さらば、初恋。
高校卒業の一週間前。私はフラれた。
『ごめん。俺、お前のことそんな風に思えない』
メールでの告白。
五年越しの恋は、ものの五分後の返信で打ち砕かれた。
奴、三島健一は、私、原田菜々の、初恋の相手だった。
三島は、中一から高二まで、同じクラスで、やたらと私と縁があった。同じ委員だったり、部活が同じバスケで、キャプテンをやってたり。いわゆる腐れ縁だった。
『また原田と一緒かよ〜』
『それはこっちのセリフ! 私の行く先行く先に現れないでよね!』
『誰がするかよ』
そんなやりとりが、しょっちゅうだった。
なんていうか、喋る時はほぼ毎回喧嘩腰で(私が一方的にだけど)色んな言い合いがほとんどだったけど、それだけじゃなかった。ちゃんとまともな話もすることがあって、中でも一番覚えてるのは、中二の夏休み、部活帰りにたまたま一緒になって、話してた時のこと。
『なんっかさぁ、いいよね、男子は。ちゃんと部活できててさ』
先輩が引退して、私がキャプテンになりたてだった頃、私は色々思うところがあって、三島にそうやってこぼしてた。
『何で。女子だって部活やってんじゃん』
『そうじゃなくてさ。なんていうか、みんな覇気がなくなったっていうか…部活に対して淡泊になってるところあるんだよね。部活をしたくてやってるっていうんじゃなくて、単に部活が予定にあるから来てやってるっていうの?』
『なるほど。やってるってより、やらされてる。みたいな感じか』
『そう! まさにそれ! 先生が居ない時なんか、手抜きまくってんの。特に二年。それが一年にまで伝染してきてんの。注意しても、その場だけですぐにだらけるし…』
『分かる分かる。確かに上がしっかりしてないと、下はもっと手を抜くよな。注意したらしたで、先輩達だってやってないじゃないですか〜。とか言いやがるんだよな』
『そうなんだよね…だから注意しづらいし…』
『しづらいって…それじゃだめだろ』
三島はその時いきなり怒ったような口調になった。
『原田がそんなこと言ってどうすんだよ。お前がキャプテンなんだろ。お前が言わなくて誰が言って聞くんだよ』
『キャプテンだからって偉そうにしていいわけないじゃん』
その時私は、誰にも言えないでため込んでたものを三島に言ってた。
不安とか、苛立ちとか、自分のやり切れなさを、三島に吐き出していた。
『…俺は、そんなん気にしてねぇよ。だから部員には思ったことちゃんと言ってるし』
『…男子と女子は違うんだよ』
『違わねぇよ。俺は、自分が間違ってると思わねえから言ってんだ。原田だって何も間違ってないだろ。ちゃんと部活したいって思うのは当たり前のことだ。それを言わねえと何にもなんねえよ。…何も言わないで分かってくれなんて都合よすぎるぞ』
『分かってるよ。でも…なんか言ってそれで反感買ったらそれこそ部活できなくなるし』
『だからってこのままでいいのか? 何も言わないでウジウジしたまま続けていいのか?』
『…よくないよ。でも、どう言えばいいか分かんないし…』
『思ったまま言えばいいんだよ。原田が嫌だと思うこととか、どうしたいのかとか…ちゃんと伝えようとすれば伝わるよ』
『…うん』
それでも、私には自信がなかった。
『何だよ、らしくねぇなぁ。お前はいつも女のくせに俺に食いかかって来んじゃねえか。その勢いはどうしたよ?』
『ひどっ! 私だってねぇ、女の子なの! 人並みに悩んで落ち込むことだってあるんだからね!』
『そうそう。それでこそいつもの原田だ』
三島は、満足そうに言った。
『心配すんな。原田は何も間違ってない。もし、お前が全部ぶつけてだめだったら、特別に男子の方で受け入れてやるからよ』
その時の三島の言葉が、泣いてしまいそうになるくらい嬉しくて、心強かった。
三島のおかげで、私は皆に思ってることが言えて、みんな、すぐに分かってくれた。初めからこうすればよかったんだってくらい、あっさりと。
あの時から、私は三島にだけ、本音で、素の自分を見せられるようになった。そして、それまで男の子になんか全く興味なかったのに、三島のことが、好きになった。
高三になって、初めてクラスが離れて、部活も引退して、三島と話す機会が少なくなった。しかも、久しぶりに話した会話の内容は、スポーツ推薦で地方の大学に受かったということだった。
