畑を荒らす影
最初に異変に気づいたのは、夜明け前だった。
「……若いの……」
村長の声が、いつもより低かった。
嫌な予感がして、俺は上着を掴んで外へ飛び出した。
畑に近づいた瞬間、言葉を失った。
畝は踏み荒らされ、
昨日まで青々としていた葉は引きちぎられ、
柵は根元から倒れている。
「……やられた」
作物の匂いと、獣の生臭さが混じった空気。
これは嵐でも、人でもない。
獣の仕業だ。
「魔獣だ……」
誰かが、かすれた声で言った。
「今まで不作で寄りつかなかっただけだ……」
「豊かになったから、嗅ぎつけたんだ……」
俺は荒らされた跡にしゃがみ込み、足跡を指でなぞった。
(でかい……しかも、一匹じゃない)
複数。
群れで動くタイプ。
噛み跡、踏み荒らし方、柵の壊され方。
全部が雑じゃない。
(知能が高い……イノシシ型か)
村人たちが口々に言う。
「もう終わりだ……」
「守ったと思ったのに……」
「狩人も残ってない……」
俺は、深く息を吸った。
「……倒す必要はありません」
全員の視線が、俺に集まる。
「え?」
「魔獣は、敵じゃない。
ここを“餌場”だと認識してるだけです」
「じゃあ……どうするんだ?」
俺は、畑をぐるりと見渡した。
「来させなければいい」
静かな一言だったが、誰も笑わなかった。
その日、俺は村人たち総出で動いた。
まず、畑の外周に“帯”を作る。
獣が嫌う匂いの強い草を、集中的に植える。
「こんな草、役に立つのか……?」
「立ちます。
人間で言えば“腐った魚の匂い”です」
「うわ、想像したくねぇ……」
次に、音と光。
鍋、金属片、磨いた板。
簡単な反射板と、風で鳴る簡易警報。
「……こんなので?」
「“慣れ”させなければ十分です」
最後に、決定打。
「獣の通り道、全部こっちです」
俺は、畑から少し離れた空き地を指差した。
「作物を、わざと少しだけ置きます」
「囮か!?」
「誘導です。
争わずに、場所をずらす」
村人たちは半信半疑のまま、作業を進めた。
そして――
再び、夜が来た。
俺は畑の端で、鍬を握ったまま立っていた。
正直、怖かった。
(もし突破されたら……この村は持たない)
草が揺れた。
低い唸り声。
闇の中から、黒い影がいくつも現れる。
巨大なイノシシ型の魔獣。
牙が月明かりを反射して光った。
「……来た」
魔獣たちは、いつものように畑へ向かおうとして――
次の瞬間、足を止めた。
忌避植物の帯。
鼻を鳴らし、明らかに嫌がる様子。
「……効いてる……」
さらに一歩踏み出した瞬間――
がんっ!!
風で揺れた金属板が、耳障りな音を響かせた。
磨いた板に月光が反射し、獣の目を刺す。
魔獣たちは一斉に後ずさった。
そして、風向きが変わり――
囮の作物の匂いが流れる。
「……あっちだ」
群れが、ゆっくりと畑から逸れていく。
誰も、声を出せなかった。
やがて――
気配が、完全に消えた。
「……守った……?」
誰かの震える声。
俺は、ようやく息を吐いた。
「守れました」
次の瞬間、村のあちこちから歓声が上がった。
「剣も使ってないぞ……!」
「魔獣を、追い返した……!」
村長が、俺の前に立った。
「若いの……」
「はい」
「農業とは……
こんな戦い方も、あるのだな」
俺は、少しだけ苦笑した。
「農業って、
“育てる技術”であり、
“守る技術”でもあるんです」
夜明け前。
守り切った畑の上に、薄く朝靄がかかっていた。
作物は、無事だった。
俺は、その光景を見ながら思った。
(病気と戦って、
権力と向き合って、
今度は……自然そのものか)
それでも。
(守れる。
この畑も、この村も)
そう確信できた朝だった。
第八話・畑を荒らす影




