一ノ参
この先は……。
学校へ行く道中にヒロインと遭遇する、僕の書く物語は大抵がそのパターンだ。
幼馴染っていうありきたりな設定、ありきたりな登場、榛名さんもこういう部分に面白くないと感じたのかもしれない。
明人は角を曲がり、住宅街を抜けて街に入る。
数歩ほど歩数を重ねたところで、
『おはよう、今日も良い天気』
彼女の声が届いた。
原稿通り後ろから女性の声。
振り返ると、そこには鞄を持った少女が一人。
「おはよう」
名前は……天元夕莉。
彼女こそ。
彼女こそ、僕の書いた物語のヒロインだ。
……なんて呼ぼう。
こういう時は、颯太と同じく名前で彼女を呼んでみるのが一番かな?
幼馴染という設定のままならば彼女とは昔からの付き合いという事になる。
それなのに天元さんや、夕莉さんとさん付けで呼ぶのは他人行儀ではないかな。
「――夕莉」
心臓の鼓動が徐々に激しくなっていく。
女性と一緒に行動する機会なんて僕の人生では無かったから、緊張してしまう。
「明人、今日はちょっと遅い」
平常心、冷静に、自然に、ごく普通に、僕ならやれる……多分。
「えっと、ごめんよ、家を出るのにちょいと手間取って」
「それ、何?」
指差したのは僕の持っていた原稿。
僕は慌てて、ポケットに押し込んだ。
「な、なんでもないよ!」
「……そう?」
無表情、淡々とした口調。
原稿が気になっているようだ。
そうだ、こういう時は、だ。
僕の鞄に確か一口で食べられるチョコのお菓子が入っている、よく持ち歩いて小腹が空いたら食べている。
夕莉は物語の設定通りならば甘いものが好きだ。
鞄に手を入れてチョコを取り出して彼女に見せる。
その無表情は見る見るうちに笑顔を纏いはじめ、目は輝きを宿した。
左に振ると彼女の顔も左に、右に振ると彼女の顔も右に。
上に上げると彼女の顔も以下省略。
宙に投げると、ぱくんとチョコを食べて満面の笑み。
よし、これで原稿は頭の外にいってくれただろう。彼女はもう原稿を気にする事は無く、にこやかな笑顔で歩いていた。
可愛いヒロインを書けたと思う。
整った大人びた顔立ちは僕好み、笑顔の時は幼さを醸し出すがそれがまたいい。
最高、その二文字。
「ぱっちりとした二重の瞼」
「えっ?」
うん、ぱっちり。
「綺麗なラインを描く眉に潤いのある唇」
「えっ?」
うん、マシュマロのような唇。
「白くつるりとすべりそうなほど綺麗で若さが発揮された肌」
「えっ?」
うん、驚くほどに綺麗。
「整った顔立ち、腰まで伸びる長い黒髪が特徴的」
「えっ?」
うん、艶やかでずっと触れていたい。
「ど、どうしたの?」
「いや、なんでも」
なんでもあります、今の気分は最高です。
僕は、ヒロインの容姿ははっきりと憶えている。
このヒロインは僕の趣味100パーセントで練りこまれているから当然の事。
ただもう少し胸は大きくするべきだったかな?
いやしかしだね、大きいよりも控えめな胸のほうが似合うのもあるし本人が自分の胸の小ささを気にしているってのもこれまた僕にはたまらないのですよ。
うん、胸の大きさはこれくらいで正しいのだ。
大きすぎず小さすぎずでやや小さいかなと思うくらいの、本人が気にするくらいの大きさ。
「……何見てるの?」
「え? い、いやいや、何も!」
疑いつつも、今は登校を優先したようで彼女は僕と肩を並べて歩行。
これほど嬉しいものはない、自分の書いた物語のヒロインと朝一緒に登校できるなんてね。
声も想像して書いた通り、綺麗な声だ。
……待てよ?
このまま話が進むとまずいんじゃないか?
僕の書いた物語が現実で起きているのならば、敵も当然出てくるはずだ。
――少し、思い出せた。
そう……しかも、だ。
今は大丈夫だが、学校の帰りに彼女と歩いていると僕は交通事故に遭う。
僕の書いた物語では颯太は瀕死の大怪我を、っていうか一度死ぬ。
しかし実は彼女は特別な力を持っているという設定で颯太は生き返る。
生き返りはするけど、流石に死ぬと分かって自分で物語を進めるのは……やりたくはない。
更にそれがきっかけで、その次の日には敵と遭遇して戦闘。
最初はそういうあらすじ。
敵が現れるのも、彼女の力を利用しようとしているからで、今思うとこういう変な設定がこれまた榛名さんに面白くないと思わせたのかもしれない。
そして……いや、駄目だ。これ以上は出てこない。
どういうわけか、思い出せたのはこれらほんの少し。
頭の中を巡ってこの先自分が書いたものを思い出そうとするが、何故か出そうに無い。
「痛っ――!」
「大丈夫?」
思い出そうとすると頭痛すらし始めた。
この頭痛は何なんだ……?
