた事に責任を感じているのだとしたら、それは大きな間違いだ。 

「君のせいじゃない。何も気にしないでいいよ」

「でも……」

「でも、だって、だけど、しかし、けれどは禁止。君は何も悪くないの!」

「だけど……」

「禁止!」

「けれど……」

「禁止!」

「あの……」

「今日会った奴さ、ブラウって名前なんだけど、今日はもうブラウは襲ってこないよ、安心して寝て」

 更に安心させてやるべく、ベッドに彼女を寝させて僕は床に布団を敷いて横になった。

「明人……」

 やはり納得いかずに問い詰めてくるかと思いきや、夕莉は掛け布団から手を出してきた。

「何?」

 手は二度、三度にぎにぎと閉じたり開いたり。

「握って……」

 くそう、君は本当に可愛いヒロインだよ!

 この部分、書いていたのは憶えている。

 ――手を握ってとお願いする彼女に、颯太は優しく手を重ねて握ってやった。

 やってやる?

 やってやろう、やってやるぜ。

 夕莉の手は柔らかく暖かく、滑りそうな肌触り。

 僕の顔、大丈夫かな。

 頬がとても熱い、心臓の鼓動も脈動している。

「……夕莉?」

 そんな僕の様子とは裏腹に、夕莉は既に夢の中のようで安らいだ寝顔と共に静かな寝息を立てていた。

 ベッドに横になって安心して、途端に睡魔に飲み込まれたようだ。

 もう少し、こうして握ってやりたかったが僕は手を離して夕莉の掛け布団を整えてやってから、布団に入るもまだ眠りはしなかった。

 原稿は肌身離さず持っていた。

 僕は原稿を出して、テーブルランプを寄せて点灯させて文章を見ていく。

 筆跡は僕のものとよく似ている、そっくりと言ってもいいけど……何か違う、誰かが真似て書いたような印象だ。

 だとしたら、誰が? やはり原稿を意図的に置いていった奴に違いない。

 第三者は絶対にいる。

 僕の書いた物語の原稿だって、自宅の一階や学校の机の中にあって誰かが意図的に置いたのは確実なのだ。

 その人物が原稿を利用して僕やブラウを振り回して引き合わせたのだ。

 物語はどれくらい進んだ?

 自分の書いた物語は大きく変化してしまった、しかも次の進行を思い出そうとするも何故か自分の書いた物語なのに先が思い出せないのは問題だ。

 分からないことが多すぎる。

 現実がどうなってしまったのかも、実際僕は理解していない。

 僕の書いた物語は何らかの影響は及ぼしているが、僕が物語の世界に入ってしまったのか、世界が物語のように変わってしまったのかも、よくよく考えればどうなのか分からない。

 確かめようがない、そうに違いないって合っているか分からないが自分で決め付けるしかなかった。

 でも待てよ、僕が物語の世界に入ったのはありえないか。父さんや母さんは現実と変わっていない。その他にも現実と変わっていない部分は多く、物語の世界に入り込んだにしては現実同じ部分があるのは不自然だ。原稿が出てくるのもおかしい。

 なら、現実が変化したと思っていいのかな。

 しかし……。

 もしもよくある異世界ものの物語を書いていたら今頃僕は異世界に飛んでいたのかな、それとも現実が異世界化?

 いきなり不慮の事故で死んで何故か神様が出てきて神様だけどミスったぜとかなんか理由つけて異世界とか、気がついたら異世界とか、それ以外ではゲームやってたらゲームの世界に閉じ込められたとか色々あるけどそういう物語を書かなくて良かった、異世界に飛ばされたら絶望してたね。

 ほっとするのはいいけど、現状はそれに近い状態と言ってもいい、ある意味では異世界みたいなものだ。

 どうして、こうなってしまったのだろう。

 昨日最後に憶えているのは、ああ、そうだ……。

 人型の白い煙のようなものが僕の机の前に立って何かしていた気がする。

 あの煙みたいな奴が原稿を持ち去って現実を変えてしまった?

 また解らないものが一つ、増えた。

 頭の中に溢れている疑問達に脳は圧迫され気味。

 これから物語の進行はどうなるのだろう。

 ブラウを一度は撃退したとはいえ、明日には復活してどんな行動を取ってくるやら。

 物語が変わる前はどうやって彼女を倒したのか、思い出そうとしてもその部分はどうやら頭の外に行ってしまったようでまるっきり思い出せる気配は無い。

 この物語の結末は思い出せず、思い出そうとすると頭痛が生じて駄目だった。

 思い出せるのは細かな登場人物らの設定やどうでもいい部分の文章、それにほんの少し先の物語、しかし物語が大きく変化した今となってはどれほど先を思い出しても違う進行になるのだから意味はあまり意味は無いかもしれない。

 これはあの煙野郎に何かされたとしか思えない。

 これから必要なのは原稿だ、物語が大きく変わってしまったら先が書かれているであろうあの原稿は重要。

 僕は今持っている原稿を折り畳んで敷布団の下に隠した、なるべく寝てる間でも身近においておきたい。

 原稿は大事に持っておこう。

 明日起きたらズボンにでも入れて、とりあえず原稿は肌身離さず持っておくとする。

 枚数が増えたらどこかに保管する場所も考えておかなくては。

 そういえば……この物語が最後まで進行して、完結したらどうなるんだ?

 ……まあ、考えたって分からないし、今は遠い先の事よりも来る明日について考えるとするか。

 僕はランプを消して、

「おやすみ」

 小さく、彼女へ呟いて目を閉じた。

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