畑に立たない理由
扉を叩いてから、返事が返るまでに少し時間があった。
中から聞こえてくるのは、落ち着きのない物音だ。
木材を引きずる音、金属が床を転がる音、何かを慌てて押し込む気配。
「……ちょっと待って。今、手が離せないから」
女の声だった。
切羽詰まっているというより、単純に作業の流れを止められない声。
しばらくして、扉が半分だけ開いた。
覗いた顔は、ぼさぼさの髪に、頬に煤。
目だけが妙に生き生きしている。
「……誰?」
警戒よりも、純粋な疑問。
「耕作だ。農業の様子を見に来た」
そう名乗ると、彼女は一瞬だけ瞬きをして、
それから何かを思い出したように小さく頷いた。
「ああ。最近、農協とかいう話をしてる人?」
「まだ、そこまで形にはなっていない」
「だよね。話が先に走ってる感じがしたから」
そう言って、彼女は扉を開け切った。
中を見て、正直、言葉に詰まった。
床一面に散らばる木屑と金属片。
壁際には分解されたままの器具。
作業台の上には、用途不明の部品が山積みになっている。
片付いていないというより、
思考の途中がそのまま空間になっている。
「……足元、気をつけて。
そこ踏むと、昨日失敗したやつだから」
「失敗作か」
「うん。水圧を利用して土を削る仕組みだったんだけど、
出力を上げると壊れるし、下げると役に立たないし、
ちょうどいいところが見つからなかった」
淡々とした口調だが、
諦めている様子はない。
村長が後ろから、小さく言った。
「こいつが、その……畑に出ない変わり者だ」
「聞こえてるからね、それ」
振り返りもせず、エマはそう返した。
「畑に出ないのは事実だし。
別に、誤解でもなんでもない」
彼女は工具を置き、ようやくこちらを向いた。
「エマ。
農業を楽にする魔道具を作ろうとしてるだけ」
それが自己紹介だった。
耕作は、しばらく彼女の工房を見回した。
素材は、村で手に入るものばかりだ。
発想も、突飛すぎるわけではない。
(畑から離れているが、
畑の問題からは目を背けていない)
「……畑に出ない理由を聞いてもいいか」
そう言うと、エマは少しだけ考える素振りをした。
「向いてないから、って言うのが一番正確かな」
短く言い切るのではなく、言葉を継ぐ。
「力仕事は得意じゃないし、
暑いのも嫌だし、
正直、鍬を持って一日作業したら、次の日は何もできなくなる」
自嘲でも言い訳でもない。
「それにね、畑に立ってる間って、
考える時間がどうしても途切れるでしょ。
私は、考え続けないとダメなタイプなの」
作業台を軽く叩く。
「この村、人が足りないのは分かってる。
だから私も、畑に出る代わりに、
人の代わりになるものを考えようとした」
耕作は、静かに頷いた。
「だが、結果は出なかった」
「うん。出なかった」
エマはあっさり認める。
「途中で壊れる。
重すぎる。
扱いが難しい。
結局、誰も使わなくなる」
少しだけ、目線を落とす。
「農業って、結果がすべてだから。
便利そう、面白そう、じゃ意味がない。
収穫が増えなきゃ、評価されない」
その言葉は、重かった。
耕作は、家の外――途中で止まった畑を思い浮かべる。
「ハルネ村は、人が足りない」
「知ってる。だから、ここまで追い詰められてる」
「人を増やすことは、できない」
「無理だね。もう戻ってこない人も多い」
「だから」
耕作は、はっきりと言った。
「人の代わりに動く手が必要だ」
エマの表情が、はっきりと変わった。
「……それ、本気で言ってる?」
「本気だ」
「道具は、畑を魔法みたいに変えたりしないよ」
「分かっている」
「一つ作ったからって、全部解決するわけじゃない」
「それでも」
耕作は続けた。
「誰かが倒れても、回る形は作れる」
エマは、工房をゆっくり見回した。
失敗作の山。
途中で止まった構想。
誰にも使われなかった道具たち。
「……冷える箱」
不意に、そう言った。
「作ったんでしょ。
保存できるってやつ」
「ある」
「見せて。
正直、魔法だけで冷やしてるなら興味ないけど、
構造でやってるなら、話は別」
耕作は、少しだけ笑った。
「構造が主役だ」
「……それは、いい」
エマは即座に頷いた。
「言っとくけど」
扉に手をかけて、振り返る。
「私は、畑には出ないよ。
たぶん、これからも」
「それでいい」
即答だった。
エマは一瞬、言葉を失い、
それから小さく笑った。
「……やっぱり、変な人」
そう言いながら、彼女は靴を引っ掛けた。
畑に立たない農業者。
だが、人手不足という問題に、
最も正面から向き合っていたのは――
間違いなく、この工房の中の人間だった。




