暗殺士ノエル
暗殺士は頭巾を脱ぐと、長い髪がふわりと舞い広がるように現れ出でた。
女性プレイヤーだった。
暗殺士はさらに羽織っている外套を脱いだ。
鎖帷子のようなメッシュのアンダーに黒いミニスカートの戦闘服を纏い、背には小刀一本という極めて軽装でセクシーな格好だった。
「ブラックサンから……街から俺達をつけてきたのか?」
俺が尋ねると、女プレイヤーは意味ありげに笑う。
敵ながらゾクゾクする仕草だった。
マリナからわざとらしい咳払いが聞こえる。
「せっかく助けてあげたのに……、ご挨拶ね。お礼くらいってもいいんじゃない?」
女性プレイヤーは悪びれることなく言った。
「でも、尾行されている気配は……」
マリナが口を挟む。
「……暗殺士の特殊スキル、<ハイ・アンド・シーク>――ステルス能力によるストーキングか?」
俺の言葉に、女性プレイヤーはフッと笑うと「ええ。その通りよ」と認める。
ハイ・アンド・シーク――暗殺士のステルス能力である。
本来、戦闘内において身を隠すことにより回避能力を上げたり、隠密行動をとる為のスキルだが、フィールド上でも使用が可能な為、プレイヤーを尾行する為に使用し、ストーキングを行うことがゲーム内で問題になっている。
女性プレイヤーは長い髪を揺らしながら、ニーソックスを履いた美脚を自慢げに晒している。
身体のラインがはっきりと見えるような服装からも、かなりスタイルがいい。
足はもちろん腰も細く、背も高く、身体の外見スペックはマリナを遥かに上回る。
マリナのほうをチラ見すると、どこか敵意を抱いているのがはっきり分った。
切れ長の瞳に整った顔立ちの、ようはかなりの美人だ。
NPCのような、どこかアンドロイド的人工美に満ちた女だった。
強いて言えば、モデル業によくいるような雰囲気の女である。
仮想現実であれば、自分の体型などいくらでも変えられるが、ゲーム世界だとそうは行かない。
現実世界と仮想現実との姿にギャップがあると齟齬が生じる。
レスポンスや違和感など、情報処理にラグが起こる原因となってしまう。
動きから見ても、おそらく現実世界とほとんど遜色がないだろう。
「……名前を聞いておこうか」
俺は目の前のプレイヤーに尋ねた。
「プレイヤー名はノエル、職業は暗殺士、属性は……法、ランクはA級」
女性プレイヤー――ノエルは素直に答える。
A級ランカー――中々の強敵だ。
「で、なんの用だ?」
「四英雄の一人、聖職騎士クロムね」
ノエルの言葉に俺は反応した。
「……だったら」
「目的は一つよ。戦って欲しいの……わたしと」
「それだけに為に……? わざわざ街から……?」
「ええ」
「なぜ俺のことを知っている?」
「装備品を見れば、大体見当が付くわ。分らない方がどうかしてるでしょ」
ノエルはもっとな事を言った。
他人の装備が気になるはプレイヤーとして当然のことだ。
そこから人物像をプロファイルすることも難しくは無い。
現実世界も仮想世界も変わらないということだ。
そして、目の前のプレイヤーが油断のならない相手ということでもある。
「受けてくれるの……? どうなの?」
ノエルは俺に問いただす。
「戦う理由がないな。特に美人とは」
俺ははっきりと断った。
「……もう、クロムさん、そんなこと……」
マリナは呆れた声で言う。
いちいち水を差すのは勘弁して欲しい。
「なんならわたしが戦います。クロムさんが出るまでもありません」
「貴方みたいなザコに興味はないの。邪魔しないでくれる?」
ノエルの挑発に、マリナの顔が紅潮する。
「……ちょっと黙っててくれ。ややこしくなる」
俺はマリナを制した。
「こちらにメリットはない……と言っている」
