油が巡るということ
油を搾った器が、村の中央に置かれたままになっていた。
量はまだ少ない。木の器の底に、薄く溜まっただけの黄金色だ。だが、それを粗末に扱おうとする者は一人もいなかった。
村人たちは、通りすがるたびに足を止め、器を覗き込む。
指を浸す者はいない。ただ、目で確かめるだけだ。
(“使えるもの”だと、もう分かってる)
それだけで、空気は変わる。
翌日から、動きは一気に早くなった。
まず決めたのは、畑の扱いだった。
ナタネ畑の周囲に、簡単な杭を打つ。
家畜が踏み込まないようにするためだ。
刈り取る場所と、残す場所を明確に分ける。
そして、全部を一度に収穫しない。
「増やす前に、減らさない」
そう口にしただけで、畑の扱いは目に見えて変わった。
今までは「邪魔にならなければいい草」だったものが、
「次につながる作物」になったからだ。
次に始めたのは、種の確保だった。
完全に乾いた株を選び、布の上に広げる。
棒で軽く叩くと、黒い粒がぱらぱらと落ちる。
それは、雨のようでもあり、数を数えられる“資源”でもあった。
「……こんなに取れるんですね」
誰かが、思わず声を漏らす。
「今まで、全部捨ててた量だ」
そう答えると、村人たちは一瞬だけ言葉を失った。
後悔ではない。
ただ、知らなかったという事実を、静かに受け止めている顔だった。
数日後。
袋詰めされたナタネの種が、倉の中に並んだ。
そこで、俺ははっきりと告げた。
「全部、この村だけで抱えなくていい。
アグリに回します」
村長が、驚いたように目を見開く。
「他の土地でも、育てるのですか?」
「ええ。
寒さに強い作物は、寒い土地だけのものじゃない。
痩せた土地でも、風の強い場所でも役に立つ」
油が取れる。
布に染み込ませれば、保温に使える。
灯りにもなる。
料理にも使える。
用途が多いということは、
一つの地域でうまくいかなくても、別の場所で生きるということだ。
数袋分の種は、アグリの仮倉庫へ送られた。
ミーナが帳面を開き、静かに項目を書き足していく。
「作物名:ナタネ。
用途:油、灯火、加工用。
栽培条件:耐寒性あり、痩せ地可」
淡々とした記録だった。
だが、その一行が加わった瞬間、ナタネは“個人の発見”ではなくなった。
「各地に配る量は、最初は少なめにします」
「失敗しても、戻れるようにな」
「はい」
こうして、ナタネは「珍しい花」ではなく、
アグリの商品候補の一つになった。
寒冷地だけでなく、
風の強い高地。
水はあるが、肥料が乏しい土地。
それぞれの村に、ほんの少量ずつ種が渡される。
育て方は、どこでも共通だ。
放置しない。
踏まない。
全部を一度に取らない。
それだけでいい。
油の量産は、まだ先の話になる。
だが、重要なのはそこではなかった。
作物が一つ増えたことで、
畑の使い道が増える。
作業の組み合わせが増える。
交換できる品目が増える。
帳面に増える一行ごとに、
アグリという組織は、少しずつ厚みを持っていく。
ナタネは、もうただの「黄色い花」ではない。
寒さに負けない作物として、
複数の土地をつなぐ存在になった。
畑で咲く花は、相変わらず静かだ。
だが、その先では――
油となり、灯りとなり、
人と人をつなぐ形で、
確かに巡り始めていた。




