油が金になる
ナタネ油の話が、静かに広がり始めていた。
アグリの帳面に新しい品目が加わり、各地へ少量ずつ種が配られたことで、畑の風景そのものは大きく変わっていない。
だが、変わったのは――人の目線だった。
「油が取れる花なんだってな」
「灯りにもなるし、布に染み込ませると風を止めるらしい」
「料理にも使えるなら、商売になるんじゃないか?」
領都へ戻る道すがら、そんな声を何度も耳にした。
噂は、決して派手ではない。
だが、具体的で、生活に近い。
(来るな)
そう思ったのは、油そのものの価値を感じたからじゃない。
**“値段をつけたがる人間”**の気配を感じたからだ。
アグリの仮事務所に戻ると、ミーナが珍しく眉を寄せていた。
「耕作さん。
ここ数日、問い合わせが増えています」
「どんな?」
「量と、値段です。
今すぐどれだけ出せるのか。
いくらなら売るのか、という内容ばかりで……」
まだ量産も始まっていない。
用途も、地域ごとに試している段階だ。
「断っていい」
「すべて?」
「ええ。今はまだ、売る段階じゃない」
ミーナは頷いたが、表情は少し硬い。
「……商業ギルド経由の話もあります。
“独占しないのか”という、遠回しな言い方でしたが」
独占。
その言葉が出る時点で、もう兆しは十分だった。
その日の夕方、倉庫を見回っていると、見慣れない男が入口に立っていた。
服装は控えめだが、生地はいい。
荷も持たず、歩き方に無駄がない。
「失礼。
ここが、最近話題の“アグリ”ですかな」
声は柔らかい。
だが、距離の取り方がうまい。
「用件は?」
「少し、世間話を。
ナタネ油――面白い品が出てきたと聞きまして」
名前は名乗らなかった。
だが、商いの匂いは隠れていない。
「まだ試験段階です」
「承知しています。
だからこそ、早めに話をしておきたい」
男は、倉庫の中を一瞥しただけで続けた。
「量が出始めれば、値段は跳ねます。
灯り、保存、加工。
用途が多いほど、囲い込みたくなる者も増える」
回りくどい言い方だが、要点は一つだ。
「……まとめて扱う気はありませんか」
俺は、即答しなかった。
代わりに、こう返した。
「ここは、作る人が困らないための場所です」
「ええ。素晴らしい理念です。
ですが――理念と流通は、別です」
男は笑った。
悪意のない顔だった。
「値段を決めるのは、市場です。
市場が荒れれば、作る側が振り回される」
その言葉は、半分正しい。
だからこそ厄介だ。
「今日は、挨拶だけです」
男はそう言って、深く踏み込まずに引いた。
去り際、ふと足を止める。
「……良い品は、必ず人を集めます。
良くも、悪くも」
背中が見えなくなってから、ミーナが小さく息を吐いた。
「名前は聞きませんでしたが……
かなり慣れている人ですね」
「ええ。
“買う前に、流れを作りに来た”」
油は、もう作物じゃない。
流通の入口に立っている。
このままでは、誰かが値段を握る。
アグリが握るか、別の誰かが握るか。
(どちらも、違う)
誰も独占できない形で、続ける。
それが、アグリを作った理由だったはずだ。
帳面の端に、俺は小さく印を付けた。
――次は、
売り方を決める話になる。
油は、静かに巡り始めている。
だが、それをどう巡らせるかは、
まだ決まっていなかった。




