一ノ肆
教室に入るとクラスメイトの中に数人ほど見覚えの無い生徒がいた。
その中には、
「おはようございます明人君」
「え、あ、ああ……おはよう」
清潔感溢れる女子生徒、こんな真面目で礼儀正しい生徒はうちのクラスにはいなかった――が、どこか見覚えのある顔、聞き覚えのある声。
「おはよう、榛名さん」
「ええ、おはようございます夕莉さん」
――ん? 今……榛名って、言わなかった?
「……榛名、さん?」
「はい? どうかしました?」
ちょっと待ってくれよ、頭の中を整理したいから。
僕の知っている榛名さんは金髪で、耳にピアスをしていて、アクセサリーはじゃらじゃらで、礼儀なんて丸めてゴミ箱に投げ捨てたような人だ。
「本当に、榛名さん?」
「そうですよ?」
よく見てみる。
化粧は人を変えるというが、榛名さんは化粧をしていなくてもそれほど変わりは無い顔だった。
目のあたりは少し違うかな? なんかマスカラ? マラカス? だったっけ、マラカスは違うか。その面には疎いので分からないが、何かつけていたのは確かだ。
髪は黒髪になっていて雰囲気はまったく違う。
部分部分が確かに榛名さん。
声も確かに榛名さん。
「大丈夫ですか?」
雰囲気や口調はまったく違うので混乱する、どうしちゃったんだろうこの人は。
いきなり改心したとか?
いやいやそんな馬鹿な、あの人を一ヶ月ほど見てきたけど簡単に改心するような人じゃないってのは分かる。
彼女を見て、思い浮かぶのは僕の書いた物語の登場人物。
クラスメイトの中に真面目な委員長がいた、その生徒の名前は望月佳代子といい、彼女は誰に対しても敬語で礼儀正しい生徒。
目の前には――彼女とそっくりな生徒と化してしまった榛名さん。
これは……?
「あの」
「えっ?」
「そろそろ席についたほうがよろしいですよ?」
「あ、ああ、そうだね」
考えても分からない、現段階では全てが推測でしかないのだ。
冷静に、混乱せず、落ち着く。
それが今僕がすべき事。
榛名さんは自分の席に着き、そこで気付く。
彼女の隣が僕の席だが、そこには既に生徒が座っていた。
間違えてる? 馬鹿な、一ヶ月も過ごしたのに今更席を間違える生徒などいない。
物語では颯太の席は窓側一番後ろ、そこを見てみるとまだ空席。
「明人、席に座ろ?」
「そう……だね」
夕莉は颯太の隣の席、もしその空席の隣に座れば、空席は颯太の席だと判断できるといえばできる。
彼女に先行させて僕は様子見。
ついでに榛名さんの後姿もちらちらと僕は見ていた。
望月佳代子は後から付け足した登場人物だ。
榛名さんとは正反対の登場人物を、僕が現実と見比べてこんな生徒が欲しいなと思って作ったのが望月佳代子だが、まさか榛名さんがそのまま望月佳代子とほぼ同じ生徒になってしまうなんて、混乱させられてしまう。
名前も変わっていたら多分僕は榛名さんをどこかで見た事のある生徒だなくらいで、すぐには気づかなかっただろう。
視線を戻して僕は夕莉の動きの確認へと戻った。
空席の隣に座る夕莉。
クラスメイトの反応も見て、僕はその空席――窓側一番後ろの席へと歩み寄り、躊躇したものの夕莉は僕がこの席に近づいても動じなかったので着席。
……ここでいいのだろう、僕の席は。
誰も僕がこの席に座る事に違和感を持つ生徒はいない、物語によって席替えをさせられてしまったようだ。
しかも、だ。
机には文章がいくつか落書きのように書いていた。
見た瞬間、僕は原稿の続きだとすぐに分かった。
何故、机に書かれているんだ? 原稿用紙は?
筆跡は僕のものに非常に似ているが、どこか違和感があった。
誰が書いたんだこれは、クラスメイトの中に……? いや、判断はできないな、僕の机に文章を書くくらいクラスメイトじゃなくてもできる。
それよりも、この文章を先ず読むとしよう。
明人は席に座り、机に書かれていた文章に気づいた。
どうやら原稿の続きらしい。
朝から文字ばかりを読んで、早くも目の疲れを感じる明人。
隣に座る夕莉は朝から様子がどこか妙である明人に気が気でなかった。
倦怠感に包まれた彼のため息に、
『頑張って、私は応援する』
『……そりゃどうも』
両手で握りこぶしを作って小さく上下に振っているのは彼女なりの激励らしい。
明人は笑みをこぼす。
倦怠感が少しだけ和らいだ気がした彼だった。
……ため息?
この文章を読み終えて、集中していたのもあって、僕は文章とは違って小さなため息をつくのを忘れていた。
……これは、どうなるのだろう。
僕はため息をつかなかったのでこの文章通りにはいかなくなる。
ここで一旦停止? そうなるのならば次の物語の進行にも支障が出てくる、自分で物語の進行が把握できないのはまずい。
「授業、頑張ろう。駄目そうなら応援、する」
両手で握りこぶしを作って小さく上下に振る夕莉。
あれ? 物語が進んだ?
多少変化していたが、これは物語が進行していると思っていい、のかな?