「――わたしが握る攻略情報および、ナーヴァスに関する新情報、ききたくない?」
俺はノエルの言葉に頭を殴られたような気分だった。
ノエルは俺の反応を見て、笑っていた。
「さらにわたしの個人情報の提供でどう……? わたしの電話番号、メールアドレス、スリーサイズ、画像データ。なんなら一晩くらいなら付き合ってあげてもいいわよ」
「……何言い出しちゃってるんですか? 頭おかしいんじゃないんですか?」
冷めたことを言うマリナの横で、俺は剣を抜いていた。
ノエルの眼が細くなり、歓喜に沸く。
「仮想現実での約束を鵜呑みにするほど、暇じゃないが……」
「……クロムさん」
ノエルも背中に背負っている小刀を抜く。
「ナーヴァスときいて黙ってられんな!!」
ノエルと俺が刃を合わせた時、バトルフィールドが形成された。
互いの剣が数回火花を散らしながら組み合わさると、突然ノエルの身体がいくつにも分かれた。
分身攻撃――暗殺士の特殊攻撃だった。
複数の分身による同時攻撃は、まるで魔道剣師の魔法剣マキシマムソニックブレードのような連続攻撃だった。
俺は自分が得意としていたマルチプレイアタックを思い出しながら、とっさアブソリュートディフェンスを展開する。
攻撃と防御が反発し、放電現象のエフェクトが起こる。
無数の分身から繰り出された刃は、障壁越しでもビリビリと全身が痺れた。
やはり、ジンのマキシマムソニックブレードとタメを張るほどの速度だった。
アブソリュートディフェンスが無ければ、クリティカルが炸裂し、首が飛んでいた。
「……さすが優勝プレイヤー」
分身体が消え、再び本体のみになるノエルは嬉しそうに言った。
「クロムさん!!」
マリナが加勢しようとする。
「さがってろ!」
肉弾戦が不得意な魔道司祭の出る幕は無い。
マリナが俺の言葉に従わず、杖を構えた時、突然、周囲の巨木が動き出した。
フィールド内の属性を確認すると、完全に「混沌」だった。
枝がマリナを絡めとり、縛り上げる。
「うっそ!?」
俺はマリナのステイタスを確認すると、「呪縛」だった。
攻撃ができなくなる状態である。
当然、魔法も使用できなくなったようだ。
属性がまったく真逆だと、こういう現象も起きるらしい。
他人事では無い。
枝に絡められれば、自分もヤバイことになる。
実に厄介な状態だった。
助けるべきだろうか。
マリナを構っている余裕は、今の自分には無い。
そんな俺の迷いを打ち消すように、もがくマリナにノエルは棒のようなものを放っていた。
一本の針だった。
針はマリナに突き刺さると、マリナは急に頭を垂れ、気を失った。
マリナのステイタスが『呪縛』から『睡眠』状態へ変化する。
特殊効果が付与した飛び道具――暗殺士のジョブスキルだろう。
マリナは眼を閉じ、眠りについていた。
「安心なさい。あの娘の首に興味はないわ」
そういうと、ノエルは再び俺へ向ってきた。
再び接近戦になると、俺とノエルは互いの剣を噛みあわせた。
はやり攻撃が速い。
速すぎる。
受けるのが精一杯だ。
暗殺士は近接戦闘を得意とした職業で、格闘術はもちろん、奇襲や特殊攻撃も可能だ。
魔法は一切使用できず、装備できる武具の数も少ないが、耐久性は高く、身体能力も戦士に迫るほどだ。
並外れた敏捷性により、先制攻撃を仕掛け、戦いの主導権を掌握することも少なくない。
接近戦用格闘術の体得が可能で、クリティカルヒットも容易に繰り出す、まさに戦闘の専門家である。
近くの巨木の枝がしなり、触手のように二人の間に入ってくる。
巨木の攻撃をかわすと、互いに枝に飛び乗り、剣を交えた。
「ナーヴァスに関してどこまで知っている……?」
俺は鍔迫り合いを行いながら、ノエルに尋ねた。
「……貴方がそのナーヴァスって事くらいは」
