プロローグ
岩だらけの足場の悪い所だった。
俺は白銀の甲冑を身に付け、女性の肖像がエングレービングされた盾を左手に持ち、優美に沿った剣を腰に下げている。
装備に身を固めた姿でファンタジーの世界にいながら、俺は眼鏡を掛けていた。
綺麗な生地を使用したセルフレームが特徴的な、おしゃれな眼鏡だった。
自分自身かなり気に入ってて、現実世界でも同じものを使用している。
ブランドのオリジナルデータを流用したもので、電子シリアルナンバーが入ったデータを購入すれば、ゲーム内でも使用が可能なのはSNSのアバターと同じだ。
仮想現実に不可能はない。
情報集めを中心に、平原や森を徘徊する<エネミー>と呼ばれる怪物を狩り、戦闘という刺激的遊びに今日興じながら、レベル上げとアイテム収集の最中だった。
岩場の影に一人の魔術師風の男の姿を確認した時、周辺急激に緊張を増し、圧迫感が強くなる。
バトルフィールドの展開――他プレイヤーとの戦闘状態に入っていた。
今回から導入されたプレイヤー同士とのバトルである。
バトル開始時と共に、相手プレイヤーのデータが開示される。
名前は<隼人>、属性は<混沌>、職業は<高位魔術師>だった。
もちろん、これだけで相手の力量を推し量ることはできない。
ゲーム内において、プレイヤーはランク付けされている。
戦歴やレベル、そして脳力値などが算定され、Eクラスから最上クラスであるSAクラスの6段階まで存在する。
だが、戦闘開始時にランキングが開示されることは無い。
バトル終了時に判明するようになっている。
「……法側の聖職騎士かよ」
高位魔術師のプレイヤーは俺のデータを確認したのか、そう言った。
俺の属性は<法>側、職業は<聖職騎士>だ。
聖職騎士――僧侶系の回復魔法を駆使し、戦士と同等の能力を持つ上級職である。
魔法所有者に足りうる知力や回復魔法を使用するための信仰力を持つ一方で、身体面的な能力も高く、さまざまな武器を使いこなすバランスのいい職業である。
アンデットに有効な魔法剣を体得し、一撃で葬り去るクリティカルヒットすらも繰り出す剣技を身につけることも不可能ではない。
レベルが上がるのが遅いのが玉に傷だが、それを補い余りあるほど能力を持つ職業である。
「高位魔術師か。<混沌側>の――」
俺の言葉に魔術師の顔には笑みが浮かんでいた。
高位魔術師――一般職である魔術師のさらに上の職業である。
魔術師――魔法戦の主役であり、攻撃魔法を筆頭に数々の補助魔法を駆使するRPGの影の主役といっても過言ではない職業である。
魔力という資源を消費することで、一瞬にして敵を殲滅するだけの攻撃力を発現する。
冒険において魔法は重要性が高いのは言うまでもないだろう。
知力や魔力のような精神面的資源が高い一方、体力や耐久力などの身体的資源が低いという特徴を持つ。
高位魔術師は魔術師以上の強力な魔法を身につけることのできる職業で、呪物や魔法の道具などのレアアイテムを得ることで、<シークレット魔法>と呼ばれるより強力な魔法を体得できる魔法所有者系上級職だ。
さらに、今回はいくつか魔法が追加されている。
また属性が<混沌>であるならば、混沌側特有の魔法もあるらしい。
一人ではあまり戦いたくない人種である。
どちらも転職を経なければ、就く事はできない上級職である。
データと共に俺の名前も相手に伝わっている。
ゲーム内ではそこそこの有名人である俺に、相手は警戒するだろうことは予想できた。
しかし、目の前の敵は意外な言葉を漏らした。
「……いいカモだな」
魔術師は鼻で笑い、吐き捨てるように言った。
眼が点になる思いだった。
俺の名前を知り、怯むどころかカモ呼ばわりだ。
苦笑するしかなかった。
それなりに有名だと思っていたが、まだまだらしい。
「……何笑ってんだ? 眼鏡なんかかけやがって。キザ野郎が……」
俺の態度が癇に障ったのか、敵意をむき出しにした。
初対面の相手プレイヤーに対しての尊敬や畏怖も無い。
どうやら戦闘は避けられないらしい。
マナーも育ちもあまり良くなさそうだ。
こういう輩とは言葉を交わすのも御免こうむりたい。
先手必勝、さっさと終わらせるに限る。
俺はバトルフィールド内の属性を確認する。
現在の状況は<中立>である。
