二ノ参
警戒のために、返す言葉は少ない。
「漫画? アニメ? ゲーム? 小説? ドラマ? 何気に、広く使われるようになったよね、お前は、アニメで知ってそう」
残念、僕はアニメはあまり見ない。
知ったのは小説だ。
どんな話だったかは、さておき。
それより気になる事が起きた。
彼女は、左手を動かして、何か仕掛けてくるのかと思いきやポケットに手を入れて一枚の紙を取り出したのだ。
「それは……」
酷く小さな声だったけど、彼女は僕の言葉を拾ったようで、
「ちょっと妙なものを貰って、ね」
その紙をひらひらと動かして見せてくる。
「妙なもの……?」
「原稿用紙。それによればお前ら放課後の十五時五十八分に一階への階段の真ん中から一人分左を歩いて降りて、移動魔札を設置すればここに連れてこれるって、詳しく小説の形式で書かれてたのよ」
魔術師との接触をこのような書き方をした覚えがないと思ったらどうりでだ。
原稿、彼女も手にしていたのだな。
それで物語は変化した。
「あいつが何者かは、今はいいとしよう。この原稿のおかげでお前らを容易くつれてこれて手間が省けたのだからね。疑ってはいても試してしまうのはとめられない好奇心の一つね」
原稿が何なのかは理解していないのはこちらとしても助かる。
それよりも、あいつ? 聞いていると原稿用紙を何者かから受け取った口ぶりだ。
彼女は原稿用紙を雑に折ってポケットへ。
気になる、ものすごく。
僕の場合は原稿はどこかに落ちていたり机に書かれていたりした、誰かがそうしたのだろうけど彼女は直接その人物に会って原稿を受け取ったのだ。
いつどこで受け取って、どんな奴か、詳しく聞いて何が何でも会いたい。
多分、そいつが現実をこんなにも変えてしまった人物なのだから。
しかし、今は質問したところで答えてくれそうな雰囲気でも無く、場を包む殺気によって重々しくなった空間が僕の質問は喉から出る前に雲散してしまう。
「そろそろ自己紹介でもしておこうかしら。自己紹介は大事よね、たとえ相手がこれからどうなろうと」
和やかな口調ではあるが、纏う雰囲気は肌を突き刺すような殺気が感じられた。
あれこれ質問したら刺激してしまうかもしれない、やめておこう。それに今は質問するよりも自分の身を案じなければ。
「いいや、別にいいよ。君の名前は伊波爪微影、幼い頃から魔術系の家柄故に魔術教育を受けていて、日本の魔術師協会でも注目されている若くして魔術師の称号を得た人物」
ちなみに魔術師の称号を十代で得た人物が現れたのは百年振りという設定、それほどまでに彼女は才能があり魔術師の中でも優秀な人物だ。
「……何?」
「今回は昨日ブラウとの戦闘にて会話から天元夕莉を具現の異術師と判断し、彼女の正体と能力を確認したら拘束の命令がきた。得意魔術は影の変換、影に触れて魔力を流して影を一つの生命にして攻撃する事ができる」
魔術についての彼女の設定は大体こんなものだ。
「……お前、何者? どうしてあたしの事をそこまで知ってる?」
いいぞ、困惑してくれている。
思考を巡らせてくれれば唐突に僕らを襲おうなんていう行動には転じない。
ペースを掴みたい。
「僕? 僕は人よりちょっと多くの事を知ってる一般市民だよ」
そう、何の能力も持ってないし異術師でも魔術師でもない、あえて称号を名乗るのならば学生と自信満々に名乗ってみせる。
「ちなみに、君の事なら君以上に知ってる」
「魔術師協会の人間?」
「だから、僕は一般市民だって」
木刀を持ってちょっと戦闘力が上がった一般市民。
戦闘力が上がったとはいえ、ここに戦闘力を測る機械があって調べられたらゴミと呼ばれそうなくらいの戦闘力だけどね。
「情報が漏れた……? それは、ありえないよね、なら協会の人間ではないこいつは……? 異術師?」
「あの、しつこいようだけど僕は一般市民なの!」
「明人は物知りな一般市民!」
