賭けの許可
領主の執務棟は、いつ来ても静かだった。
石造りの壁は人の声を必要以上に反響させず、廊下を歩く足音さえ、どこか遠くへ吸い込まれていくように感じる。
この場所に足を踏み入れるたび、俺は畑の土を思い出す。
踏み固めなければ形にならず、だが踏みすぎれば息を失う、あの感触だ。
執務室に通されると、ヴァルガスは机に肘をついたまま、こちらを見上げるでもなく、すでに用件を把握しているという空気を纏っていた。
「……また、妙なことを始めたそうだな」
探るようでもあり、確かめるようでもある言葉だった。
俺は一度だけ頷き、逃げずに答える。
「農協です」
その言葉に、ヴァルガスは小さく息を吐いた。
「名前は聞いている。だが、私が知りたいのは響きじゃない。“何のための仕組みか”だ」
視線が鋭くなる。
ここからが、本題だ。
「農家を、一人にしないための仕組みです」
そう答えると、ヴァルガスは机を指で軽く叩いた。
「綺麗な言葉だな。
だが、綺麗な言葉ほど、人は都合よく使う」
一拍置いて、続く。
「まとめて集め、まとめて売り、まとめて管理する。その裏で量を誤魔化す者や、税を減らそうとする者が出ないと、本気で思っているのか?」
領主として、当然の疑念だった。
俺は、その問いから目を逸らさなかった。
「出ます」
即答すると、リリアンヌがわずかに息を詰めたのが分かった。
だが、俺は言葉を重ねる。
「仕組みを作れば、必ず隙を突く人間は出ます。
農業と同じで、虫は“出ない前提”では畑を作れません」
ヴァルガスが、わずかに眉を動かした。
「だから、最初から管理します。誰が、いつ、どれだけ納めたのか。どの道具を使い、どれだけ粉にし、どれだけ売ったのか。全部、記録として残します」
「帳簿か」
「はい。紙と、人の手で」
魔法ではなく、誰の目にも触れる形で。
それが、誤魔化しを難しくする。
「隠せないなら、誤魔化す意味がなくなります」
ヴァルガスはしばらく黙り込み、机の上で指を組んだ。
「……不作の年はどうする」
「備えます。 収穫量を増やすだけでなく、失わない量を増やします」
「害虫は」
「減らします。完全に防げなくても、被害は抑えられる」
水車。
製粉。
保存。
畑の外で守れる量を増やすことで、畑そのものの価値を底上げする。
「農家が売り歩かず、畑に専念できれば、生産量は結果として上がります」
「税も、だな」
「はい」
そこは、はっきりと言った。
「領としての取り分も、安定します。一年だけ数字を作るより、平年を底上げする方が、長く続く」
ヴァルガスは椅子に深く腰を下ろし、天井を見上げるようにして息を吐いた。
「……分かっていて言っている顔だ」
試されている。
だが、その試し方に悪意はない。
「もしだ」
低く、重い声。
「農協を認めた結果、納税量が減ったらどうする」
俺は、間を置かず答えた。
「解散させてください」
今度は、はっきりとリリアンヌがこちらを見た。
それでも、俺は言葉を引かない。
「仕組みが間違っているなら、続ける意味はありません」
ヴァルガスの口元が、わずかに歪んだ。
「潔いな」
「農業は賭けです。ですが、賭けっぱなしにはしません」
そこで、リリアンヌが一歩前へ出た。
「お願いします」
その声には、迷いがなかった。
「私は、この人の仕事を見てきました。 村で何が変わったか。畑で何が戻ったか。 それは、帳簿よりも確かなものでした」
一度、息を整えてから続ける。
「無謀なことはしません。逃げることもしません。
だから――チャンスをください」
執務室に、重たい沈黙が落ちる。
やがて、ヴァルガスが静かに口を開いた。
「……私はな」
視線を窓の外へ向ける。
「賭けに、負けたことがない」
それは誇示ではなく、ただの事実のようだった。
「だからこそ、賭け方は選ぶ」
こちらを見据え、はっきりと言う。
「農協を認める。ただし、条件付きだ」
俺は、深く頭を下げた。
賭けは始まった。
畑ではなく、仕組みで。
だが俺は知っている。
土は嘘をつかない。
正しく耕せば、必ず応える。
この賭けも、きっと同じだ。