俺はノエルの言葉に思わず睨むと、ノエルは微笑で返してきた。
間近で見ると危うく引き込まれそうな、妖しい魅力に満ちた女だった。
「俺がナーヴァスだと誰に聞いた……!?」
「わたしを押し倒して、無理にでも吐かせたら……?」
ノエルは誘うように囁く。
「そうさせてもらう!!」
俺は力任せに、剣を横になぎ払った。
ノエルは後ろに飛ぶと、数本の針を飛ばしてきた。
高速で飛ぶ針は、ミサイルウェポンそのものだ。
特殊効果を秘めた針を受けるわけには行かない。
俺は聖皇の楯を構え、防ぐ。
持ち前の素早さで、ノエルは着地すると、再び向ってきた。
ノエルはいつしか小刀を背後に回し、俺に見えないようにして構えると、左右に動き、フェイント掛けながら、小刀を逆手に抜き、薙ぎ切る。
俺は楯で受け止めた。
スピードと体術――この場合、おそらく反射神経がともなわなくてはできない技だ。
A級ランカーの実力をむざむざと見せ付けられた気がした。
いつしか自分の視界から、ノエルの姿は消えていた。
逃げたわけではないようだ。
バトルステージはまだ解除されていない。
俺はふいに殺気のようなものを感じた。
ノエルが俺の突然死角から現れ、首をはねるように小刀を真横に走らせた。
とっさに俺は反射的に首を引っ込め、剣を回避した。
ノエルの舌打ちが聞こえる。
避けられたのが不思議なくらいだった。
ようは運がよかっただけだ。
「……ブラインドアタックをかわすとは……さすがね」
ノエルは感心したように言った。
「ブラインドアタックだと……?」
驚きの声を上げるノエルとは裏腹に、俺は完全に余裕をなくしていた。
フェイントと攻撃のコンボによるヒットアンドウェイの猛攻――完全に追いつめられていた。
「死角殺法――死角に身を潜め、接敵し、背後から忍び寄って敵に気付かれなければ敵を瞬殺できる……今回から追加された特殊攻撃」
ノエルの説明からも、決まれば即死効果が付与され、ゲームオーバーになるのは明白な攻撃と予想された。
フィールド内の属性は、混沌から中立へ向きつつあった。
巨木の蠢きも収まり、膠着状態に入っていた。
――ナーヴァスなのだろうか?
剣を構えながら、ノエルに対し、俺はそんな予感すら沸き起こっていた。
一方で、エウロペの話も思い出していた。
――あるいは『四人衆』が放った刺客なのだろうか。
であれば、ナーヴァスを知悉していることの説明が付く。
属性が『法』ならば、これほどスパイに向いている者もない。
だが、プレイ自体に濁りがない。
純粋にゲームを楽しんでいるゲーマーという印象の方が強い。
「四英雄に恨みがある口か?」
俺はノエルに尋ねていた。
「……さあ。プロプレイヤーとだけ名乗っておくわ」
「プロ・プレイヤー……?」
「前作は自分の国から攻略していたけど、今回はわざわざこの国に来たのよ。貴方の実力を見せてくれなければ、ここまで来た甲斐がないわ」
海外からの参戦……賞金目当てのプレイヤーのようだ。
ノエルが再び多重分身状態になっていた。
二人から三人へ、三人から計四人へとなる。
「……諦めが悪いな」
俺は呟いた。
ノエルの分身攻撃は見切っていた。
暗殺士の分身攻撃は分身を増やすと倍々で威力が上がっていくようだが、分身自体の攻撃力はたかがしれている。
アブソリュートディフェンスで十分耐え切れる。
おまけに連発も出来ないとあって、外せば、暗殺士自身の反動も大きい。
「単発で使うつもりは無いわ」
「何?」
ノエルは剣から湯気のような映像効果が起こっていた。
いわゆる霊気だった。
「幻影剣――魔道剣師のマキシマムソニックブレードほどの威力はないけど、復数回の斬撃を行うことのできる剣スキルよ」
「スキル同士のコンボだと……?」