卒業したらもう本当に離れ離れになる。だから、悩みに悩み抜いて、最後に三島に告白した。
分かってた。どうなるかなんて、考えるまでもなかった。あいつが私のことを、女として見てるはずなかったんだから。
でも、思った以上にショックだった。
結果は分かってたはずなのに…
あの後、メールの返信に対して
「そっか。わかった。あんまり気にしないで! 伝えたかっただけだから。これからもいい友達でいようね!」
って、返そうとしたけど、送信ボタンが押せなくて、そのままだ。
学校でも顔を合わせないように、警戒しながら一週間を過ごして、ついに、卒業の日を迎えた。
「先輩! 卒業おめでとうございまーす!」
卒業式が終わって、部室前で女子バスケ部が集まって、後輩から花束や色紙、プレゼントをもらった。
「ありがとー! また遊びに来るからね」
「はい!あ、先輩達、春休みに皆でどこかで先輩たちのパーティーしようって話してたんですよ」
「あ、いいね! しよしよ! もちろん奢りだよね?」
「え!? それはちょっと…」
「あははっ! 冗談だって」
後輩達と雑談をしながら、高校時代最後の時間をかみしめていた。それは、他の部も一緒で、部室前には、かなりたくさんの生徒がいた。
その中には、男子バスケの奴の姿も……
でも、私は見ないようにした。
「ねぇ、菜々。いいの? このままで」
そろそろ行こうかとしてた時、同じバスケ部で副キャプテンをやってた優に言われた。
「え? 何が?」
「三島のこと!」
優にだけは、私が三島を好きだってことを話してた。もちろん、告白してフラれたってことも。
「あんた、ずっとあからさまに三島のこと避けて…全然喋ってもないんでしょ? いいの? 卒業したらもう会えないかもしれないんだよ」
「…分かってるよ。でもいいの。私は言うだけのことは言ったの。だから、もういい」
『初恋は実らない』
そういうのは知ってたし、私の恋も、そのセオリー通りになっただけ。
それに、言えずに終わったよりはよかった気がする。これで心置きなく、次に進めるから。
「菜々さぁ…三島に告るかどうか悩んでた時、言ってたよね。『どうせ断られるんだし、それなら何も言わないで今のままの方がいい』って。それでもちゃんと言ったんでしょ? なのにこのままだったら本当に前みたいに戻れなくなるよ。それでいいの?」
優は痛いところを突いてくる。
そうだ。私は、三島に告白したら、私たちの今までの関係が崩れるかもしれないと思って、それは嫌だと思ったのに、三島に告白した。どうせだめだと分かってて、それでも言った。
実際、このままだと、もう三島と話すことはないと思う。
「そりゃあさ…正直なところ嫌だけど、今更戻るなんて無理じゃん。だから、いいよ。このまま会わない方が、すんなり忘れられるだろうし」
「…三島は嫌だと思うよ」
優は神妙に言った。
「三島は菜々の気持ちにちゃんと正直に応えてくれたんじゃん。それなのに菜々がそれだったら三島に対して失礼だよ。今のままでどうしたらいいのか分からないのは、三島の方だよ。ちゃんと三島の気持ちも考えなよ」
三島の気持ち……
三島は、多分、私のことを女友達とか…もしかしたら、単に中学からの同級生で腐れ縁の奴としか思ってなかったと思う。そんな奴にいきなり、ずっと好きだったとか言われたら、三島だって、どうしたらいいのか分からないよね…。もしかしたら、三島に変に気に病ませてるかもしれない…
「…そうだよね。私が、ちゃんとしないといけないんだよね。…うん。私、ちゃんと三島に話してみるよ」
私がちゃんと白黒つけよう。フラれたけど、せめて今までみたいに何でも言い合える仲でいたい。友達だって、構わないから。
「うん。頑張れ!」
優は、力強く言ってくれた。
うん!頑張ろう!
私は、男子バスケ部が集まっている場所へ行った。三島は、一番背が高いからすぐ分かる。
「みっ…三島っ!」
三島を呼ぶ、その三文字の声が震えた。こんなのは、初めてだった。
三島はすぐにこっちを向いた。
「…原田」
私を見て、三島は驚いたような、何にしても、見たことのない顔をしていた。
「あの…その……は、話があるんだけど………」
やばい…いざ何言えばいいのか分からない…。
「えっと…」
言葉が、出てこないっ!