ここは一応、台詞を返してやると、する。
僕は机に書かれた文章を一瞬だけ見て答える。
「……そりゃどうも」
一応、この原稿通りに進めたほういいな、今どのような状況なのかをはっきりと把握できる。
複雑な気分だ、物語が進むと嬉しい場面や楽しい場面がやってくる。勿論、夕莉と一緒に昼食を食べる場面も。
だが問題は放課後だ、僕は交通事故に遭って死ぬ。
生き返ると分かっていても、自分から死にに行くのは怖すぎて今から早退しますと帰るまである。
帰ったところで、物語の進行が一時停止してくれたとして、次の日の放課後どうするのか、毎日早退でもするのかって事になるがね。
多少物語は変化しつつもさっきのように物語は進行する、僕がいつか交通事故で死ぬのは逃れられない……。
「危なし危なしっ」
遅刻するか否かの時間に教室へ男子生徒が入ってきて、僕の前の空席に腰を下ろした。
そうだ、物語では僕の前の席は中学からの友達だ。
「おはよう、明人」
「み、光武……?」
「ん? どうした?」
嬉しい事に、
「あ、いや、おはよう」
中学からの友達である長柄光武は高校は別の学校へと進学してしまって離れ離れになった。
でも彼はここにいる。
何故?
……もしかして。
これは、物語通りなのか?
颯太の中学からの友達として――今の僕の立ち位置は颯太と同じ、だから僕の前の席に彼は座るって事?
そう考えると納得はいく、一応。
「夕莉もおはよう、今日も可愛いねえ。抱きついていいー?」
いつものノリ、光武はこういう奴だ。
面白い奴、一言で表すならそれ。
颯太の友達のモデルでもある、ぶっちゃけ颯太の友達は光武そのまま。
「い、いけないっ」
必死に首を横に振る夕莉。
どうだい光武。
僕の書いた物語のヒロインだよ、可愛いだろう? って自慢したいけど、彼は物語の影響で夕莉とも中学で親しくしていた事になっているであろう、言っても僕の伝えたい事など伝わらないのが悔しいところだ。
「抱きついたら、慰謝料が発生する」
「慰謝料!?」
「あと死刑になる」
夕莉は楽しそうに言うが目が笑ってない。
「抱きついただけでそれって酷くない!?」
「仕方ない」
僕は頷く。
「仕方ないの!?」
ふと机の中に教科書を入れようとしたら何か紙が引っかかって、一枚の紙が入っているのに気づいた。
「あっ」
思わず、声を上げる。
「どうした?」
「何か、あった?」
その紙を取るも、すぐにポケットにしまう。
「なんでもないよっ」
「何か、ポケットに入れた」
ちょっと夕莉、余計な事言わないでっ。
「ラブレターかね?」
ほら、こうなるから。
「違うよ、ただのプリント」
「でも隠した」
「点数の悪かった、テストのプリント」
「最近テストやった?」
食いつかないで夕莉さん、お願いします本当に。
「気になるぜ、気になるぞー!」
手を伸ばしてくるも僕は光武の喉に水平チョップをかまして迎撃。
「ほがっ! ちょっ……」
「かかってこい」
「ぼ、暴力はいけない……」
「かかってこい」
「私、気のせいだった。明人はポケットに何も入れてない」
光武の身の危険を察したのか、夕莉はフォローに回った。
「だろう?」
「そ、そうなの?」
「うん、そう」
一件落着だ。
……よかった。机に書かれた文章の他に、新たな原稿発見だ。
今度は机の中、か。
……何だろうなこの感じは。
机に文章を書くことで意識を机に集中させて、原稿を見つけやすくしている配慮を感じられる。
そもそも、この原稿が机の中に入れてある時点で何者かは明らかに僕へ原稿を遠まわしに渡しているのも引っかかる。
目的は何だ……? 何をしたい? 何をさせたい?
ホームルームの時間となり、戸塚先生が教室へ入ってくる。
担任は変わらずのようだ、先生も外見が変わっておらず特に変化は見当たらない。
これといって特徴も無く、これといって熱血でもなく普通を固めたら出来上がったような先生だ。
しかし喋ったらとても明るい先生になってるとか、とても暗い先生になってるとか、はたまた熱血系になってるとかじゃないだろうな。
「えっと、始めましょうか」
よかった、いつものごく普通の先生だ。
物語に登場する先生は特に台詞も少なく書く場面もそれほど無かったから物語の影響を受けなかったのかな。
授業が始まり、物語が順調に進行すれば進行するほど僕は迫り来る逃れられない危機に不安ばかりが募っていく。
机に書かれた文章は授業中にノートにでも書いておこう。
夕莉は何だかんだ言って僕がポケットに入れた原稿を気にしているようでちらちらとポケットを見てくる。
原稿を読むのはあとにしたほうがよさそうだ。
雑に四つ折したおかげで原稿が頭を出していたので僕はさりげなくポケットの奥へとつっこんだ。
夕莉はポケットを見るついでに僕の様子も窺って首を傾げたり心配そうな目で見てきたり。
前の席からは消しゴムの消しカスを丸めたものを弧を描いて後方に投げてくる光武。
最後に大きめに丸めた消しカスを投げたらしいが、考え事をしていて気づかず夕莉曰く午前中、ずっと僕の頭の上には消しカスが乗っかっていたらしい。
昼休みになって、食堂にたどり着いてなんか通りかかる生徒が僕を見てる気がするなとは思っていたけど、それなら早く教えて欲しかったよ夕莉。