夕莉もフォローしてくれて少し嬉しい。
「多分」
「多分ってつけなくていいよっ!」
「……物知りな一般市民、ねえ? 少なくともそいつと一緒にいるだけで一般市民とは信じがたいわ」
――そいつ、と夕莉を見る彼女の瞳は酷く冷たく感じた。
微影さんの両手に変化が起きた。
黒い刺青が指先から蛇のように伸びていく。
戦闘態勢に入ったのだ。
彼女はかがんで自身の影に触れた。
するとまるで湖に手を触れたかのように、手を中心に波紋が広がり、彼女の影がうごめき始めた。
彼女が手を離すと波紋の中心部が膨らみ始め、周囲の影が吸い込まれていって影は次第に大きくなって形を成していく。
「あ、あれは……?」
「彼女の力さ、注意して!」
僕は夕莉の手を引いて距離を取らせた。
危険、現状はその二文字。
「驚かないのね」
「当然、知ってるからね」
君がどう戦うか、僕はちゃんとこの指で登場人物の設定――戦い方にて書いた記憶がある。
しかし強気ではいたが、僕の心臓の鼓動は激しく脈動していた。
不安と恐怖で両足は震え、上手く足を動かせるか分からない。
手に持つこの木刀、通常ならばそれなりに頼りになる武器だが今では小枝を武器と名乗るくらいに頼りなく見える。
既に本来の物語の展開とは違う、どう戦ってどう撃退したかなんて頭痛を跳ね除けて思い出して実行してもおそらくは展開と同じようにはならないだろう。
この場を自力で乗り切るには、どうすればいい……?
考えろ、考えるんだ……。
「あたしはね、異術師の拘束なんてする気は無いんだ」
「異術師によって母親を殺されたから、異術師はみんな殺すつもりだから、かな?」
「……気持ち悪いくらいにあたしの事を知ってるんだなお前」
なんていったって君という登場人物を考えた張本人だからね。
彼女の事情は正直なところ、深くは考えていなかった。
何かを得させるよりも、何かを失わせればそれを利用して物語に絡めさせると展開を作りやすい。
面白いと思う展開にも化ける時がある。
異術師への憎悪、展開に絡めたかっただけ。
だから僕は物語を書く上で、彼女の母親を失わせた。
僕の身勝手な創作のせいだ。
僕のせいで彼女は悲しみ、憎悪を溜め込んでいる。
皮肉にもその憎悪のおかげで僕は危険な目に合っているが……自業自得だ。
「そうさ、だから異術師はあたしの気が済むまで殺しても構わないよねえ?」
影は彼女の憎悪を形にしたようなものへと形作られていった。
額の一角はまるで鬼、鋭い牙はまるで狼、天井に頭がつきそうなほどの巨躯、凶悪が固められてできたような影という獣。
鞭のようにしなる尻尾は空を切る音を出し、尻尾ですら当たっただけでひとたまりもなさそうな印象。
四足歩行で床を鋭い爪が音を立てて削っていた。
赤い目は僕達をじっと見ていた。
……こういうのも今思うとありきたりなものだったと、そんな事考えている暇はないのに考えてしまう。
意味も無くインパクトだけを求めて無駄に体の大きい敵を作るのもよくない、ありきたりすぎる敵はありきたりすぎるシナリオしか生まない。
僕はつくづく才能が無いな。
「魔術師協会にはさあ、天元夕莉は抵抗してあたしはすっごく苦戦したので仕方なく殺しましたと報告しておくよ。おっと、生徒が一人巻き添えをくらって異術師によって殺されたとつけたしておかなくちゃ」
僕は後方を見て逃げ道を探そうとしたが、それは無駄な事だった。
ここから出られないのは、分かっている。
彼女をどうにかしないかぎり出られない、逃げ道を探したところで御札によって阻まれている。
「ゆっくりでいい、追い詰めて痛めつけて動けなくしたら、一度あたしに教えに来い。殺すのはその時よ」
獣は頷いた。
逆立つ毛は僕らへの敵意。
夕莉は戦おうと決めたのか、木刀をもう一本具現して両手で持った。
でも、その姿勢は素人そのもの。
戦う覚悟は昔からしていた、しかし戦うのは実際初めてなのだ。
