残された稲
田んぼに入るのは、正直つらかった。
昨日、はっきりと「実らなかった」と突きつけられた場所だ。
それでも、何もしないで離れる気にはなれなかった。
朝の水面は穏やかで、風も弱い。
失敗した田んぼとは思えないほど、静かで整っている。
(……だから余計に、納得できない)
俺は草鞋を履き直し、ゆっくりと田に足を入れた。
ぬかるみは浅く、足を取られない。
水温も、冷たすぎない。
一本、また一本と稲を確かめていく。
穂は出ている。
だが、ほとんどが空。
それでも――
すべてが同じ、というわけではなかった。
「……ん?」
指先に、わずかな重みが伝わる。
よく見れば、ほんの少しだけ実が入っている穂がある。
完全ではないが、確かに“中身”がある。
「……全部、ダメじゃない」
独り言のように呟いた声に、後ろから反応があった。
「何か、違うんですか?」
リリアンヌが、畦から覗き込んでいる。
俺は、その稲をそっと持ち上げた。
「これ、見てください。
全部じゃない。ほんの一部だけど、実が入ってる」
彼女は目を凝らし、静かに頷いた。
「本当ですね……わずかですけれど」
「でも、ゼロじゃない」
その事実だけで、胸の奥が少しだけ動いた。
俺は、同じような稲を探し始めた。
場所、日当たり、水の深さ。
条件が似ているものを、意識的に拾っていく。
数は少ない。
だが、確実に存在している。
(……この土地で、完全に無理というわけじゃない)
昼近くになり、レオンとカイル、ミーナも集まってきた。
「どうだ?」
カイルの問いに、俺は首を横に振る。
「成功じゃない。
でも、全部失敗でもない」
ミーナが、選り分けた稲を見つめながら言う。
「……強い個体、ですよね」
「たぶん。
この土地、この水、この気温で、少しでも実を入れた」
俺は、稲を束ねながら続けた。
「一度で合う品種なんて、まずない。
だから、本来は――選ぶ」
「選ぶ……?」
「強いものを残す。
次は、その種だけを使う」
レオンが、少し考えるように黙り込んでから言った。
「……失敗したのに、続けるの?」
「失敗したから、続ける」
はっきりと、そう答えた。
一度で諦めるなら、農業なんて成立しない。
まして、異なる世界、異なる土地だ。
夕方、選別した稲を納屋に運び込む。
量は少ない。
今年の収穫と呼ぶには、あまりに心許ない。
それでも――
捨てなかった。
「……終わらせないんですね」
リリアンヌの言葉に、俺は頷いた。
「諦めなければ、失敗じゃない。
ただの途中だ」
それは、自分に言い聞かせる言葉でもあった。
夜、机に向かい、簡単な記録を書き残す。
水位。
気温。
日照。
実が入った位置。
紙の上に並ぶ文字は、まだ答えじゃない。
だが、次に進むための足場にはなる。
(来年、もう一度やる)
同じやり方はしない。
だが、同じ田んぼで。
今日、実を残した稲は、
来年への“返事”だ。
俺は灯りを消し、深く息を吐いた。
失敗は、終わりじゃない。
学ばないことだけが、終わりだ。
そう思えるところまで、ようやく立てた気がしていた。




