腹にたまる力
朝の作業を終え、牛舎の裏で一息ついていたときだった。
桶の底に残った、薄く白い液体を見下ろしながら、俺は腕を組む。
(……これ、捨てるのは違うよな)
ヨーグルトを作ったあとに残る液体。
この世界では、完全に「失敗作」扱いだ。
「それ、また捨てるんですか?」
背後から、レオンの声。
「いや。今日は違う」
桶を持ち上げ、光にかざす。
ほんのり乳の匂いがして、酸味はほとんどない。
(ホエーだ。乳清。
タンパク質もミネラルも、まだ残ってる)
現代なら、サプリとして売られているやつだ。
「飲める……んですか、それ」
「飲めるかどうかじゃない。
“飲む価値があるか”だ」
俺は、牛乳から脂肪分を分離し、さらに水分を飛ばして作った白い粉を指差す。
(脱脂粉乳。
脂肪は少ないが、栄養は濃い)
「これと混ぜる。
味は……正直、期待するな」
「それ、つまり……実験ですよね」
「そうだ。
人間でな」
レオンは一瞬だけ黙り、すぐに頷いた。
「……やります」
覚悟が決まりすぎていて、少し笑ってしまう。
木製のカップに、ホエーを注ぐ。
そこに脱脂粉乳を溶かし、よくかき混ぜる。
白濁した液体は、見た目だけなら牛乳に近い。
だが匂いは、少し違う。
「……じゃあ、俺からいく」
一口。
正直に言うと――
(不味くはない。
でも、旨くもない)
酸味が少し舌に残り、後味は粉っぽい。
だが、腹に落ちた瞬間、妙な“重さ”を感じた。
「……腹に来るな、これ」
「じゃあ、俺も」
レオンが一気に飲み干す。
「……あ、これ、効きますね。
なんか、体の奥に溜まる感じがします」
「だろ。
これは“腹を満たす”飲み物だ」
そこへ、リリアンヌがやって来た。
「何を飲んでいるのですか?」
説明すると、彼女は少し眉をひそめる。
「……味より、栄養を取るためのもの、ですか」
「はい。
特に、働く人間向けです」
リリアンヌは少し考え、カップを受け取った。
「では……一口だけ」
一口飲み、少し驚いた顔をする。
「……思ったより、飲めますね。
ですが……これは、食事代わりになりますか?」
「なります。
ただし――」
そこまで言ったときだった。
「……うっ」
レオンが、腹を押さえる。
「どうした?」
「いや……その……」
次の瞬間。
「……ぷぅ」
一瞬、空気が止まった。
「……え?」
レオンの顔が、みるみる赤くなる。
「す、すみません!
勝手に……!」
俺は一拍置いて、腹を抱えた。
「……ああ。
そうか、これ……」
リリアンヌが、戸惑った顔で俺を見る。
「な、何が起きているのですか……?」
「腸内で、発酵してますね」
「発酵……?」
「はい。
ホエーと脱脂粉乳は、栄養が濃い。
腸の中の微生物が、喜びすぎた」
説明している途中で――
「……ぷっ」
今度は、俺だった。
一瞬の沈黙。
そして、レオンが吹き出した。
「……耕平さんもじゃないですか!」
「うるさい。
理論上、こうなるのは分かってた」
「分かってたなら、言ってくださいよ!」
「言ったら、飲まなかっただろ」
リリアンヌは口元を押さえ、必死に笑いを堪えている。
「……なるほど。
栄養がありすぎるのも、問題なのですね」
「ええ。
でも、逆に言えば――」
俺は、桶を見下ろした。
「これは、飢えないための飲み物になります」
腹が張る。
空腹感が、消えている。
(……本当に、腹にたまる)
笑い話で済ませたが、これは重要だ。
「肉がなくても、
パンが少なくても、
これがあれば“一日動ける”」
「……兵士や労働者向け、ですか」
「そうです。
ただし、量と飲み方は調整が必要ですけど」
レオンが、腹をさすりながら言った。
「でも……なんか、体が軽いです。
力、入る感じがします」
「タンパク質だ。
筋肉の材料になる」
「じゃあ……強くなります?」
「地道にな」
夕方。
作業を終えても、疲労感はいつもより少なかった。
体の芯に、熱が残っている。
(……捨てる部分がない)
牛乳は、
バターになり、
ヨーグルトになり、
ホエーになり、
脱脂粉乳になる。
命は、最後まで使える。
俺は、帳面に書き込んだ。
「副作用:ガス発生。
対策:量を減らす。
もしくは、慣れ」
「……それ、書く必要あります?」
レオンが覗き込む。
「ある。
現場は、正直でなきゃ駄目だ」
日が沈む。
牛舎から、穏やかな呼吸音が聞こえる。
(……次は、保存だ)
作れるようになった。
腹も満たせる。
だが、
守れなければ、意味がない。
俺は、そう強く思っていた。




