時を越えた出会い
二〇四〇年。世界は予測可能なデータとアルゴリズムで満たされていた。
あらゆる最適解は画面の向こうのAIがミリ秒単位ではじき出してくれる。それが、福原晴翔の生きる日常だった。
「これでソースの乳化バランスは完璧ですね。味覚データ的にもノイズは生じていないな!」
東京日本橋、三年連続ミシュランの星を掲げる『日本橋よし田』の厨房で、二十四歳の晴翔はタブレットを片手に息を吐いた。
彼の本職は料理人ではない。最先端の『五感再現AI』を組むシステムエンジニア、つまりはプログラマーだ。
「甘いな晴翔。そこは『あえて』アルゴリズムを崩すんだよ」
背後から声をかけてきたのは、店主の吉田雅賢、四十一歳。
一九九九年生まれの吉田は、若い頃からデジタルに触れて育った世代だ。天才料理人でありながら、裏ではみずからプログラミングを学び、独自の『メニュー開発用AI』を駆使して最先端の味を生み出すハイブリッド職人でもあった。
「今日の天候と湿度、客の体調の予測データを掛け合わせたら、バグ一歩手前の温度の方が人間の感情を揺さぶる。いいか、現場の泥臭さを忘れたコードなんてただの冷たい記号だ。食わせる相手の顔を見ろ」
効率だけを信じる晴翔にとって、大将の言葉は煙たかったが、その大将が作る一皿が五感を震わせるほど美味いのも事実だった。だからこそ晴翔は、AIのディープラーニングのためにデータを取る傍ら、吉田の激しい指導に耐え、体にそのハイレベルな感覚を叩き込んできた。
しかし、晴翔はまだ知らなかった。
大将から学んだ「ロジックとノイズの美学」が、自分の命を繋ぐ最大の武器になることを。
すべては、大学時代の友人である天才科学者 天野条二郎、通称ジョージの悪魔のような誘いから始まった。
『晴翔、タイムマシンが完成した。五百年前の戦国時代に行って、本物の有機食材のデータを集めてきてくれ。ワクワクするだろ?』
晴翔はジョージの誘いを興味深そうに聞き、答えた。
『マジかぁジョージ。タイムマシンに乗れるなんてアニメのような話だな。ワクワクするぜ。ジョージの頼み、引き受けるぜ!』
ジョージの不敵な笑みと共に起動した光の渦。
マイ調理器具と、現代のわずかな調味料を詰め込んだバックパックを背負ったまま、晴翔は目眩のするような時空の歪みへと引きずり込まれていった。
バチバチと、何かを燃やす生々しい薪の煙の匂いが鼻腔を突いた。
「……ごほごほ、、、う、くそ、ジョージの野郎……!」
激しい頭痛と共に目を開けたとき、視界に飛び込んできたのは洗練された研究所の景色ではなかった。
見上げるほどに高い約四〇〇メートルほどの山に木造の城壁。湿った土と草の匂い。
晴翔の脳内にある歴史データベースが、現在の座標を瞬時に弾き出した。
時の一五四〇年(天文九年)。ここは安芸国、吉田郡山城。
晴翔はじっと吉田郡山城を見つめながら呟いた。
「500年前に飛んだのか。うーん...なんとなぁく見たことがあるような。ないような...まあわかんねえけど、とりあえず吉田郡山っていうのか。よし、登ってみるか。」
目眩と頭痛の感覚を抱えながら晴翔は吉田郡山を登る。
わからないなりに山に向かって歩き出すると、晴翔の前に槍を持った人間が2人立ちはだかってきた。
「動くな!何奴か!」
首筋に、ゾッとするような冷たい鉄の感触が走る。
ゆっくりと視線を動かすと、そこには濁った眼光で晴翔を見下ろす鎧姿の足軽が2人立っていた。手にあるのは本物の槍。一歩間違えれば、喉笛を貫かれる。
(待て、予測アルゴリズムが『生存確率ゼロ%』を示している。マジか!どうする!?)