法側にとっても混沌側にとっても条件は同じだ。
俺は剣の柄に手を掛けながら、様子を伺っていた。
相手とは距離があり、足場も悪い。
魔法のような長距離攻撃を得意とする職業ならば、確かに優位だろう。
魔術師は炎を発生させた。
相手からの先制攻撃――向こうから仕掛けてきた。
中規模範囲の中レベルの攻撃魔法だった。
周りが火に包まれる中、俺はとっさに駆け出す。剣を鞘走らせ、抜くと魔術師を斬りつける。
躊躇はなかった。
遠慮すればこっちがやられる。
だが、寸でのところで俺の剣をよけると、魔術師は突然浮かび上がった。
「残念!」
魔術師はあざけるように言った。
空中浮遊の魔法だった。
俺が今、最も欲しているスキルの一つである。
「お前の攻撃なんか喰らうかよ!!」
さらに魔術師は野次を飛ばす。
空中浮遊というスキルを得ているのか高位魔術師は調子図いていた。
俺は空を飛ぶ魔法やスキルは、まだ身につけていない。
確かに、その時点でかなり不利だ。
魔術師は手を前に構えると、炎が出現した。
「じゃあ、せいぜいランキングを上げさせてもらうぜ!」
他人をいたぶることが好きな、プレイヤーキリングに喜びを覚えるような下衆らしい。 魔術師は再び炎を放つ。
中レベルの火球の魔法だった。
先ほどとは攻撃範囲の違う単体向けの魔法だ。
まともに食らうと大ダメージは必至であるが、俺は火球をすっとかわす。
そもそもこの程度の魔法ならば、防具の加護によりびくともしない。
俺が身につけている聖皇の鎧はA級アイテムで、魔法耐久力は高く、クリティカル率を下げ、さらにヒーリング効果まで齎す。
高位魔術師はすぐに次の魔法に入っていた。
次に放ってきたのは魔法の矢だった。
魔法により生み出された光の矢が、俺めがけて飛来するが、またしても簡単に回避した。 魔法の制御も甘く、精度もあまり高くは無いようだ。
「避けんてんじゃねえよ!! ザコ野郎の分際で……!!」
敵プレイヤーは顔を真っ赤にしながら、叫んでいた。
魔法がうまく当たらず、熱くなり、焦りも生まれている。
シューティングで敵を仕留められるほど、このゲームはそんなに容易くはない。
この程度の実力で、よく上級職に転職できたものだ。
難しい相手ではないと俺は看破した。
魔術師は両手を挙げ、更なる魔法の魔法の行使に入った。
強力な魔法であるのは間違いないようだが、手際が悪いのか時間が掛かっていた。
俺自身、これ以上関わるのも面倒になっていた。
スキルジョブである魔法剣で一気に決めようとした時、突然、フィールドが闇に包まれていった。
「属性が変わる……!?」
俺は思わず声を上げていた。
法と混沌のバランスが入れ替わり、バトルフィールドの属性が一気に混沌側寄りになっていく。
「ギャハハハ! ツイてねーな!!」
魔術師は下品な笑い声を上げた。
まったくもって品素がない。
「混沌の力が高まってんぞ!!」
高位魔術師は嬉しそうに叫んだ。
よく咆える男だ。
「……おいおいマジかよ。こんな魔法も使っていいのかよ!?」
属性変化により、敵プレイヤーが高等スキルを一時的に使用可能となったようだ。
魔術師は明らかに興奮している。
莫迦を調子づかせると碌な事がない、典型例だった。
勢いづくプレイヤーを、俺は冷ややかに見ていた。
「……スカしてんじゃねえよ。本当ムカつく野郎だな。今すぐ殺してやるからな………!!」
そう言う高位魔術士の前で光の魔方陣が浮かび上がる。
召喚魔法だった。
召喚魔法――魔術師系魔法に追加された新魔法である。
高レベルの魔法で、相手の技倆に合わせて強力なエネミーを出現させることができる。
本来であれば奴程度のプレイヤーには使用できない上級魔法のはずである。
獣のような咆哮と共に、魔方陣から何かが出現してきた。
魔術師が呼び出したのは、<バルバロイジャイアント>だった。
バルバロイジャイアントは巨人系のエネミーで、攻撃力耐久力はもとより、魔法抵抗力も高い。
肉弾戦系の職業でなければ、苦戦は確実である。
「はーい、死亡確定……!!」
魔術師はおどけるように言う。
腰布を巻いただけの半裸姿の巨人は、棍棒を振るい、俺に攻撃を仕掛けてきた。
まともに喰らえば、致命傷は必至である。
しかし――。
「何!?」
魔術師が驚きの声を上げる。