「ごめんっ!」
私は、耐えられなくて、その場から、走って逃げてしまった。
ああもうっ! 何してんの私! 何逃げてんの! でも、今更何を言っていいのか分かんないんだよ!
私は走りながら、自分に対する叱咤と言い訳を繰り返していた。
「…田! …原田!」
後ろから、声がした。振り返ると、三島が走って追い掛けてきていた。
「なっ…何で追い掛けてくんの!」
私は走りながら叫んだ。
「原田が逃げるからだろ!」
三島も後ろから叫んできた。
「逃げるから追い掛けるなんて、あんたは熊か! ていうか逃げてないし!」
「逃げてないなら止まれよ!」
「やだっ!」
「…っんのヤロッ!」
三島は、どんどん距離を詰めてきて、私の真後ろについた。
「ちょっとっ…こっち来んなバカ!」
「お前にだけは…言われたくねぇって…の!」
三島が私の腕を掴んだ。いきなり後ろに引っ張られて、転びそうになるのを必死に堪えた。
「…放せっ! バカ!」
私は、三島の手を振り解こうとした。
「だから、お前には、言われたく…ねえ…」
走ったせいで、三島は前屈みになって、息を乱していた。私も、いきなり止まったせいで心臓がバクバクしている。
やみくもに走って立ち止まったそこは、裏庭だった。誰もいなくて、静かだった。
お互いに暫く何も言わないまま、呼吸を整えていた。そして、三島が私の腕を放して、体を上げた。
「俺も、お前に言いたいことがあったんだよ」
手の甲で額の汗を拭いながら、三島が言った。
「あのメール…なんか…いきなりで、どうしたらいいのか分かんなかった」
やっぱり、そのこと…。
「いいよ! そんなの気にしないで。もう、忘れていいから」
今ここでまたフラれるなんて、冗談じゃない。
「忘れられるかよ!」
「え…?」
三島の言葉に、私は面食らった。
「俺、お前が俺のことそういう風に思ってたなんて考えもしなかったし、全然気付かなかった
し…」
…そりゃ、気付かれないようにしてたし。いくら三島の前では言いたいことが言えるっていっても、こればっかりは隠してきたんだよ。
「お前が俺のことを、って知って、色々想像してみたんだ。…そしたら…」
そしたら…?
「全っ然想像できん!」
三島はやたらと力を込めて言った。そして私はやたらと強く頭をブン殴られたような衝撃を食らった。
神様…懺悔致します。今、私は少し期待しておりました。漫画でよくあるような大どんでん返しが起こるのかと、少し浮かれていました。
実際そんなこと、あるはずごさいませんもんねっ!
「なんていうか、もし、俺と原田が付き合うことになったら、デートしたり手繋いだりとか…お前とはそういうの全く想像できねぇ!」
そこまで言ってくれちゃいますか…
「悪かったなぁ! 私だってそんなの想像できないし、したくもないし!」
「…何だよそれ。矛盾してんぞ」
「そうだよ! 矛盾してるよ! でも…それでも私はあんたのことが好きだったの! しょうがないでしょ!」
私は、勢いで初めて面と向かって、三島に好きだと言ってしまった。
ものすごく、死ぬほど恥ずかしいっっ!
