学びたいという選択
朝の作業は、畑の外から始まった。
畝の底上げを指示した翌日、村人たちは半信半疑のまま鍬を入れていた。畝と畝の間を深く掘り、その土を上に積む。動き自体は単純だが、意味が分からないままやるには、なかなか骨が折れる。
「……本当に、これでよくなるのか?」
村人の一人が、汗を拭いながら呟く。
「水を減らすんじゃなくて、根を水から逃がすんです」
俺はそう答えながら、掘り返した溝に溜まる水を指さした。
「ほら。 今まで、ここに溜まってた水が、
全部“根の位置”にありました」
水面が、陽を反射して光る。
「ここを下げれば、 根は溺れなくなる」
その説明に、数人が黙って頷いた。
---
昼前、カイルとミーナが、少し離れた場所で作業を止めてこちらを見ていた。
声をかけると、二人は揃って近づいてくる。
「……耕平さん」
「どうした?」
カイルが、言葉を選ぶように口を開いた。
「昨日の話…… 畑は、周り全部で一つだって」
「言ったな」
「俺たち、今まで畑しか見てなかった」
ミーナが、静かに続ける。
「作物が悪い。土が悪い。
そう思ってたけど……
森も、水も、風も、
全部そのままにしてた」
その声には、後悔よりも戸惑いが混じっていた。
「だから……」
二人は顔を見合わせ、そして同時にこちらを見る。
「ちゃんと、学びたいです」
---
一瞬、畑の音だけが残った。
鍬が土に入る音。
水が溝を流れる音。
遠くで鳥が鳴く声。
俺は、すぐには答えなかった。
農業を教える、というのは、
作業を教えることじゃない。
考え方を渡すことだ。
そしてそれは、簡単に引き返せない。
「条件がある」
二人は、背筋を伸ばした。
「俺は、ここにずっと居るわけじゃない。
だから、教えるのは“やり方”じゃなくて“見方”だ」
少し間を置く。
「正解は、毎回変わる。
土地も、天気も、人も変わる」
「……それでも、ですか?」
ミーナの問いに、俺は頷いた。
「それでも、考え続けられるなら」
カイルは、迷わず言った。
「やります」
「途中で逃げても、 畑は待ってくれませんよ?」
「……分かってます」
その目は、冗談じゃなかった。
---
午後は、森に入った。
間伐予定の木に印を付けながら、俺は二人に問いを投げる。
「この木、切るべきだと思うか?」
カイルが、しばらく見上げてから答える。
「……畑に影を落としてる。でも、全部切ったら、
今度は乾きすぎる」
「じゃあ、どうする?」
「……間を空ける」
ミーナも続ける。
「風が通る道を、 何本か作る」
俺は、何も言わず頷いた。
正解かどうかより、
理由を考えていることが大事だ。
---
作業の合間、リリアンヌが二人を見て、ふと口を開いた。
「お二人は、
なぜそこまで畑に残ろうと思ったのですか?」
少し意外な質問だった。
ミーナが答える。
「……畑が、このまま駄目になるのが、
怖かったんです」
「怖い?」
「はい。 畑が駄目になったら、
村も、人も、いなくなる」
カイルが、小さく頷いた。
「それを、 “仕方ない”で終わらせたくなかった」
リリアンヌは、その言葉を静かに受け止めた。
---
夕方、畝の底上げが終わった区画を、全員で見渡す。
畑は、昨日より少し高く、少し乾いていた。
「……見た目は地味だな」
村人の一人が苦笑する。
「ええ。
でも、これは“悪化を止める形”です」
劇的な変化はない。
だが、これ以上悪くならないことは、何より大きい。
俺は、畑の端に立つ二人に言った。
「今日やったことは、正解じゃないかもしれない」
二人がこちらを見る。
「でも、“考えた結果”なら、 次に繋がる」
それが、教えられる最大のことだった。
---
日が傾き、森の影が伸び始める。
その影は、昨日よりも、少しだけ軽く見えた。
(人が残れば、畑も残る)
フローデ村で、
新しく芽を出したのは、作物だけじゃない。
俺はそう思いながら、
次の作業と、次の季節を、静かに見据えていた。




