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異世界農業譚 〜チートなし大学生、土と汗で成り上がる〜  作者: 済美 凛


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名前と場所

領都の中に足を踏み入れるのは、久しぶりだった。


 石畳の道を行き交う人の数は、村とは比べものにならない。


 商人の荷車、職人の呼び声、宿屋から漂う匂い。

 畑の静けさとは正反対の場所だ。


(……ここに、農協を置く)


 少し前までなら、思いつきもしなかった。


 俺の隣を歩くリリアンヌは、いつも通り落ち着いた足取りだった。


 だが、その表情には、わずかに緊張が混じっている。


「こちらです」


 案内されたのは、領都の外れではない。


 市場と倉庫街、そのどちらにも近い一角だった。


 古いが、しっかりした石造りの建物。


 元は商会の集積所だったらしく、出入り口も広い。


「……ずいぶん、いい場所ですね」


 思わず本音が漏れる。


 リリアンヌは、小さく微笑んだ。


「お兄様様に、お願いしました。

 農業が安定すれば、商いも安定しますから」


 軽く言っているが、簡単な話じゃない。


 領都の一等地だ。


 反対もあったはずだ。


「商人たちも、納得したんですか」


「ええ。

 “量が安定するなら、値段の話がしやすい”と」


 なるほど、と腹の底で納得する。


 農家が個別に持ち込む少量の品と、

 農協がまとめて出す一定量の品。 


 商人にとって、どちらが扱いやすいかは明白だ。


「ここなら、村からの荷も集めやすい。

 商人も、直接交渉に来られる」


「はい。

 農家が市場に振り回されないための場所です」


 建物の中に入ると、すでに人が集まっていた。


 コガネ村、フローデ村、ハルネ村。


 見慣れた顔ぶれに加え、領都の商人や倉庫番もいる。


 ミーナは、入口近くで帳面を抱えて立っていた。


 少し緊張した顔だが、逃げる気はない。


 俺は皆の前に立ち、まずはこの場所の意味をはっきりさせた。


「今日、ここに集まってもらったのは、

 農協の“場所”と“名前”を決めるためです」


 周囲が、静かになる。


「農協は、村の中だけに置くものじゃありません。

 作る人と、買う人が、無理なく繋がる場所に置く必要がある」


 床を踏みしめる。


「ここは領都です。

 商人が集まり、情報が集まり、金が動く」


 年配の農夫が、慎重に言った。


「……村から離れすぎてはいないか」


 それは、もっともな疑問だ。


 俺は首を振った。


「離れているように見えて、

 一番“近い”場所です」


 どういう意味か、という視線が集まる。


「農家が売りに来なくていい。

 商人が、ここまで来る」


 それだけで、負担は大きく減る。


「畑に立つ時間を、削らない。

 それが、この場所を選んだ理由です」


 ざわめきが、納得に変わっていく。


 話が一段落したところで、俺は次に進んだ。


「では、名前を決めます」


 空気が、再び引き締まる。


「難しい名前は付けません。

 覚えやすく、呼びやすく、意味が分かるものにする」


 一瞬、言葉を選ぶ間を置いてから、続けた。


「アグリにします」


 誰かが、口の中で繰り返す。


「……アグリ」


「聞いたことがあるような、ないような」 


 俺は正直に言った。


「俺が知っている言葉です。

 農業を指す言葉を、短くしただけ」


 格好をつけるつもりはない。


 だが、軽くも扱いたくない。


「アグリは、農家のための場所です。

 農家を守るためにあり、

 農家を縛るためには使わない」


 その言葉に、リリアンヌが静かに頷いた。


 反対は出なかった。


 名前が決まれば、次は避けられない話になる。


「最後に、責任者を決めます」


 その瞬間、ミーナの肩が、わずかに強張った。


 俺は、彼女の方を見た。


「ミーナ」


 はっきりと名を呼ぶ。


「アグリの管理責任者を、君に任せたい」


 一瞬、時が止まる。


「……私、ですか」


 声が、少しだけ震える。


「私は、ただ帳面を書いていただけで……」


 俺は首を振った。


「それが、一番重要なんだ」


 前に一歩出る。


「誰が、いつ、どれだけ納めたか。

 誰が、どの道具を使ったか。

 それを正確に残せる人がいないと、組織は壊れる」


 カイルが、真っ直ぐ言った。


「ミーナなら、誤魔化さない」


 レオンも、腕を組んだまま続ける。


「逃げないし、目を逸らさない。

 嫌な数字でも、ちゃんと見る」


 年配の農夫たちも、ゆっくり頷いた。


 ミーナは、しばらく黙っていた。


 帳面を見つめ、深く息を吸う。


「……分かりました」


 顔を上げる。


「私が、やります。

 アグリを、ちゃんと回します」


 その声には、覚悟があった。


 俺は、はっきりと言った。


「頼む。

 ここは、村でも畑でもない。

 だからこそ、君が必要だ」


 こうして、

 場所が決まり、

 名前が決まり、

 人が決まった。


 アグリは、今日、領都の中に根を下ろした。 


 それは、農業が村の外へ一歩踏み出した瞬間でもある。


 リリアンヌが、静かに言った。


「……これで、農家は一人じゃありませんね」


「ああ」


 俺は、建物の中を見回した。


(畑を守るのは、

 畑だけじゃない)


 人が集まり、

 物が流れ、

 数字が残る。


 その中心に、

 アグリという名前が刻まれた。


 農業は、ようやく

 “続く形”を手に入れ始めていた。

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