まるで思い出そうとする度に、思い出せそうになる度に頭の中に針を打ち込まれている気分だ。
その痛みのおかげで浮かんできたものはまた頭の外に。
「あ、ああ……一瞬、痛んだだけ」
無理はしないでおこう……。
寝ている間に、誰かに何かされたのかもしれない。
誰に? 分からない。
何を? 分からない。
分からないものばかり積み重なっていく。
話が動くのは放課後、それまでは急展開も迎えず大した事は起こらないと思う。
大事になる前に、何故こうなったのかを解決すべきだな。
先ずは考えてみよう、整理しよう。
推測するにあたって、一つは僕が自分で書いた物語の世界に入り込んでしまった、であるが微妙に違う部分がある。
完全に物語の世界に入ったのならばまず僕が書いた主人公である颯太がいるはずだがどこにもいない。
僕が颯太として主人公と同じ立ち位置ではあるが、名前や容姿は変わっていない。
颯太のように背は高くも無く、髪もそれほど長くも無い。
周囲は変化しているが、僕の変化は見た感じではどこも、何も変わってないな。
ただ、自分の書いた物語が思い出せずにいるが。
誰かにぽっかりと頭の中をスプーンで掬い取られたかのような気分だ。
これが僕の変化なのかもしれない、物語の主人公は先を知らないから、そういう影響で自分で書いた物語の次の展開が思い出せない、とか?
「ねえ、夕莉。颯太って知ってる?」
「颯太? 誰? 私は知らない」
気になったので聞いてみた。
登場人物でさえも主人公の存在は分からず、か。
もう一つ推測するに、僕が書いた物語と現実が入り混じった、かな。
僕の家族に妹が追加されていたり、いないはずの幼馴染とこうして一緒に登校しているのは後者の考えも無視できない。
「大丈夫?」
夕莉は僕の視界に顔を覗き込んで我に返らせた。
「えっ、あっ、だ、大丈夫だよ」
「本当に?」
眉がハの字に曲がる、非常に可愛い。
一つ一つの仕草が僕のストライクゾーンに毎回ど真ん中ストレートストライク、自分で作った登場人物とこうして会話してみると高揚すら覚えるね。
書いていてこの子は本当に好きな登場人物だった、嬉しすぎる、嬉しすぎて頬を触れちゃったり。
「……あの」
「やわらかい」
僕は頬を指でつついていた、無意識に。
彼女はいきなり何を、と言いたげに困惑を瞳に宿らせる。
「……あの」
「やわらかいね」
「……ありがとう」
止まっていた足を動かす。
特に怒る事もなく、隣を歩く夕莉。
僕の想像通り彼女は優しい女性だ。
彼女の事を、僕は彼女以上に知っている。
長く伸ばしすぎて髪を少し短く切ろうかと悩んでいて、今日みたいに風を靡かせる程度の微風の日は靡く自分の髪が鬱陶しく思ったりしている。
前髪も目にかぶさり気味、だがそれがいい。
「髪、そろそろ切ろうかな」
「そのままでもいいんじゃない?」
「そう?」
「うん、君はそのままでも綺麗だよ」
可愛い人だ。
一応原稿をこっそり取り出して彼女に気づかれないように確認する。
ここで、
彼女は頬を朱に染めて視線を地面へと落とした。
照れているのだ、はっきりと分かるその仕草に明人は心の中で『可愛い人だ』と、呟く。
ああ、さっき心の中で呟いたのが、この文章か。
しかしながら、書いてる間は少しだけ颯太が羨ましかった。
こんな朝を過ごしたいなって思っていたから、願いが叶って今の気分は最高だ。
さて。
これから学校へ向かうわけだが、どんな変化が起きているのやら。
通っている学校は変わっていないだろう、僕の学生証は変わっていなかったからね。
物語を書いている時に学校は出てきたが自分の学校をモデルにしていたから影響がなかったのかな、何とも言えない。
それに細かな面での変化は起きているかもしれない。
どうなっているか、学校に行ってからのお楽しみだ。
……楽しむ状況、ではないのだけどね。
「今日、昼は?」
「今日は購買で何か買おうと思ってる。母さんが弁当作るの忘れてさ」
「あ、あのね……」
夕莉はもじもじと両手の指を絡める。
「どうしたの?」
「私も、弁当、忘れた」
彼女が何を言いたいのかは手に取るように分かる。
昼ごはんは一緒に食堂へ行きたいのだ彼女は。
「一緒に食堂でも行く?」
夕莉は小さく二回頷いた、その仕草、可愛いからちょっと抱きついていいかな?
そういえば颯太と夕莉とのこういうやりとり、書いた記憶がうろ覚えながらある。
原稿を読みながら現状を確認――これはこれで、少し先を確認できて面白いといえば面白いが……まずいな。
何がまずいかというと、原稿はさっきの文章で終わっていたからだ。
一枚しかないのだから載せられる文章量も少ないので仕方が無いが。
これから一先ず昼休みまでは物語が大きな進展を見せる事は無いだろうから原稿がどうしても必要というわけではない……けれど、その後はどうする? 事故の部分は必要だ。
原稿はまさに詳しい未来情報。
原稿が無い今、やれる事はじっくりと周囲の変化などを観察するしかない、新たな原稿がどこかに落ちている可能性もある。目を光らせねば。
学校に到着するや、僕は校舎を見て違和感を覚えた。
以前の学校よりも一回り大きくなった?
学校の敷地もこんなに広かったかな? 何か建物も増えてる気がする、気がする? 増えてるね確実に。
「さっきも聞いたけど……本当に、大丈夫?」
視線を散らして明らかに周囲の生徒とは違う反応をする僕に、彼女は訝しげに問いかけた。
「だ、大丈夫大丈夫……大丈夫」
自分に言い聞かせているのかよと言いたくなる。
しかし……彼女に心配掛けまいと言ったついでに、自分にも言い聞かせていたのは事実だ。
「変なの」
「気にしないで」
学校の靴箱も少しだけ位置が変化していた。
僕の現実でのクラスは一組、階段を上がって廊下の一番奥まで歩かなくてはならないが今は物語での颯太のクラスと同じ五組でこれまた変化していた。
階段を上がってすぐ教室に入れるのは嬉しいがね。