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異世界農業譚 〜チートなし大学生、土と汗で成り上がる〜  作者: 済美 凛


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34/78

最初に口を開いたのは

朝の市場は、いつも通り騒がしかった。

 野菜の籠、肉の匂い、乾いた麦袋。

 その中で、白い壺だけが妙に浮いている。


 俺は声を張らず、壺を並べ終えた。



---


「……あんた、これ何を売ってる?」


 通りがかりの男が、壺を顎で指した。


「ヨーグルトです。

 牛乳を発酵させて作った食べ物で、酸味があります」


「発酵?

 腐ってるのとは違うのか?」


「違います。

 体に害のない菌で、牛乳を変えたものです」



---


 男は眉をひそめ、壺を一度だけ見下ろした。


「白くて酸っぱい食い物はな……

 腹を壊しそうで、どうにも手が出ん」


「そう感じる人が多いのは、分かっています」


 男は、それ以上聞かずに去っていった。



---


「……やっぱり、簡単にはいかないですね」


 リリアンヌが、少し声を落として言う。


「最初は、こんなものです。

 知らない食べ物は、味より先に警戒されます」


「説明すれば、分かってもらえるでしょうか」


「説明より、体験です」



---


 しばらく、足を止める人は現れなかった。

 壺の前を、人の流れだけが通り過ぎる。


 レオンが、小さく呟く。


「……誰も買わないね」


「焦るな。

 売れない時間も、必要だ」



---


 昼前、

 小さな足音が壺の前で止まった。


「……これ、なに?」


 幼い子どもが、じっと壺を見上げている。


「ヨーグルトだよ。

 牛乳から作った、ちょっとすっぱい食べ物だ」


「すっぱいの?」


「今日は、甘くしたのもある」



---


「甘い?」


 子どもの声が、少しだけ大きくなる。


「蜂蜜を混ぜたものだ。

 一口だけなら、食べていい」


 俺は小さな椀に取り、慎重に差し出した。



---


 子どもは、一瞬だけ母親を見る。

 母親が、黙って頷いた。


 恐る恐る、口に入れる。



---


「……すっぱい」


 一瞬、表情が曇る。


 周囲の大人が、自然と足を止めた。



---


「でも……」


 子どもの目が、ゆっくりと丸くなる。


「……あまい。

 さっきより、あまい」


 その声は、思ったよりもはっきり市場に響いた。



---


「もう一口、食べたい」


「いいよ」


 俺が椀を差し出すと、子どもは迷わずすくった。



---


「……本当に、大丈夫な食べ物なの?」


 母親が、少し警戒を残したまま尋ねる。


「はい。

 胃に負担がかかりにくく、夏でも食べやすいです」


「子どもが食べているなら……」


 母親も、少しだけ口に運ぶ。



---


「……なるほど」


 その一言で、周囲の空気が変わった。


「悪くない、どころじゃないですね」


「料理にも使えます」


「料理?」


「肉を漬ければ柔らかくなりますし、

 香草と混ぜれば、白いソースにもなります」



---


「……それなら、使い道は多いな」


「少し、試してみたい」


 試食の椀が、次々と差し出される。



---


「……あれ?」


 レオンが、壺の中を覗き込む。


「もう、半分ない」


「二つ目を出そう」



---


「これ、いくら?」


「この値段です」


「じゃあ、一つもらう」


「私も」


 硬貨の音が、はっきりと響き始めた。



---


「……さっきまで、誰も見向きもしなかったのに」


 レオンが、信じられないように言う。


「口に入ったからだ」


「説明より?」


「ええ。

 食べ物は、食べて判断される」



---


 昼過ぎ。


「……これで、最後です」


「全部?」


「はい」



---


 壺が空になる。

 白い器だけが残った。


「……売れましたね」


 リリアンヌの声は、少しだけ明るかった。


「ええ。

 最初の一歩としては、十分です」



---


 片付けをしていると、

 あの子どもが振り返った。


「ねえ」


「どうした?」


「また、これ、ある?」


「ある。

 ちゃんと作る」


「うん」



---


 市場を後にする。


「……最初に動いたのは、子どもでしたね」


「ええ。

 一番、正直な客です」


「大人は……」


「考えすぎます。

 腹より、頭で食べるからです」



---


 白い壺は空だ。

 だが、市場の視線は、確かに変わった。


 知識でも、説明でもない。

 一口が、流れを作った。



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― 新着の感想 ―
牛乳って、本当に偉大だわ。発酵させればヨーグルト、さらに固めればチーズ、温めて砂糖を入れればホットミルク、おまけにそのまま飲んでも美味いなんて。
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