1話
「や、どうやら先客がいるね」
少女は呟いた。水瓶を両手で抱えながら、水辺に横たわる少年を視認する。
もうじき夕方だ。日が沈めば気温も冷え込んでくる。こんな所で長居するようなら風邪を引いてしまうだろう。
親切心。
少年に声を掛けるべく、少女は歩を進めた。
「こんなところで寝てると危ないぞっと。寝てるのかい?」
声を掛けても返事が無いことから、この少年は寝ているのだと判断した。
しかし、その姿を見て絶句する。
「あやややや……厄介事ですかねー……」
少年は見慣れぬ薄手の生地の服を着ている。全身は土と泥に塗れ所々破れていた。
寝ているというよりも、意識が無いと言った方が正解だろう。
そして何より、
「生命力がほとんど抜け落ちてる……まずいね」
彼の顔色から生気が抜け、青白くなっている。
「よいしょ……一先ず水辺から離してみようか、っと」
周囲に障害物は無いが、不用意に体温を下げる必要も無いだろう。少年の両手を掴んでずるずると引き摺った。
「さて、と」
移動させたのはいいが、医療の心得もなく、特別な手法も知らない。
「どうしようね……」
とりあえず、彼の傍らに腰掛けた。
まだ日が沈むには幾分猶予がある。
正直なところ、彼を助ける理由も何も無い。まぁ放っておくのもなんだか悪いし、そうする度胸も無い。かといって何かを施せる知識もない。よって少女に出来ることはせいぜい見守り、声を掛けることくらいだった。
彼は仰向けの状態で意識が無い。呼吸も浅くほとんど聞こえない。
なんとなく手持ち無沙汰になって彼の顔や頭についている土をなるべく刺激を与えないよう優しく払った。
歳も自分と同じくらいだろうか?印象としてはそれくらいだった。
「死んじゃダメだよ。なんにもなくなっちゃう」
彼の額に手を置いて少女は彼に呼びかけた。
「キミはどこからきたのかな?」「その怪我どうしたの?」
返事の無い話し相手に少女はため息を吐きたくなった。
少年の意識は戻らない。
それから少し時間がたった。
少女が目を瞑り彼の意識の帰還を待っていた時だった。不意に目を開けると彼のそばにひょっこりとある物体が動いていた。
「せ、精霊!?」
精霊が彼の右手に小さな両手を乗せ、今にも泣きそうな顔をする。少女と精霊の目が合うと、精霊は心配そうに首をかしげた。
(精霊なんて滅多に人の近くに来ないはずなのに……)
「大丈夫だよ。きっとね」
少女は精霊に笑いかけた。
「キミも応援してあげてよ」
自信も根拠も無かった。だから精霊に怖がられないよう優しく少女は微笑んだ。
精霊はそんな少女に微笑み返す。
おそらく少女の笑みに反応しただけだろう。それでもお互いにある種の一体感が生まれた。
それからまた時間がたった。
夕日が沈む。
それからだった。
「あやー。これはどうしたことかな」
少女はやや呆れ顔でそう言った。
精霊の数が増えていた。
それも一体や二体ではなく、数十にも及んでいる。
少年の周囲を覆うように、また、湖の上を飛び回るように。
その精霊の固体は穏やかな光を放ち、僅かに熱を持っているようだった。
陽が落ちたのにも関わらずここは日中のように暖かい。
それはさながら幻想。
少女はいままで見たことの無い風景に目を奪われた。
意識が少年から僅かに外れた為、再び少年に目を向ける。
「ん……」
彼の意識が覚醒に向かっていた。
「や、運がいいね。こんな風景滅多に見られないよ?」
少年には生気が戻っている。精霊のおかげだろうか。
ようやく少年は目を開ける。
また異世界だ、と少年は思った。
しかし、これは――
「きれい……」
体を起し第一声。
彼の見た風景。
それは沢山の輝く小人に囲まれ、その中心で穏やかに微笑む少女の姿だった。
僕は死んで、きっと女神様がこの風景を見せてくれているのだ、と少年はぼんやり考えた。
「これは、夢?」
「夢じゃないよ。たぶん現実。ね、すごいでしょ」
「げんじ、つ?」
ああ、そうか。
これは現実なんだ。
目が覚めたら、僕は元の場所に戻っている、そんな事を淡く期待していた。
きっとこの先何度目が覚めても、僕はこの世界に覚醒するだろう。
認識、諦め、覚悟、絶望、僕は何を感じればいいのだろう。
もう、わけわからん。
だから一先ずはこの風景を目に焼き付けようと思った。
この優しい光と、その中心の少女。その美しい光景。
自然と涙がこぼれた。
今はこれでいい。
「なんで泣くの?」
少女は不思議そうに声を掛けた。
「さぁなんでだろうね?」
泣きながら、けれども笑いながら少年は言った。
こうして少年は少女と出会った。
これから何度も旅をする。今日この日出会った彼女と。
この出会いに名前はなく、この旅に名前はない。
だから二人が出会ったこの森の名前を記しておこう。
この森の名は”マキナの森”