森が奪っていたもの
朝靄の中、フローデ村の畑に立つ。
昨日と同じはずの景色なのに、今日は違って見えた。湿気が地面に張りつき、空気が重い。朝日が差しても、畑はなかなか乾かない。
(……やっぱり、根本はここだ)
俺は畝の端にしゃがみ込み、鍬で軽く土を掘った。すぐに水が滲み出る。
「……畝が、低すぎますね」
村長が不安そうに覗き込む。
「低い……? 昔から、こんなものだが」
「水が逃げない土地では、致命的です。根が、常に水に浸かっている」
俺は畝と畝の間を指差した。
「ここを、もっと深く。
その分、畝を高くします」
「土を盛る、ということか?」
「はい。“底上げ”です。
根が呼吸できる場所を、上に作る」
周囲にいた若者の一人が、思わず声を上げた。
「そんなことで、変わるのか……?」
「変わります。水は下へ、根は上へ。
それだけで、作物は全然違う」
もう一人、同じくらいの年の少女が、畝を見つめながら言った。
「……じゃあ、今までの畑は、
水の中に植えてたようなもの?」
「近いな。正確には“半分溺れさせてた”」
二人は顔を見合わせ、息を呑んだ。
名を聞くと、少年はカイル、少女はミーナだという。どちらも農家の子で、最近は畑仕事がうまくいかず、半ば諦めかけていたらしい。
畝の話を一通り説明したあと、俺は顔を上げた。
「でも、畑だけ直しても足りません」
全員の視線が集まる。
俺は、畑を囲む森の方へ歩いた。
高く密集した木々。枝が重なり、風が遮られている。
「……風が、止まってます」
ミーナが、はっとしたように言う。
「言われてみると……畑にいると、
空気が動かない……」
「それです。
湿気が抜けない原因は、森が近すぎる」
村長が、困ったように眉を寄せた。
「森は……切らねばならんのか?」
「全部じゃありません」
俺は、地面に枝で線を引いた。
「間を空けます。
風が抜ける“道”を作るだけでいい」
「……間伐、というやつか」
「はい。昔は、やっていたはずです」
切り株の跡を指すと、村長は黙って頷いた。
「人手が足りなくなって、
いつの間にか、放っていた」
カイルが、思わず口を挟む。
「俺たちで……やればいいのか?」
「ええ。急がなくていい。
畑に影が一日中落ちない程度で」
森と畑の距離を、取り直す。
戦うんじゃない。調整するだけだ。
作業の説明が一段落すると、カイルとミーナが、少し迷いながら近づいてきた。
「……あの」
「どうしました?」
「その……畑の見方、
今まで、誰にも教わったことがない」
ミーナが続ける。
「水とか、風とか、森とか……
作物だけ見てました」
俺は、二人の顔を見た。
「畑は、作物だけの場所じゃありません。
周り全部で、一つです」
少しだけ間を置いて、続ける。
「興味があるなら、
作業しながら一緒に考えるか?」
二人は一瞬、驚いた顔をして――
同時に、強く頷いた。
「……はい」
「やりたいです」
その返事を聞いて、リリアンヌが静かに微笑んだ。
午後、森の中で間伐の目印を付けていると、俺は木の幹に滲む白い樹液に気づいた。
指先で触れると、粘りがある。
(……これ)
冷蔵庫の隙間。結露。気密。
失敗した構造が、頭の中で繋がる。
「……耕平さん?」
「いえ。畑とは別の“収穫”を見つけただけです」
森は、畑を苦しめていた。
同時に――次の答えも、隠していた。
畝を高くし、風を通し、森と距離を取る。
そして、学ぼうとする若い手が、ここにある。
(この村は、まだ立て直せる)
そう確信しながら、俺は次の作業の段取りを頭の中で組み始めていた。