「お前…そんなこと言う奴だったか…?」
ぽかんとした様子で、三島は言った。それがかなりムカついた。
「あんたはっ……人の傷口えぐって塩擦り込むようなことばっか言うな! それだからずっと彼女ができないんだよ!」
「はぁ!? そんなのお前だって一緒だろ! つうかお前なんかそのずっと彼女いなかった奴にフラれてんだろ!」
「あんたが言うな! あんたは私にそう言える立場じゃないっつうの!」
「…そりゃ…そうか…」
三島が妙に納得したような様子で言った。ものすごく間抜けな顔で、それにも何だかムカついた。でも、もうバカバカしくなって、私は何も言わなかった。
「…………ぶっ!」
暫く黙ったと思ったら、三島はいきなり吹き出した。
「な…何………」
「…くくっ…くくくくっ……」
三島は、顔を背けて、肩を震わせて、笑いを堪えるようにしながら、笑い始めた。
「何!? 今の笑うところじゃないでしょっ!」
私は、三島のその態度にまた怒りを爆発しそうになった。
「わ…悪いっ……何かさ、やっぱ原田とは…こうでないとなって、思ってさ…」
笑いを鎮めながら、三島は言った。
「え…?」
意味が分からず、私は顔をしかめた。
三島は、咳払いを一つして、真剣な顔になる。
「原田……俺はさ、お前のこと、俺が一番気を許せる奴だと思ってる。でも、それは、女として好きとか…そういう風じゃなくて、その…何つうか…人としてっ! っていうかさ…」
三島は、しどろもどろというか、必死に言葉を探すように話していた。
「付き合うとか…そういう風になると、男と女じゃん。俺は、原田とは、そういう別もんじゃなくて、対等にいられる方がいいんだ。今までそんな感じで、すっげぇ楽しかったし……だからこれからもさ、そういうのでいたいんだよ。何でも言い合える親友みたいな関係でいたいんだよ」
…三島のバカヤロー……
「…て、ことは何?やっぱり私はあんたにとって女として見えてなくて、それどころか同じ男として見てたってわけ?」
悔しい…
「なっ…違うって! だから、人としてだっての!」
悔しいよ…
「分かってるよ。ていうか、もしそこで人としてじゃなくて、何か別の動物だったら、さすがにキレるけどっ」
私は、その時の気持ちを誤魔化すように、冗談を言った。
「だから、それでいいからさ…私を『親友みたい』じゃなくて、ちゃんとあんたの『親友』として扱ってよ…。じゃないと、私は、中途半端なままじゃん」
「…お…おお!当たり前だ!」
三島は、はっきりと言ってくれた。
本当に、悔しいよ…。
中学から一緒だったのに、一度も女だと思われなかったってことと、振り向かせることができなかったってことも、そうだけど…
でも、何より悔しいのは、私は、三島のそういう、変にいい奴なところが好きだったんだよ…。フラれてからもそういう風に思うなんて…。
「…うん。三島は、私の親友だよ!今まで通りねっ!」
私も、力を込めて言った。
これは口に出して言えないけど、多分、まだ暫くは三島のことを好きだと思う。五年も続いた気持ちをふっきるのは、そう簡単にできないから…。
でも、それぐらい許してよねっ、親友!
「戻ろう、三島。私ら三年でこれからカラオケ行こうって言ってたんだ」
「ああ、俺らも部員でメシ食いに行くんだ」
部室前に戻りながら、私たちは取り留めのない会話をしていた。以前と何ら変わりない調子で、言いたいことを言って言い返して…。フラれた女とフった男だとは思えないくらいだった。
こうして接することができるのは、相手が三島だったからだと思う。
「あれ…」
部室前に戻ってきたら、生徒は皆帰ってしまったようで、男女ともバスケ部の部員はいなかった。
「もしかして、置いてかれた?」
私はそう言いながらスカートのポケットの中の携帯を出した。メールが来てる。優からだ。
『時間かかるみたいだから、先行ってるからね。ちゃんと話つけてからおいでよ!』
優には、一番にお礼を言わないといけない。優に背中押してもらわなかったら、きっとあのまま終わってた。
本当にありがとう。優…
「あっ!」
自分の携帯を見た三島が声を上げた。
「あいつらっ! 三時までに来なかったら俺の奢りだって…勝手に決めてんじゃねえよ!」
一人でそんなことを叫んでいる。時間を見てみると、もう二時半を過ぎていた。三十分弱で行ける場所なんだろうか…。
「じゃあ俺行くな!」
三島は、慌ただしく鞄を持って、走っていく。
「じゃあな、原田!」
振り向きざまにそう言って、三島は私から離れていく。
「…三島っ!」
私は、その背中に叫んだ。三島は、足を止めて振り返った。
「またねっ!三島!」
もしかしたら、もう会えないなんてことのないように、私は叫んだ。
「次に会った時に、私が今より可愛くなって、美人になって、あんた好みの女になってても…私をフったこと、後悔すんなよ!」
今、私はちゃんと笑えてると思う。初恋の相手が、三島でよかった。
「…そういうことは、実際なってから言えよなっ! つうか、そう言うならなってみせろよ!」
三島も笑いながら返してくれた。
「またな! 原田。頑張れよ!」
三島は、手をあげて最後にそう叫んで、走って行った。
またな、親友。さらば、初恋。
ここまで読んで下さり、ありがとうございます。短編に挑戦してみました。私の過去の経験も踏まえてできた作品です。(ノンフィクションというわけではありませんが。)何か感想を頂けたら嬉しいです。