極限の緊張感の中、晴翔の脳裏に、もう一つの記憶がフラッシュバックした。
武道派だった父親の顔。そして、五歳から十九年間、マットの上で叩き込まれ続けた日々の記憶。
『晴翔、総合格闘技(MMA)は究極の最適化だ。敵の重心のバグを見逃すな』
カチリ、と晴翔の中でスイッチが切り替わる。
プログラマーとしての冷徹な観察眼と、体に染みついた最先端の格闘理論が、同時に秒未満の最適解を導き出した。
「おい、大人しくしろ。」
「その構え、ますます怪しゅうござるな。尼子の手勢でもこのような者はいたか?」
足軽が槍を突き出そうと踏み込んだコンマ数秒の瞬間、晴翔は鋭いステップインで槍の刃先の内側――完全なデッドゾーンへと滑り込んだ。
槍の柄を左手で巻き込むように受け流しつつ、相手の懐に密着。そのままシングルレッグ・テイクダウン(片足タックル)の体勢へ。鎧の重さを利用し、解剖学的に抵抗できない角度へと足軽の軸足を刈り上げる。
「うおっ!?」
天地がひっくり返った足軽が、凄まじい音を立てて背中から土の上に叩きつけられた。
「なんだ此奴は!槍をいとも容易く交わしたとはー」
「じゃが隙がある。(我らを侮るなかれ)」
驚きながら話すもう一方の足軽はすぐ晴翔に向けて槍を横に振り回す。
「うぉりゃぁ!!」
晴翔は頭を下ろして槍を交わし、ひっくり返った足軽の槍を取り、後ろの林に放り込んだ。
すかさず晴翔はマウントポジションを奪い、相手が刀を抜く前に、顎の先端へコンパクトなパウンド(打ち下ろしのパンチ)を正確に一発叩き込む。
――ガツン!
脳を揺らされた足軽が、白目を剥いて完全に気絶した。
「なっ……!? 組討術か!?」
「此奴めぇ、出会え!」
周囲の兵たちが色めき立ち、一斉に刀を抜く。
晴翔はすぐさま立ち上がり、上体を少し低くしたオーソドックスの構えを取った。いつでもステップで刃をかわし、カウンターを狙えるよう、体幹のバランスを極限まで安定させる。
その一連の、無駄が一切ない洗練された「打投極」のロジックを、奥からじっと見つめる一対の眼があった。
「――やめ!そこまでにせよ。今刀を抜くは時期尚早ぞ。」
低く、だが周囲の雑音をすべて圧するような声が響く。
兵たちの隙間から歩み出てきたのは、四十を少し超えたあたりの武将――毛利元就だった。引き締まった体躯に、底の知れない鋭い眼。歴史上の偉人が持つ圧倒的な「覇気」がそこにあった。
「見事な体術。刀も持たず、一瞬で我が兵を転がすか。……お前、何奴だ。武田か尼子の忍びか」
晴翔はゆっくりと構えを解き、深く息を吐いた。論理的な計算は終わっている。この男はただの武力ではなく、技術と知性を評価する男だ。
そしてその時、晴翔の優れた嗅覚が、背後の建物から漂うお粗末な炊き出しの匂いを捉えた。不安と緊張で萎縮した兵たちに、ただガサツに煮込んだだけの飯を出している。
晴翔の論理的思考、そして目の前の人間を放っておけない豊かな感情が、同時に火を噴いた。
「俺の名前は福原晴翔です。令和の日本から来たプログラマーで、武田でも尼子の武士でもないっすよ。(晴翔の咳払いの音)ってかそれより酷い匂いだ。そんな効率の悪い飯を食わせているから、兵の士気が上がらないんですよ」
「何じゃと?『ぷろぐらまー』とは耳にしないような言葉じゃな。じゃが其方は儂らの兵を殺めようとしなかった。そんな儂ら毛利の士気をあげてくれるならば城へ通すとしようぞ。」
元就の眉がぴくりと動く。周囲の家臣たちが殺気立つが、晴翔は真っ直ぐに元就を見つめ返した。
「あなたは毛利元就さんっすね。俺を殺すか生かすかは、俺の作る『飯』を食べてから決めてください。あなた方の未来を、その一口でハッキングして変えてみせますから」
元就は興味深そうに晴翔に答えた。
「『飯』か。ならば其方に儂からひとつ頼もうか。」
「世鬼。晴翔と名乗る若き者を城へ丁重に案内せよ。」
世鬼政親「ははっ。晴翔という者よ。私が城へ案内しましょう。」
すべてをデータで測ってきた青年が、包丁一本と現代のロジックで戦国を生き抜く。
福原晴翔の、命懸けの調理が今、幕を開けた。




