値段の揺れ
アグリの仮倉庫に、帳面のページをめくる音が静かに響いていた。
ミーナは、いつもより少し長く同じ行を見つめている。
指先が止まり、もう一度、数字をなぞった。
「……おかしいですね」
ぽつりと漏れた声に、俺は顔を上げた。
「何がだ?」
「ナタネ油です。
同じ品質、同じ量なのに……取引額に差が出ています」
机の上に並べられた帳面には、いくつかの村名と数字が並んでいる。
大きな違いではない。
だが、無視できるほど小さくもない。
「売り先は?」
「別々です。
村ごとに、商人が違う」
そこまで聞いて、胸の奥に小さな引っかかりが残った。
「……砂糖は?」
「こちらも、少しだけ」
ミーナは別の帳面を開く。
「乳製品は、まだ安定しています。
ただ、油と砂糖は……動きが出始めています」
動き。
それは、作物の問題じゃない。
「値段を動かしてるのは、人だな」
俺の言葉に、ミーナはゆっくりと頷いた。
「はい。
同じ品を、別の村から少し安く買っている形跡があります」
誰かが、流れを作っている。
まだはっきりした形は見えない。
だが、意図のない動きじゃない。
昼過ぎ、別の村から来た農夫が、仮事務所に顔を出した。
「なあ、耕作さん」
少し言いにくそうな様子だ。
「この前の油なんだが……
隣村は、もう少し高く売れたって聞いた」
責める口調ではない。
ただ、事実としての疑問。
「俺たちが下手をしたのか?」
「いや」
俺は、すぐに首を振った。
「作り方も、品質も問題ない。
違うのは、売り先だ」
農夫は、少し安心したように息を吐いたが、次の言葉が続いた。
「……じゃあ、次はどこに売ればいい?」
その問いに、すぐ答えられなかった。
アグリは、集めて、分けて、回す場所だ。
だが、値段そのものを決める場所ではない。
「今は、様子を見てくれ」
そう言うしかなかった。
夕方、ミーナが帳面を閉じる。
「このままだと、不満が出ますね」
「出るだろうな」
値段は、生活に直結する。
わずかな差でも、積み重なれば不信になる。
「誰かが、意図的に揺らしているなら……」
ミーナは、言葉を切った。
「アグリが、疑われます」
その指摘は、正しかった。
農家から見れば、
集めているのも、配っているのも、アグリだ。
「……独占だと言われる前に、手を打つ必要がある」
俺は、そう呟いた。
その夜、領都の商業ギルドで、ひとつの噂を耳にした。
「最近、動きのいい商人がいるらしい」
「穀物も、油も、砂糖も。
全部まとめて扱える男だとか」
名前は、まだ出てこない。
だが、共通して語られるのは、その評判だった。
――話が早い。
――条件がいい。
――金払いがいい。
そして、最後に必ず付け加えられる。
「……ただし、流れを握られる」
俺は、帰り道で足を止めた。
(作物が増えたからだ)
量が増え、選択肢が増えた。
だからこそ、値段を巡る力も生まれた。
アグリは、ここまで順調だった。
だが、それは「競争が始まっていなかった」だけだ。
「……次は、仕組みの話になるな」
誰かを排除する話じゃない。
善意に頼る話でもない。
続けるための形を、作らなければならない。
静かな夜の中で、
アグリの帳面は、次のページを待っていた。




