三ノ漆
駐車場に虫は四方から集まってきていた。
ブラウへと寄っているようだ。
「ブラウ! 止めてくれ!」
僕の言葉は届いていないのか、がっちりと耳を塞いでいて身を縮めてしまっていた。
僕は彼女の両肩を掴んで揺さ振るが、虫は一向に動きを止めず近づいてくる。
魔術師達はこの状況を把握しているかな、距離を取ってしまって把握していてもすぐには動けないか……。
ならば僕がどうにかしなきゃならない。
夕莉は直ぐに骸骨を呼び出した、いつでも逃げる事は出来る――
「逃げなきゃ……!」
けれどこの場はどうなる?
「待って、彼女にどうにか虫を退かせるから」
「でも明人、も、もう虫が……」
既に囲まれているのは分かっている、僕も内心とても焦っているけど、秘策もある。
なるべくは、彼女を言葉で冷静にさせたいけどね。
「ブラウ! 冷静になって!」
大声を出してみるも、反応は無い。
その両手を耳から離してやるか――僕はブラウの両手を掴んで引き剥がそうとするが中々彼女も力が強い。
無理にその手を引き剥がそうとすると虫が飛んできて僕の耳や鼻を噛み始めた。
「痛っ! くそっ!」
……またやるしかないか。
現状をいとも容易く解決できる方法を出し惜しみしていても仕方が無い。
夕莉が見ているけど、それも仕方が無い。
「ブラウ、虫を止めてくれ!」
一応、言葉は掛け続ける。
これで虫が退いてくれればいいけど期待はしていない。
「……やるか」
「な、何を……? もしかして、前にこの人にやった秘策?」
夕莉には秘策は教えてない、秘策がどんなものか知りたいであろう。
いつかまたブラウと対峙した時に僕が使った秘策を知っていれば対処できるからね。
でも君では無理だ、僕の秘策は男性限定。
「ま、まあね……」
じっと見られているとものすごくやりづらい、やるしかないんだけどさ。
「夕莉は、虫の様子を見ていてくれ」
「……うん」
なんとかこちらから視線を遠ざけたい。
ほんの小さな願いなのだけれど、それは叶う気配が無かった。
夕莉は周囲を見回すも、ちらちらと視線を感じる。
隙を見て、やろう。
「む、虫が飛んできたら払いのけて!」
「分かった!」
深呼吸。
後に、僕はブラウに顔を近づける。
夕莉をちらりと見ると、こちらを見ていないので僕は実行する、彼女への秘策を。
固く閉ざされた唇。
……その唇に僕は、唇を重ねた。
最初は。
最初は、固い感触だった。
虫が蠢く音や、羽虫の音が次第に止んでいく。
同時にブラウの唇が徐々に柔らかくなっていった、力が抜けてきている。
彼女の瞳が、ゆっくりと開眼。
周囲の音が、完全に沈黙。
目と目が合った。
ブラウは瞬きを二回する。
現状を理解できない故の瞬きかな。
ゆっくりと、唇を離す。
予定よりも長く続いてしまっていた。
ブラウの顔は見る見るうちに熱された鉄のように赤くなっていき、
「はわっ」
鼻から出血。
塀に凭れて、目を回して、頭を揺らして、ずりずりと背中を塀に擦りつけながらゆっくりと地面へ頭を落としていく。
周囲の虫は一斉にいなくなって、先ほどまでの光景は嘘のように平穏を貼り付けたかのようないつもの住宅街が取り戻されていた。
「ふう、一安心だ」
彼女が暴走したらこの手でいくしかないな。
何度も接吻を行うのは僕としても恥ずかしいものがあるも周囲の安全と自分の命の安全を考えるとやるしかない。
ちょっとした使命感だ。
……そう、言い聞かせる。僕はやましい気持ちで行ってなんかいないしブラウの弱点を考える時にこんな事を想像して書いたんじゃないからね、本当だよ。
「明人……」
それよりも、もう一つ問題は発生したようだ。
「今……」
見られてた?
見られてただろうなあ……。
「夕莉、これはですね……あの、えーっと……」
「前にも、それを?」
「……あの……はい。でもね、いつだって君を守るために僕はやってきたんだよっ。分かってくれるよね?」
口元は緩めてくれている、笑顔を作ってはくれている。
けれども目が全然笑っていない。
怒って骸骨を出してぶっ飛ばされるんじゃとか、不安な未来を想像するも全てが想像通りじゃないからこそ怖い。
夕莉はゆっくりと僕へ歩み寄る。
しゃがみこんで、僕に目線を合わせて、
「明人」
もう一度、僕の名前を夕莉は言う。
僕が期待しているのは「うん、私は分かってる。ありがとう」と優しく微笑んでくれる夕莉。
「馬鹿!」
現実は、僕の頬に彼女の手の平がぶち当たり、めり込み、僕の脳を揺さぶって、僕はブラウと同じ体勢にさせられた。
きつい一発……人生で初めて女性に平手打ちされたのは自分の書いた物語のヒロインでした。