俺の周りに半球状の力場が形成され、攻撃を防いでいた。
「まさか、アブソリュートディフェンス……!?」
俺は口の端が緩むのを感じだ。
魔術師の言う通り、俺はアブソリュートディフェンスを展開した。
アブソリュートディフェンス――物理攻撃はもちろん、魔法攻撃を軽減させる効果を持ち、スキル使用者自身から仲間全体にまで広げることができる、聖職騎士の特殊技能である。
聖皇の武具シリーズの一つ、<聖皇の盾>が持ちうる追加スロットにして、聖職騎士特有のジョブスキルである。
聖皇の盾は聖皇の武具シリーズの中でも、もっとも出現率の低いレアアイテムである。
俺が装備していたのはまさにその聖皇の肖像盾だった。
ダメージは極めて軽微だった。
不可視の壁でエネミーを撥ね退けると、俺はさらに魔法剣の行使に入る。
魔力はもとより、あらゆる力の根源たる資源が消費される感覚が身体に広がると共に、別の力が剣を中心に宿っていた。
「<アセンション・ブレード>でどうにかなるかよ!」
魔術師は負け惜しみのように毒づく。
アセンション・ブレード――アンデット系エネミーを一撃で葬り去る聖職騎士の魔法剣である。
もちろん違う――俺が使用しようとしているのは別の魔法剣だった。
再びバルバロイジャイアントが棍棒を掲げ、再び迫っていた。
魔法剣の準備が整うと、俺はエネミーに向って、その場で剣を振り下ろし、魔法剣を放っていた。
斬線の軌跡に沿い、バトルフィールドに空間断層現象が起こっていた。。
空間断層の刃は巨人を一刀両断する。
切り裂かれた巨人は一瞬にして、砕け散った。
魔法剣は一撃でエネミーを葬りさるほどの威力を叩き出していた。
いわゆるクリティカルヒットである。
「<ディメンジョンブレード>……だと?」
魔術師の言葉通り、俺は<ディメンジョン・ブレード>を振るっていた。
ディメンジョンブレード――空間断裂の刃を発生する特殊スキルである。
中距離から長距離へと攻撃範囲を自在に変えることができる上に、魔法耐久力のある敵にも大ダメージを与えることができる最高峰クラスの無敵の魔法剣である。
突然、魔術師は空中魔法の制御を乱し、落下した。
召喚魔法のリスク――エネミーのダメージが跳ね返り、その反動をまともに喰らったのだろう。
魔術師はそのまま地面に叩きつけられ、大きくバウンドする。
予想以上の強力な攻撃を繰り出され、刻まれた精神的ダメージが、魔術師を次への行動へ移ることを阻んでいた。
絶好のチャンスを、俺は見逃さなかった。
俺は一気に距離を詰めると、魔術師に剣を突きたてた。
「何故、聖職騎士がその技を……?」
剣に貫かれながら、魔術師は信じられないというような顔になった。
「<虚空皇の剣>の追加スキルだ。知らなかったのか……?」
「……そんなレアアイテム、なんで……?」
「答える必要はないな」
串刺しになった高位魔術師は俺の剣――虚空皇の剣を見ると、エネミーと同様に砕け散った。
剣を鞘に収めると、バトルフィールドが解除され、戦闘は終了した。
虚空皇の剣――一緒に戦った凄腕のプレイヤーから譲り受けたレアアイテムである。
錬金術により精製された魔法合金で製造された魔法の刀剣という設定のアイテムで、 スキルジョブである魔法剣に対し、ボーナスポイントを課し、絶大な効果を発揮する効果を持つアイテムである。
経験値の利得が加算されるとともに、相手のランキングデータが判明する。
混沌側の属性に傾いていた不利な状態でありながら、勝利した場合、当然、獲得利得も大きくなるはずだった。
Dクラスのプレイヤー――俺は思わず舌打ちした。
相手が予想以上に小物であった。
こんな相手にアブソリュートディフェンスやディメンジョン・ブレードのような高コストのスキルを使い、必要以上に資源を消費したことに、腹立たしささえ覚えた。
俺もまだまだらしい。
いつしか、俺の目の前に宝箱が出現していた。
俺はドロップアイテムに近づく。
この程度の相手ならば、内容もあまり期待もできない。
自分が欲するアイテムやスキルは当然入手できないだろう。
それでも一応は頂くおくことにした。
名乗るのが遅かった。
俺の名はクロム――正確にはハンドルネームだ。
本名は鞘峰護人、前作の優勝チームのプレイヤーの一人で、ランキングはSA級のプレイヤーだ。