ブラウとの戦いでも彼女はうまく動けずにいた、戦闘となるとどうしていいのか分からないからだ。
何でもいいから武器を、と考えての具現であろう。
「ははっ、それが噂の具現の力? 強そうな武器を出すわね、過激な奴だわ、怖い怖い」
「むむむ……」
夕莉はからかわれたのがよほど腹が立ったのか、眉間に深いしわを刻んで木刀を消し、新たに具現しようとした。
手の平から出現した光は木刀の比じゃないくらいに大きい、ドラム缶? それくらいの大きさで、形も似ていた。
更にその形の横中心部から棒状のものが出現して、彼女は棒を両手で持った。
巨大ハンマー、まさにそれ。
「お、落ち着いて!」
武器がどれほど強力であっても扱えなければ意味が無い。
現に、両手で持ったはいいが重みに体重が持っていかれて夕莉はハンマーを床に落とした。
「あわわっ……」
カッとなった結果がこれだ、見ていられない。
「異術師ってのは非現実な事を簡単にやってのけるからすごいものねえ、それであって怖いものよねえ。ほんと、一人残らず死んだほうがいい」
彼女は近くに倒れていた壊れかけの椅子を立てて座っても壊れないのを手で押して確認する。
座れると判断してそれに腰掛け、本を開いて足を組み、指を弾いた。
その音を聞いて、獣はゆっくりと動き出した。
「時間は十分に掛けないとね、なんていったって抵抗してきて苦戦して、拘束なんて無理だと仕方なくあたしは君達を殺すのだから。なるべく抵抗して頂戴」
彼女は既に上への報告をまとめているらしい。
「表情に陰りが見られるけど、大丈夫? 朗読でもしてあげましょうか? 小説は落ち着くわよ」
勝ちも確信している、自分に有利な状況が出来上がっているからだ。
「逃げよう!」
唯一現状で、最も賢いと思われる行動。
夕莉を連れて僕は全力で走った。
あの獣は大きい――大きすぎる、だから追いかけてはくるも角を曲がる時は体が突っかかっていた。
旧校舎、その構造は分からないが階段を使って一階から二階へ、廊下を走って階段を見つけたら二階から一階へという一周できる構造ではあるはず。
ただそうしたところで僕達は体力を失うだけで、自分を追い込んでしまう。
戦う、しかない。
でも、どうやって?
僕は廊下を走りながら、一瞬だけ後ろを振り返った。
角を曲がり始めたあの獣は太い両手で壁に爪を立ててこちらを見ていた。
酷く、恐ろしかった。
目が合った気がした、それだけで僕は足の力が抜けそうになる。
「明人!」
彼女が咄嗟に支えてくれなければ転んでいただろう、そのまま獣に捕らえられていただろう。
「ありがとう……」
「どう、しよう……!?」
どうする?
やはり獣を出現させた本人、使い手を叩かなくてはならない?
彼女の弱点は? 僕は設定を必死に思い出そうと脳みそをフル回転させた。
微影さんは自身が狙われる可能性も考慮して戦闘技術や鍛錬は怠っていない、僕が木刀で襲い掛かっても彼女は木刀をかわして撃退できるだろう。
獣に関してはあの巨躯、弱点という弱点も特に無く、影だからといって光で消せるものではない。影から固体へと魔術によって変換しているのだ。
……完璧な魔術に完璧な魔術師、それが彼女だ。
厄介な敵を作ってしまった、本当に。
しかし、何か手はあるはずだ。
物語ではどうやって逃げた? 彼女から逃げ延びる方法は絶対にある、撃退できる方法も絶対にある。
僕は主人公が敵に襲われた時は必ず活路を用意して書いていた。
物語の展開を思い出せればいいのだけど……思い出せない。
設定なら思い出せる、そこから弱点を見つければ、きっと――
「――明人!」
「えっ?」
油断、していた。
振り返った時、まだ曲がり始めていたし距離は十分だと思っていた。
曲がり終えてからの廊下は直線、狭くとも獣が自身の脚力を発揮するには十分な空間だ。
バキン、と廊下の床が砕ける音がした。