畑に立たない理由
ハルネ村の名が出たのは、農協の話を各村へ持ち帰ったあとに開かれた、小さな寄り合いの席だった。
まだ「農協」と呼ぶには形も曖昧で、約束事も最低限しか決めていない。
それでも、「一人で抱え込まない」という考え方だけは、少しずつ共有され始めていた。
そんな場で、年配の農夫が重たい声で口を開いた。
「人手が足りなくて、どうにもならん村がある」
彼は、誰かを責めるような調子ではなかった。
ただ、現実をそのまま置くように、そう言った。
「畑も、家畜も、回しきれん。
技術の問題じゃない。人がいないんだ
それが、ハルネ村だった。
村に入って、まず感じたのは奇妙な静けさだった。
畑は荒れ果ててはいない。
雑草も、手に負えないほど伸びているわけではない。
土も、生きている。
だが、どこを見ても「途中」で止まっている。
畝は途中で崩れ、
収穫しきれなかった作物が、そのまま立ち枯れている。
水路も、補修の途中で放置された跡が目についた。
(……できないんじゃない。
手が、届いていない)
農業としての知識や経験が足りないわけではない。
単純に、作業量が人の数を超えている。
俺は、畑の広さと、村で見かけた人数を頭の中で並べる。
(これじゃ、誰かが倒れた瞬間に回らなくなる)
村長の家で話を聞くと、状況はさらに具体的になった。
「若い者が戻らん」
「出て行ったままの者も多い」
「残った者で、畑も家畜も全部やっている」
嘆きでも愚痴でもない。
事実の列挙だった。
俺は、静かに頷きながら話を聞く。
(農業は、人がいなければ成立しない。
当たり前のことだが……これほど分かりやすい例もない)
作付けを変えても、品種を選び直しても、
結局、手が足りなければ管理できない。
農業の限界が、形になって突きつけられていた。
昼時、畑の端で簡単な食事を取りながら、農夫たちと話す。
「農協の話は、正直ありがたい」
「忙しい時に、人を融通できるなら助かる」
だが、続く言葉は重かった。
「……だがな。 人を増やすにも限界がある」
そのとき、別の農夫が、少し躊躇いながら言った。
「昔、この村にも……変わった奴がいた」
その言葉に、自然と耳が向く。
「畑に出ないで、農業をどうにかしようとしてた」
「鍬も持たずに、家に籠もってな」
(畑に立たない?)
詳しく聞くと、その人物は村の外れに住んでいるという。
農業が楽になる道具を作ろうとしていた。
水を運ぶ仕掛け。
土を崩す器具。
だが、どれも途中で壊れ、実用には至らなかった。
「悪い奴じゃない」
「考えてることも、分からんでもない」
農夫はそう言って、肩を落とす。
「だが、結果が出なかった」
「期待しても、何も変わらなかった」
その言葉に、責める響きはなかった。
諦め切った、静かな距離感だけがあった。
(失敗したから、忘れられたんだな)
胸の奥が、少しだけ重くなる。
農業は、結果がすべてだ。
どれだけ考えても、
どれだけ工夫しても、
収穫に結びつかなければ評価されない。
だが同時に、俺は思っていた。
(人手不足の村で、
人の代わりを考えた人間がいた)
それは、間違いなく農業の一部だ。
夕方、村長に案内され、村外れの小さな家へ向かう。
畑から離れた場所。
作物の匂いより、木材と金属の匂いが混じっている。
中から、何かを叩く音。
部品を組み替える音。
「今も、畑には出ない」
「だが、毎日何かを作っている」
村長はそう言って、肩をすくめた。
「人手不足の答えが、あそこにあるとは思えんがな」
俺は、ゆっくりと首を振る。
「答えじゃなくてもいい」
「考え方のヒントにはなります」
農協の話。
人手不足という現実。
畑に立たない変わり者。
それぞれは、まだ点だ。
だが、確実に同じ方向を向いている。
(人を増やせないなら、負担を減らす) (負担を減らすなら、道具が要る)
俺は、扉の前に立ち、深く息を吸った。
農業は、畑だけで完結しない。
畑の外で考える人間がいなければ、
続く形にはならない。
軽く、ノックする。
中で、慌てた物音がした。
この先にいるのは、
畑に立たない農業者――
エマという名の、変わり者だ。
そう確信しながら、俺は扉が開くのを待った。