俺は己の耳を疑った。
俺が知る限り、スキルや魔法を組合すことができるのは、究極の魔法剣フィロソフィーブレードのみだ。
フィロソフィーブレード――ウロボロスリングにより体得できる前作の魔法剣である。
魔法剣同士を融合させたりすることで、さまざまな魔法剣を放つことができるラスボス用レアスキルだ。
「暗殺士だけが行なえる特権よ。莫大な前提スキルポイントと面倒な発動準備が必要だけど、分身分身と共に敵単体に繰り出せる、最強クラスの攻撃スキルよ」
ノエルは言った。
「マキシマムソニックブレードのように単調な連続攻撃じゃない。小ボス相手になら一瞬で沈めるほどの威力があるわ」
分身の単独ならば、何とか耐えられたが、さらに攻撃が加味されればどうなるか、自信がない。
「さっきはアブソリュートディフェンスで耐え切ったけど、今度はどうかしら」
ノエルは俺を挑発するように言った。
よほどこの攻撃に自信があるらしい。
「……発動後、分身は消滅する。耐え切れば、俺の勝ちは眼に見えている」
俺はノエルへ反論するように言った。
「試してみれば……?」
ノエルも一歩も引く気はないようだ。
向こうは俺がアブソリュートディフェンスを仕掛けてくると完全に踏んでいる。
そこを逆手にとって、攻撃を仕掛ける――うまく行けば、向こうのコンボ攻撃をキャンセル状態にもちこめるかもしれない。
乗るか、反るか。
おれは一か八かその可能性に掛けてみることにした。
俺はアブソリュートディフェンスを使用するよう思わせために、楯を構え、ミスリードを誘う。
「――いくわよ」
そう言うと、ノエルと分身体は俺に向ってきた。
ギリギリまでひきつけ、直前で魔法剣を放つつもりだった。
シューティングゲームにおいて溜め撃ちするように、ディメンジョンブレードをいつでも放てるよう整えてある。
剣を後ろ手に構え、横軸線上にノエルの分身達が並ぶ。
ディメンジョンブレードを放つ絶好のチャンスだった。
俺は楯を下げ、フルスイングでディメンジョンブレードを放った。
斬線の軌跡に沿い、空間断層現象が起こり、次元の亀裂が疾走する。
ノエルが俺に攻撃に気づき、避けようとした。
だが、さすがのノエルもかわし切れず、分身もろとも空間断層の刃を喰らった。
バランスとフォーメーションを崩し、ノエルと分身は転倒した。
同時に分身が消失する。
暗殺士の回避能力により、クリティカルには至らないまでも、それなりのダメージを与えたようだ。
全職業中、暗殺者は回避能力はナンバーワンだが、敏捷性の関係上、鎧のような重い装備品を身につけることはできない。
本体の耐久力は確かに高いが、攻撃を喰らえば、簡単に生命力を失う。当然特殊攻撃への耐性も内に等しい。
コンボ攻撃はキャンセルになり、予想外の攻撃に肝を潰したのか、ノエルも驚きとも恐怖とも付かない表情で強張っていた。
だがすぐに持ち直したのか、ノエルは身を起こし、小刀を構えたが、突然鞘に剣を収めると、身を翻し、走り出した。
逃げるつもりだ。
切り返しは速いのは、女ならでは、だ。
「――逃すか」
俺は追いかける。
暗殺士は牽制するように再び針を放ってきた。
俺は盾で防ぎながら、ノエルを追いかける。
しかし追いつけない。
暗殺士の逃走スキルだった。
「……幻影剣とのコンボに、あえて攻撃で挑んでくるなんて、誤算だったわ」
負け惜しみとも付かない台詞をノエルは漏らした。
ディメンジョンブレードならば長距離での攻撃も可能だが、再発動までもうしばらく時間が掛かる。
バトルステージが解除された。
逃げ切った――ノエルの笑みが見えた。
「――また、会いましょう。クロム」
暗殺士はそういい残すと、俺たちの前から完全に消え去っていた。